私は現実など受け止めない
今日も変わらない日々を送る。これは逃避でしかない。それでも私は現実など受け止めない。
「おはよう。リリー、ローズ」
今日も陽光で目が覚めた。妻と娘の肖像画に挨拶をする。絵の中の二人は笑顔だ。この頃が、一番幸せだったと思う。
顔を洗って歯磨きをする。朝食は得意の錬金術で生み出したパンと目玉焼き。錬金術を使わないとろくに食べ物すら用意できないのを、妻と娘にはよくからかわれていたっけ。二人は貴族だというのに、やけに料理やお菓子作りが得意だった。
昨日着ていた服を洗濯をして庭に干したら、この別荘の掃除をする。使用人がいないのがこんなにも大変だとは思わなかった。けれど、あそこに戻るつもりはない。そもそも戻ったところで、私には居場所がないだろう。
シャワーを浴びて着替えたら、妻と娘の墓に手を合わせる。ろくに葬儀すら挙げずにこの別荘に連れて帰ってきてしまったから、墓も手作りの簡素なものだ。屋敷はきっと、突然何も言わずに居なくなった私と妻と娘のことで騒がしくなっていることだろう。おまけに私の部屋は血みどろだから、きっと色々な噂が立っているはずだ。
「おやすみ。リリー、ローズ」
やることもないので寝るしかない。またあの悪夢を見るのだろう。それでも私は現実など受け止めない。
「お父様、やめてっ!…きゃー!」
「ローズ!あなた、もうやめてくださいっ!ローズ!…ああ!」
私は鉈を振り下ろす。何度この光景を夢で見ただろう。それでもこの夢は終わってくれない。
「お父様…な、んで…」
「ローズ…貴女だけでも助けたかった…」
もう命はないだろう二人に、それでも鉈を振り下ろす。とどめを刺しても振り下ろす。
「…」
「…」
ぐちゃぐちゃになった二人を、錬金術で生み出したマジックバッグというどんな大きなものでも入れられ防腐処理もしてくれる便利な道具に詰め込んで、朝一で辻馬車を拾って二人との思い出のこの地に逃げ込んだ。別荘の鍵と二人の肖像画もマジックバッグに詰め込んできたので問題なかった。
目が覚めた。またこの夢を見た。今更罪悪感でも感じているというのか。どうせ現実など受け止められないくせに。
「おはよう。リリー、ローズ」
「おはようございます、あなた」
「おはよう、お父様」
最近、時折妻と娘の声が聞こえる気がする。ついに幻聴すら聞こえるようになるとは、情け無い。
「お父様、ねえ、何故私を殺したの?何故お母様を殺したの?」
「決まっている。君が私の娘ではなかったからだ」
思ったよりも冷たい声が出た。幻聴だというのに、娘に優しくしてやることさえ出来ない。
「あなた、ローズには罪はありません。悪いのは私なのです」
「ああ。君が子供を作る前から浮気などしたのが間違いだったんだ。せめて私との間に子供を一人でももうけてからにしてくれれば、ここまで私が暴走することもなかっただろうな」
ローズは私の娘ではなかった。リリーは私を愛してなどいなかった。私の愛は一方通行だった。
「あなた。逃亡してから何日も経ちました。そろそろここはバレてしまいます。逃げなくてよろしいの?」
「…君たちを置いていけるはずがない」
ここには妻と娘の墓がある。今更ここを動くことは出来ない。たしかに妻は浮気をした。確かに娘は血が繋がらない。あの時はそれに激昂して殺してしまった。だが、私はそれでも二人を愛している。だから、これは仕方がないことなのだ。
「お父様、それならば、せめて治安部隊に捕まる前に私が終わらせて差し上げますわ」
そんな幻聴が聞こえたその刹那、何故か別荘が燃え盛る。
「これは…」
「お父様、どうか楽にして。すぐに終わりますわ」
「…幻聴じゃないのかい?」
「ええ。幻聴ではありませんよ、あなた」
「…すまなかった」
「いいえ、私が全部悪いのです」
「お父様。せめていっしょに地獄に堕ちましょう?」
「そうだね…うん、そうしよう」
私は現実など受け止めない。幸せな幻聴に縋りつこう。
「おやすみ。リリー、ローズ」
「おやすみなさい、あなた」
「おやすみなさい、お父様」
私は現実など受け止めない。私は現実など受け止めない。私は現実など受け止めない。
薄れ行く意識の中で、ふと妻と娘がこちらに手を差し伸べるのが見えた。その幻覚に縋りつく。瞬間、私の世界は終わった。




