地獄への道
*
「もしもし」
「もしもし。佐藤さん」
そんな中、1本の着信が入った。佐賀さんからだった。
「あっ! 佐賀さん!」
「あれから、大丈夫でしたか?」
「あ。はい。あれから病院にもきちんと行きました! 結果は糖尿病ではありませんでした」
「あ。それなら良かったぁ~」
佐賀さんはかなり安堵した声でそう言って喜んでいたが、今回はなんの用だろうか……。そっちが気になった私は怖くなって恐る恐る聞いてみる。
「あの。今日はなんの用で……」
「あぁ。実はあれから、上司の方にも相談したところ、今回の件は相当怒ったようで……」
「あ。そうなんですか!?」
「佐藤さんに危害を加えた3人の方に状況確認をしたところ、事実を認めたようです」
「あ。そうなんですか……」
「えぇ。あの3人も『まさかこんなことになるとは思わなかった』と言っていたようで……」
「……」
予想外だった。みたいな言い訳をしていた様だが、商品を投げたこと、注意の仕方が高圧的な事に関しても、上司は怒って注意をしたみたいだ。
アノ3人がやった事は内心許さなかったけど……。ふーん……。
そして佐賀さんは続けて言う。
「そして、上司の奄美さんから『この度は、私共の注意が行き届いてなかった為に起こってしまった事なので、本当に申し訳ありませんでした』と、言葉が来ております」
「え!? 奄美課長から!?」
まさかの人からの謝罪で驚く私は、思わず聞き返した。
ちなみに、奄美課長はあの険悪な会社の中で唯一、実力で課長にまで登った凄い人だ。そのせいか、かなり細かい事にも目を配る人な為、みんなからは『厳しい上司』とも言われているほど、恐れられている人だった。
でも、普段は常に笑顔でいる上司である為、私は嫌いではない。寧ろ、何もしないで仁王立ちで突っ立って見ていたり、媚びを売りまくっている上司よりは、いい人だと思っていた。
「それと、佐藤さんに改めて聞きますが……」
「あ。はい……」
「これから、どうしたいんです?」
「どうしたい……とは……」
「実はあまり紹介できる現場が無くてですね……。仮に派遣を辞めたとしても、今のご時世、あまり仕事が無い状態なんです」
「あ。そう……なん……ですか……」
まさかの人からの謝罪と、仕事が無いという現実を突きつけられた私は、とても複雑な気持ちになった。
確かに、この未知のウィルスが蔓延る中で、仕事が無くなって辞めていく人も多いと聞く。テレビのニュースでも連日、よく取り上げられていた為、怖いほど分かっている。
「ということは、別の現場には今すぐ移動は、できない……という事なんですね……」
「まぁ……。今の現状ですと、そういうことになってしまいます」
「そうでしたか……」
だから、ウィルスはとても恐ろしい。
そう思っていたが……
「それに、部署を移動するにしろ、『今すぐには出来ない』とも、言われております」
「それは、つまり……。今の部署に戻る事しか、今の所は働く場所もない。という事なのですね?」
「そうですね……」
もっと怖かったのは、今の部署に復帰。しか、道がない事を示唆している事だった。
「それでは、これにて、失礼します。お大事に!」
「は。はぁ……」
佐賀さんからの電話を終えると、思いっきりでかいため息をついた。すると、近くにいた夫が何か考え事をしながらこう訊ねる。
「もしさ、何かあったら俺もいるんだし、島崎先生もバックにいるんだ」
「でも……」
「君はもう、1人じゃない」
「……」
「だから、行ってこい」
「……う、うん」
「それと、万が一、ストレス相談の張り紙がどこかにあるはずだから、見つけたら、スクショでも撮っておけ」
「あ。うん。わかった」
そして、今度は何を考えているのか分からないまま、私は夫の言う通り、明日から仕事に行く事にした。
*
眩しい朝の筈なのに、空気が重い。行く足も重い。送迎車はもう駐車場の中まで来ているのに。
私は罪悪感に近いような、重苦しい気を背負ったまま、玄関扉を開けて鍵をかけ、ワゴンタイプの送迎車に向かう。
「あ。お、おはよう……、ございます」
「おぉ。大丈夫だったか?」
鍔付きの黒い帽子を被った60代ほどのじいさんが、心配そうにこちらを見ながら話しかけてきた。
「あ。何とか、大丈夫ですが、まだ本調子ではないです」
でも、病名は言えない。というか、病名は『寝不足』な為、あまり言いたくないのが本音だ。なので、気を紛らわすかの様にシートベルトを締め、助手席の扉を閉めて「お願いします」とドライバーに運転を促す。
「そうか。言いたくなさそうだから言わないけどよ。でも、無理はすんじゃない」
ドライバーのじいちゃんはそう言うと、アクセルを踏んで、職場に向けて出発した。
外はというと、太陽の光がとても眩しくて暑かったが、私の心は依然暗いままだ。
「はぁ。はぁ……」
途中、あの動悸が襲ってきたけど、大丈夫と自分に言い聞かせながら、助手席の扉から見える窓を眺めていた。




