第8話 私は住処を捜索し、教師は教え子を心配する
青く澄み切った空に、白い雲が薄く広がっていた。
爽やかな風が髪と頬を撫でる。
もしも草原や山の麓へピクニックに出かけたら、最高の日になるだろう。
私とメルナは、王都の西端へと来ていた。門とは真逆の位置だ。
石畳が敷かれた大通り。その左手側にある水路の水が、そびえ立つ城壁の下を潜り抜けて流れていく。ここからどれくらいの距離かは分からないが、いずれ海へと流れていくのだろう。
通りの中ほどと比べると、西側には民家が多かった。
「エルについての情報を得る! だよね?」
メルナは唇を僅かに震わせながら、ガッツポーズの仕草をしていた。
「……ダジャレ?」
「そーだよ」メルナは堪えきれずに笑い声を漏らす。「面白いでしょ?」
「うーん、それなりに?」
「えー、自信作だったのに」
メルナは小さな唇を尖らせた。
「それで、どーしてアーティの家に向かってるの?」
「アーティとエルは、きっと知り合いだと思う」
「そっか……そーいえば、ロネだけじゃなくて、アーティにも話しかけてたっけ」
アーティなら、ここでエルと知り合った可能性が十分にある。それに、エルと何かしらの関係があったから、私たちと一緒に戦場に向かったとなれば、彼女の行動にも納得がいくだろう。
「ねえユミ、これって……」
私たちは目的の場所に到着し、目の前にある家を見つめる。
壁の塗装が擦り傷のように割けている。植えてある植物も、花は萎れて雑草に囲まれていた。
昨日、アーティとの別れ際に家を教えてもらっていた。
その情報に聞き間違いはないはずだ。
私は木でできた古そうなドアを叩く。待っても返答はない。
左右に戸が付いた、木製の開き窓を引いてみる。ぎぎっと音を立てて、一ヶ所が開いた。
薄暗い部屋の中には、一つも家具がない。乾いた埃臭さがあった。
「間違いない……空き家だ」
「でも、いったい何で? 確かに、ここって言ってたよね」
私は頷く。どうしてかは分からないが、私たちは騙されたのだ。
「どーする? 手当たり次第に探す?」
「そうだね。とりあえずそうしよう。近くに本当の家があるかもしれない」
私とメルナは、近くの住人に話を聞き、手当たり次第に民家を尋ねた。
だが、人々は知らないと口を揃えて首を横に振る。
結局、一時間ほど経っても戦果は得られなかった。
「これだけ聞いて、みんな知らないってことは、きっとこの近くには住んでないよね」
「どうしようか……まさか、もう行き詰まるなんて。王都を全部探すには広すぎるし」
「そもそも、王都に住んでない可能性だってあるよね」
私はハッとしてメルナに視線を向ける。
「そっか……でもそれなら、ここに住んでない方が楽かも!」
メルナはきょとんとした表情で首を傾げる。
「メルナ、付いてきて」
私はメルナと共に、王都の東へと歩き出した。
「あの、アーティ・セルフサブって女の子を知りませんか?」
門の脇に立っている、体の線が太い門番は腕を組む。やはり、どこか狸っぽい。
「アーティ……どいつだっけかな」
「さらさらの綺麗な長髪で、私より少しだけ背の低い子です。魔法使いの」
「分かった、あの子だよ。レヴェルに連れられてここに来た子」
反対側に立っていた、狐に似た門番が声を上げる。
「あー! なんだ、あいつか!」
「思い出しましたか?」
「おお、思い出したぜ。それで、彼女がどうかしたのか?」
「王都からの出入りって、多いんですか?」
「多いよね。外から通ってたくらいだし」
狐の門番の発した言葉に、狸の門番も頷く。
「通ってた?」
「おう。魔法学校だよ」
学校、これは予想外の手がかりだ。
「メルナ、学校の場所分かる?」
メルナは言葉を出さずに、小さく頷いた。
「助かりました。お忙しいところ、ありがとうございます」
私は二人の門番に頭を下げ、もう一度王都内に戻っていく。
「魔法学校はね、一等地にあるよ」
声を出したメルナの表情がどこか固い。
そういえば、門の前での返答も、どこか元気がなかった気がする。
「メルナ、どうしたの?」
「ちょっと考え事」
「考え事?」
「レヴェルに連れられたって言ってたよね。ユミ、レヴェルって知ってる?」
私は記憶を掘り返す。聞いたことのない名前のはずだ。
「レヴェルって、魔王って呼ばれてる人だよ」
冷たい水をかけられたように、心臓が大きく跳ねた。そして、一瞬止まった思考が、どんどん広がっていく。
