第7話 私は青年を叩扉し、青年は友情を想起する
自宅へ帰るアーティと別れ、私とメルナ、ロネは王国聖守隊の基地に設けられた自室へと戻った。
衛生兵によって連れられていたロネは、凱旋の途中で目を覚ましたらしい。よろけながらではあるが、自分の足で自室へと向かった。
自室に入ると、メルナは自分のベッドに腰を下ろした。
ちなみに、私とメルナは同じ部屋である。八畳の部屋には、簡素なベッドが二つと、小さなテーブルが置かれている。テーブルを挟むようにして、木製の椅子が二つ向かい合っていた。
「ロネの部屋に行ってくるけど、メルナはどうする?」
「おやつ食べるから、私はいいよ」
メルナの手に、鉄製の缶に似た容器が乗っている。中には丸いビスケットがいくつも入っていた。
「ついさっき、夜ご飯食べたよね」
「そーだけど、それとこれとは別だよ」
私は視線を変え、窓の外をちらりと見た。星が見える。
「夜に甘いもの食べると、太るよ?」
「へーきへーき。ほら、行ってらっしゃい」
私はメルナに見送られながら自室を出る。
ところで、メルナはいつもどこからお菓子を取り出しているのだろうか。
私はランプの付いた廊下を進みながら、そんなことを考える。だが、頭の隅に残ったエルの言葉が、そんな些細な疑問すらも押しのけていった。
私は木製のドアをノックする。ドアノブには女神の聖紋と同じ模様が彫られていた。
「どうぞ」
ドアを開けて部屋に入る。五畳ほどの小さな部屋の窓際に白いベッドが置かれていた。油の匂いがほのかに漂っている。
「ユミか? どうしたんだ」
ベッドの上でロネが体を起こす。
「あ、いいよ、寝てたままで」
木目の見える床の上に、ロネの鎧や剣が置かれている。部屋の匂いは鎧に差した油が原因だろう。
「ずっと横になってるのも疲れるから」
ロネは自分の体に巻かれている包帯を押さえた。
「傷、まだ痛む?」
「少しだけ。大したことないよ」
「あれだけ怪我して、大したことないわけないでしょ」
ロネは力のない笑顔を見せ、部屋の隅に置かれた木製の椅子に視線を向ける。
「座っていいんだよ?」
「ごめん、上から話しかけてたね」
私はベッドの隣に椅子を移動させ、腰を下ろした。
「メルナは?」
「自分の部屋。ビスケット食べるのに忙しいって」
「どういうことだよ」
ロネの乾いた笑い声が壁に吸われていく。部屋の中が静かになった。
私は窓の外に見える星空を見上げた。小さな星が精一杯に輝いている。星座には詳しくないため、元いた世界と同じ星空かどうかは分からない。
「負けたんだね」
水面に雫が落ちたように、ポツンと呟いた。
「ううん、勝ったんだよ。私たち」
「そうじゃない。俺はエルに負けたんだよ」
ロネは部屋の壁を一点だけ見つめていた。
「仕方ないよ。相手が強かった」
「昔は勝てたんだ。特異魔法のおかげで」
戦場での会話から、二人が知り合いなのは気付いていた。
「どういう関係なの?」
ロネの目線が、一瞬だけ私に向いた。だが、すぐに壁に戻されてしまう。
「同じ村にいたんだ。スタっていう村。小さい頃から一緒に遊んでた」
「幼馴染ってこと?」
ロネは唸りながら首を鳴らした。
「幼馴染でもあるし、家族でもある、みたいな感じだね」
「ちょっと複雑?」
ロネは小さく頷いた。
「でもさ、俺とエルが組めば負けなしだったんだ。村の大人よりも狩りができたし、村が山賊に襲われた時も、俺たちで追い返した」
「なんか楽しそう。私には、そういう友達っていなかったから」
「記憶にないだけじゃなくてか?」
「え、あー、うん。きっといなかったよ。いたら忘れないと思う」
記憶が曖昧だと言ったことが、少し抜け落ちていた。
私は怪しまれていない事を願いつつ、ロネの言葉を待つ。
「小さい頃、歳の近い相手は周りにいなかったのか?」
「うーん、まあそんなところかな」
ロネの反応は変わらなかった。
「ねえ、そんな幼馴染なら、どうして二人は別々になったの?」
「女神の聖紋だよ」
「これが原因……?」
私は自分の左手にある、女神の聖紋を見る。
「ああ、エルには女神の聖紋が現れて、俺には現れなかった」
「あ、そういうこと……」
悪い事を言わせてしまったような気がした。
そんな私に気が付いたのか、ロネは首を振って笑みを浮かべる。
