第9話 私は隠所を解明し、少女は秘技を披露する
広がる草原で、動かなくなった人が転がっている。赤い血だまりの中で、冷たい人々が倒れている。
刃物と爆発の音。誰かが痛みに苦しみ喘げば、もう一方では喚起の雄叫びが轟く。
焼ける地面とこもったような生臭い鉄の臭気が鼻を刺す。
リセから教えられた場所に、アーティの家らしき平屋の木造建築があった。
そしてその周囲が、戦場となっていた。
「これ……どういう事?」
目の前で起こる戦いを、メルナはじっと見つめている。
私も同じように戦いを見つめる。
だが、ただ見るのではない。
人の流れを見て、戦場を理解するのだ。
今の私は、戦場を知らなかった私ではない。
素人目でも、分かることは十分にある。
戦場の規模は、先日の大聖堂での防戦よりも大きくない。
外側から内側へと、家を囲んで突撃していく男たちは、布切れ同然の薄汚れた服を揃って着ている。
この戦いは、外から内へ攻め込む者と、それを阻止する者たちの戦いだ。
そして、目に見える範囲では、圧倒的に攻める側の人数が多い。
なぜ、アーティの家に攻め込んでいるのだろうか。
浮かび上がる疑問を、頭の隅に放る。
「メルナ、突っ込もう」
私はメルナの腕を掴んで走り出す。
「え、ちょっと、ユミ!?」
「アーティが中にいるとしたら、助けないと!」
私たちは、薄汚れた布切れを纏った男たちの隙間を縫って、中央に切り込んでいく。
いきなり後ろから駆け込んできた私たちを止めようとする者はいない。
部隊の中で下っ端なのか、ただ油断しているのかは分からないが、幸運だ。
男の悲鳴が近づいてくる。
一人の男が背中から、私たちの方へ吹き飛んで来た。
私はメルナと共に、斜めに走ってそれをかわす。
後方へ飛んでいく男を一瞥する。
腹部に角ばった岩がめり込んでいた。地属性の魔法だ。
男を吹き飛ばしたのは、前方にいる背の高い健康的な体格の男性だ。
男性を囲むようにして、四、五人の男たちが一斉に襲い掛かる。
しかし、襲い掛かった者すべてが、一瞬にして跳ね返された。
地面を転がりながら、その場に伏していく。切り傷を受けた者もいれば、火傷を負った者もいる。
男性は、藤色のマントに付いた砂埃を手で払う。
男にしてはきめの細かい、銀の髪が風になびいた。
近くで見ると、遠目で見るよりも背が高い。百八十センチはありそうだ。
男は外側から駆け込んできた私たちに、一瞬だけ視線を向ける。
私は男と目線を合わせ、その隣を通過する。
その時、細い紐を勢いよく振ったような音が鳴る。
そして、刃状の風魔法が視界の端に映った。
私は咄嗟に左腕を振る。
風の刃が目の前で消え去る。間一髪だった。
アーティの家が目前まで迫る。戦線の内側に潜り込めたのだ。
男はそれ以上、私たちを攻撃してこなかった。
「そこの二人は通していい! 敵じゃないから」
背後で、先ほどの男が大声を上げた。
彼が指揮を執っているようだ。
「……ル」
メルナが小さく呟く。走っていたため、彼女の声が聞こえなかった。
「どうしたの、メルナ?」
「レヴェルだよっ! 今の男!」
私は走る速度を落として、後ろを振り返る。
ほんの少しだけ首を傾け、横目でこちらを見ているレヴェルと視線が重なった。
レヴェルは口元を緩ませ、僅かに笑みを浮かべていた。
「どーして、ここに、レヴェルが?」
私たちはアーティの家へ侵入を成功させた。
玄関で息を切らしながら、メルナが膝に手を置いて背中を丸めている。
「アーティと繋がっていたから」
「それは、分かるよ? そーじゃなくて、ここ王都のすぐそばだよ!」
確かに、メルナの言う通りだ。
世界の平和を脅かす、魔王と呼ばれる男が、こんな簡単に王都の間近まで接近できるだろうか。
王都の監視はかなり厳重だ。エルが率いた魔王軍の動きも、早期に気付くことができていた。
いや、むしろそれが答えなのかもしれない。
大聖堂という、誰もが警戒を向ける場所に注意を集めている間に、レヴェルは王都に接近した。
大聖堂を守り切ったことで、王都内で絡んでいた緊張の糸はほどけている。戦闘の規模もそこまで大きくないこの状況なら、気付くのに遅れる可能性は十分にある。
だが、そこまで計画的に事を運んで、実際に行ったのはアーティの救出だ。
これも計画の一部なのだろうか。
もしも私が魔王の立場なら、この段階で王都に侵入して、王国の中心から制圧するだろう。
レヴェルが私たちに見せた、小さな微笑みを思い出す。
彼の真意が、私には分からない。
「ユミ! ちょっと、早く来て!」
メルナの大声で、私は推測を切り上げる。
玄関から正面の空間に入ると、そこはホールのような部屋だった。
木目の床に、皮製の絨毯が広げられているが、部屋の隅に小さなランプが置かれているだけだ。
左手側には洗面所があり、右手側にはリビングのような大広間が広がっていた。
正面の壁にはドアが二つ並び、その間には絵が飾られている。籠の中に果物が三個入っている油絵だ。
私は二つのドアを開け、部屋の中を見る。
どちらにも、勉強机のような大きさのテーブルと一人分の椅子が置かれていた。
一方の部屋は本で溢れていて、もう一方は殺風景な部屋だった。
正面の二部屋と対称になっているかのように、玄関の隣側にも小さな部屋があった。
だが、それを区切る木製の扉は、無理やり蹴破られたように中心から割れている。部屋の前には、箒などの掃除用具や、表紙が日焼けしている古い本などが散乱していた。