つまり、アーティは魔王と共に王都に来て、そこからエルと出会ったということだ。それなら、エルと魔王の間に関係性が出来上がるのも不思議ではない。
「ねえユミ……アーティって仲間だよね?」
メルナが心配しているのは、アーティを信用していいのか、という事らしい。
「大丈夫だよ。魔王との繋がりがあったとしても、一緒に魔王軍を相手したわけだし、彼らの味方ではないと思う」
戦場でエルは、迷いなくアーティに重症を負わせた。アーティが魔王の味方とは考えにくい。
だが、なぜ私たちに嘘の居場所を伝えたのだろう。そこには何か秘密があるはずだ。
「そーだよね。よかった、ちょっと怖くなっちゃったよ」
私はメルナの頭を帽子の上から、軽く叩くように撫でた。凹んだ帽子の生地から、バターのような甘い香りが漂う。
メルナは私の顔を上目遣いで見てくる。頬を少しだけ赤らめて、朗らかにはにかんだ。
「子供扱いしないでよー」
「いいじゃん、可愛いし」
「え、ホント? ありがとー! ユミ、大好き!」
メルナが私に、力一杯しがみついてくる。
「ちょっと、ほらもう、歩きにくいから」
私にぴったりくっついてくるメルナを引きはがしながら、一等地へと向かった。
私たちは石畳の階段をゆっくりと上る。
目の前に広がっている一本のしだれ桜が近づいてくる。桜の香りが徐々に強くなってきていた。
階段を上りきったところで、細長い槍を両手で携帯した兵士に声をかけられる。
「一等通行許可証でしょ? はい、これ」
メルナは、どこからともなく丸められた紙面を取り出して、兵士に突き出した。
「メルナ、いつからそんな物持ってたの?」
「いつからって、最初から持ってるよ? じゃなきゃ、真っ直ぐ連れてこないよ」
今はアーティの事が優先だが、メルナの素性も聞いてみたいものだ。甘い物を買うくらい、お金に余裕があるところを踏まえると、実は貴族のお嬢様だったりするのだろうか。
私は広がった一等地を見渡す。一等地は長方形型の地形だ。
正面には巨大な王城がそびえ立っている。壁は真っ白で、円柱や六角形の柱が天高く伸びていた。柱の先端は青いレンガで、鋭い三角錐状になっている。
銀で装飾された大きな城門の存在感は凄まじく、視線がそこに吸い寄せられてしまう。一階よりも高い部分には、テラスと思われる空間があり、細かい造形によって植物のようにデザインされた柵によって隔たれていた。
右手側には大きな屋敷が二、三軒並んでいる。横に広かったり、縦に長かったりと様々だ。
そして、左手側には鉄製の門がある。その奥に、植物園のような広さを持つ庭と、五階建ての建物があった。あそこが魔法学校だろう。
目の前では十五メートルはある、一本の大きなしだれ桜が揺れていた。
間近で確認し、もう一度確信する。やはり女神の花は、しだれ桜そのものだ。
なぜ、この王都に一本だけ咲いているのか。なぜ、この世界にしだれ桜があるのか。いずれ明らかになる。明らかにしなければ元の世界には帰れない。そんな気がした。
「やっぱり綺麗だなー。女神の花」
メルナはうっとりとした表情で、しだれ桜を見上げていた。
風が吹き抜けて、花を揺らす。桜の甘い香りが辺りに立ちこめた。
私は違和感を感じて、足元を見る。さらに、背後を振り返って階段の上を確認する。
花びらが一枚も落ちていなかった。
こんなにたくさんの花を付けたしだれ桜が揺れているのに、城下町はおろか、一等地にすら桜の花びらが落ちていないのだ。
やはり、ただの植物ではないということなのだろうか。
「ユミ、学校はあっちだよ。行こ?」
メルナが私の服を引っ張っていた。
私はメルナの後に続いて歩き出す。とりあえず、今はやるべきことに集中しなければならない。
魔法学校へと歩を進めていると、鉄製の門が開く。
中から出てきたのは、王国聖守隊の基地でカウンターに座っていたリセだ。
「あらあら? どうしたのかしら、こんなところで」
リセは驚いたようにまぶたを開く。まん丸の目が、さらに綺麗な円形に開かれた。
「リセさんこそ、どうして魔法学校にいるんですか?」
「それは、私が教師だからよ」
「教師? っていうことは先生なの?」
「ええ、そうよ。非常勤だけれどね。今は聖守隊の方で働かせてもらっているから」
「あの、教師なら、アーティの事は知ってますか?」
「もちろん、知っているわ」リセはゆっくりと頷く。「あなたたちと戦場に行ったんですってね」
「アーティがどこにいるか、分かりますか!?」
ようやく手掛かりを掴んだことで、声が大きくなってしまった。
「今日はお家にいるんじゃないかしら。よく、ここの図書室に来てることが多いのだけれど、いなかったから」
「お家の場所って分かる!?」
メルナも私と同じようにリセに詰め寄る。鼻息が荒くなっていた。
「え、ええ。王都から北に、二、三十分くらい歩くと平原に家があるから、そこが彼女の家よ」
「ありがとうございます!」
私はリセに向けてお辞儀をする。
エルの事を聞くことができるという実感が、胸の奥からこみ上げた。
「でもそっかー。アーティ、成績よかったでしょ? 戦場でも凄かったんだよ!」
リセはメルナから視線を逸らし、困ったように目を伏せる。
「リセさん?」
「えっと……そうでもないのよ」
「え、どうして? だって、アーティって四大属性を全部使えるんだよ?」
リセはお腹の前で両手を合わせ、そこに自分の視線を落とす。
「アーティはね、自由な四大属性に変換できる特異属性の魔力を持っているだけなの」
私はリセの言葉を何度も咀嚼する。だが、よく意味が分からない。
「つまり、四大属性を使えるって事じゃないんですか?」
「意味合いとしてはあっているけれど、少し違うの。メルナ、あなたの魔法属性は何かしら?」
「水属性だよ」
「じゃあ、得意な魔力操作は?」
「魔力を壁状に放出する事!」
メルナは声を出すと同時に、自分の前に薄い水の壁を出現させた。
「自分の魔力をどう操作するか、それが魔法を使う時に重要で、奥が深いところなの。ここまで、分かるかしら?」
「はい、分かります」
まるで、学校で授業を受けているような気分だ。
「魔力操作を極めている者はね、自分の魔力属性すらも変えてしまえるわ。疑似的にだけどね。例えば、メルナが火魔法を使うことも、不可能ではないってことなの。これが複数の属性を使えるってこと」
「つまり、アーティは魔力操作とは別の方法で属性を変えている、ってことですか?」
「そう。それに、特異属性の魔力は、四大属性の魔力よりも魔力操作が難しいの。アーティの魔力は百人に一人くらいの曲者魔力ね。だから、魔力操作の進級試験で合格できずに、二度の留年をした後、学校を辞退してしまったわ」
「そんな! じゃあ、アーティは卒業してないってこと?」
リセは伏し目がちに頷くと、「余計に話しすぎちゃったかしら」と呟いた。
「どうして、特異属性だって教えてくれなかったんだろ」
「……それは多分、プライドじゃないかな」
私は呟くように、メルナの言葉を返した。
小さい頃、妹の夕陽と喧嘩した時に、お互いに強がって本当の事を黙っていた事を思い出した。何が原因で喧嘩したか、今ではもう覚えていない。
「ユミ、メルナ」リセは柔らかな口調で私たちの名前を呼んだ。
「もし、アーティが困っているなら、助けてあげてほしいの。彼女、友達もあまりいないし、親しい人間は、あの子の傍からいなくなってしまったから」
リセの瞳が力なく揺れている。教師として、元教え子を本当に心配してるのだろう。
「親しい人間って、エルやレヴェルですか?」
「彼らもそうだし、そのほかにも。もう、この世からいなくなってしまった人もいるわ」
「可哀そう……」
小さく呟いたメルナは、首を勢いよく振って、自分の頬を軽く叩いた。
「ううん。任せて! 私がアーティの友達になるから!」
何となくだが、分かってきた気がする。
エルも、アーティと同様に、何かしらのきっかけがある。きっと、根っからの悪人になってしまったわけではない。
ロネと一緒に過ごしていた、心優しいエルに戻すことができるはずだ。
「色々教えてくれて、本当にありがとうございます」
私はリセに深く頭を下げる。
「行こう、ユミ」
「もちろん」
私はこちらを見上げるユミに頷き返す。
もしかすると、アーティもまた、ロネのように一人で戦っているのかもしれない。だとすれば、助けてあげたい。
一人がいかに苦しいか、私が一番よく分かっているはずだ。
私たちは踵を返し、階段へと向かっていく。
しだれ桜に見送られるように一等地を下りて、王都から飛び出した。
第8話を読んでくださり、ありがとうございます。
関係のない話ですが、先日投稿した短編がそこそこ好評です。
長編のpv数をいとも容易く追い抜かれて複雑な気持ちですが、
恐らく完結パワーが原因ということにしておきましょう。