この小さな部屋が物置部屋だというのが、ホールに投げ出された物から分かった。
メルナは、この物置部屋の中にいた。
「見て、これ」
メルナが指差す方向、物置部屋の隅に視線を向ける。
床の木目と同じ表面を持つ、薄い木の板がずらされ、その下に石製の階段が伸びていた。
奥に伸びる道は真っ暗だ。
「地下室?」
「多分、この下に何かを隠してるんだよ! それを奪うために攻め込まれて……」
メルナはホールに投げ出された、物置に置かれていたであろう物に目を向ける。
「もう開けられているってことは、敵はこの下に……」
「きっとそう! 急いで下りようよ!」
「……ちょっと待って!」
私は声を上げてメルナを制止する。
こちらを振り返るメルナの表情は不満げだ。
「どーして?」
「少し、来て」
私はメルナと共に物置部屋を出て、大広間に入る。
正面には窓があったが、カーテンが締まっていた。
部屋の中央には、簡素なテーブルが置いてあり、その周囲に椅子が四つ置かれている。テーブルの上には薄いクロスが敷かれ、火の消えたキャンドルが置かれていた。
右手側にはキッチンがある。
埃はかぶっていないため、頻繁に使われていることが分かる。
そして、部屋の左手側には、腰の高さくらいまで葉を伸ばした観葉植物と本棚が置かれている。本棚の隣には、長方形の鏡が壁に付けられていた。
部屋の中は、仄かに花のような澄んだ香りが漂っている。
テーブルの上にあるキャンドルの香りだった。
「ユミ、早く下に行こうよ」
「うん。でも、別の階段があるはず」
私は答えながら、大広間の中を観察する。
だが、目当ての物は中々見つからない。
カーテンで塞がれた窓の外から、戦場の音が聞こえる。いつ敵がなだれ込んでくるか分からない。
「なんで、別の階段なんて分かるの?」
私は観葉植物の植木鉢をどかす。こぼれた土が床に落ちた。
「ここは、明らかにアーティの部屋。しかも、ちゃんと人が住んでいるのが分かるでしょ?」
不思議そうに私の背中を見つめるメルナは「うん」と口ごもったような返事をする。
「でも、人が住む家なら、あって当然の物がここにはない」
「当然の……もの?」
私は本棚の側面を見た。後ろの壁とはくっ付いていない。
さらに、本棚を横から押してみる。びくともしない。
鏡のある方からも、本棚の側面を除く。
その時、頭の中で火花が弾けた。
鏡の向こう側では、したり顔の自分が笑っていた。
私は、木でできた鏡のフレームに指をひっかけ、本棚の方に押した。
鏡はスライドドアのように滑り、本棚と壁の隙間に入っていく。
鏡の奥には小さな部屋があり、その中にはクローゼットとベッドがあった。
「寝室!」
メルナが大きな声を上げる。
もしも、ここが元居た世界なら、布団を床に敷いて寝るというパターンもあるのだろう。
だが、王国聖守隊の基地には、一部屋ごとにベッドがあった。
もし万が一に、布団で寝る習慣があったとしても、それならそれで、布団を収納するスペースは必要だ。
ベッドは、頭の位置を壁の一辺にくっ付けるように置かれていた。
ベッドの側面側には、何もない空間がある。先ほど物置部屋で見たような、階段の幅と同じくらいの空間だ。
私はその床に視線を落とす。床の木目がずれていた。
手を添えて、ゆっくりとずらしてみる。
物置部屋と同じように、薄い板の下に階段が伸びていた。
奥の方にランプのような薄い明かりが見える。
「自論なんだけど、何かを隠すときって、自分で確認できる場所に隠すと思うんだ。さっきの物置部屋の階段、あんなに物で隠されてたら、多分、自分でも使わないんじゃないかな?」
「じゃあ、さっきの階段は偽の隠し場所で、こっちが本命ってこと?」
「そう思う。多分、だけど」
一瞬だけ、メルナの表情に緊張の色が浮かぶ。
だが、すぐに朗らかな笑みを浮かべて、私の方へ視線を向けた。
「仕方ない、ちょっと本気出しちゃおっかな」
「本気?」
メルナは一度頷くと、階段の前に膝をついて座る。「見ててね」と得意気に、階段の奥へと両腕を伸ばした。
よく見えないが、メルナの手から何かもやのような物が放出されている。
夏にパーゴラから噴き出る、ミストのように見えた。
「何をしてるの?」
「この中の地形を調べてるんだ」
「そんな事できたの?」
「そーだよ、私の切り札。霧状に出した水魔法を、薄く伸ばしていって、地形を確認するの」
メルナの小さな背中が頼もしく見える。普段は年相応か、それよりも子供っぽい言動をするのに、時折自分よりもしっかり者に見えるのは何故なのだろう。
メルナはどんな人生を送ってきたのか、そんな事を考える暇もなく、彼女は立ち上がった。
「ユミ、急がないと大変かも!」
彼女は二、三段下りて、こちらを振り返る。
「アーティ?」
「うん。一番奥の部屋に、三人の人がいたの。多分、そのうち一人がアーティだよ!」
「一番奥の部屋……辿りつけそう?」
メルナは胸を反らして、鼻息を漏らす。そして、私に向かって親指を立てて見せた。
「もっちろん! 道順、覚えたよ!」
「すごいよ、メルナ!」
「そーでしょ、そーでしょ? よしっ、急ごうユミ!」
満面の笑みを見せたメルナは、階段を駆け下りていく。
私も階段を下って、メルナの小さな背中を追いかけた。
殺風景な石の通路に並ぶ、小さなランプの光が揺れている。光は私たちの影に隠されるようにして、通路を点滅させた。
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