「別に、それ自体は気にしてないんだ。スタはさ、本当に何もない辺鄙な村だから。あいつに女神の聖紋が現れた時は、村のみんなでお祝いしたんだ」
私は静かに頷いた。
「それで、あいつは王都に向かったんだ。王国聖守隊になるために」
「ロネは村に残ったの?」
「ああ。でも、またいつかエルと一緒に戦いたいって思ったから、スタの近くにある町の警備をしたりしてさ。いつか王国に仕える兵士になるために」
「すごい。努力したんだね」
「まあね。思い返せば、なかなか大変だったよ」エルは微笑しながら言葉を続ける。「その後、エルが女神の聖剣を扱ったって知らせがスタにも届いて、もう村中大騒ぎだったよ」
エルが持っていた剣を思い出す。虹色に光を放つ、絵画にも描かれていた剣だ。
「あの剣って、他の人は使えないの?」
「斬るだけなら話は別だけど、魔素具だから魔力を流せるんだ。女神の聖剣に魔力を流せるのは、作った女神様自身か、勇者だけなんだよ」
「それなのに、どうして魔王の味方なんかに……。やっぱり、勇者の使命って魔王を倒すことなんだよね?」
夕陽が好きな物語でも、勇者は魔王を倒すのが基本だ。
「ああ。それが伝承であり、女神様の教えだよ。でも、エルはそれを破った。そのせいで、スタのみんなも……」
ロネはシーツを握りしめていた。皺が手の中へと集まっていく。
「何か、あったの?」
「裏切り者を育てた村だと汚名を浴びせられ、村の作物が売れなくなったり、低俗な貴族たちが不当な搾取を始めるようになったりしたんだ」
私は言葉を返す事ができなかった。
「村長は村の生活を守ろうとして、貴族に歯向かったんだけど……火刑によって殺された。見せしめのように」
「酷い……そんなのって」
「今のスタは荒廃した廃村同然だよ。男は盗みをやったり、女は体を売り始めたり、そんなことまでしないといけない人まで出てきた。魔王に支配されたメルへ王国と同じだ」
「だから、エルに会うために旅を……」
ロネは俯くように頷いた。
「ユミと出会うまでは、メルへまで向かうつもりだった。エルを助け出して、そのまま二人で魔王を討てば、スタの悪評をひっくり返せるだろうって」
「もしかして、メルナもスタ生まれ?」
「いいや、メルナとはピスフの王都で出会って、なぜか付きまとわれてる」
「じゃあ、スタからずっと一人で?」
ロネは小さく笑った。すぐに消え入りそうな声だ。
「甘かったよ。会えばどうにかなると思ってたんだ。エルが自分から、国を裏切るわけがない。何か理由があって、魔王に操られているだけだってさ」
「そんなことないよ!」
私はベッドに両腕を付いて、身を乗り出した。
ロネは目を見開いて私を見ている。
「すごいよ、ロネは。ずっと一人で、大事な友達を信じてたんでしょ? それって、すごいことだよ」
「そう……なのか?」
私は体勢を戻して、椅子の背もたれに深く寄りかかる。
「私は、一人じゃ何もできないから」
「何もできない?」
「一人が怖いの、どうしようもなく」
「だから、協力してくれたのか?」
私は返答に悩んでから、諦めるように頷いた。
「ごめんなさい」
「どうして、謝るんだ?」
「だって、利用したみたいだから」
ロネは口元に手を当てて笑い声を上げた。
「な、何で笑うの?」
「だって、最初に利用したのは俺だよ?」
言われてみれば、そうだった。
エルが攻めてくると知ったロネは、女神の聖紋を持った私を戦場に向かう口実にした。
「ホントだ。騙された」
「何でさ、騙してないよ」
二人の笑い声が、小さな部屋の中に響いた。
「でも、騙したと言えば、まだユミには協力できないね。ごめん」
ロネは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すぐにエルを取り戻せると思ってたから……」
「ううん、それは平気。私も、エルにもう一度会わないといけなくなったから」
「ユミも? どうして?」
私はネックレスを手に取って、ロネに見せる。
「これ、知ってる?」
「首飾り……? 見たことないかな。珍しい形だね」
「そう、珍しいものなんだ」きっとこの世界ではね、と心の中で付け加えて言葉を続ける。「でも、エルがこれを見て反応したんだ。これを見たことがあるみたいに」
「つまり、ユミの目的を果たす鍵を、エルが持っているってことか?」
「うん、そんなところ。だから、私も会わないと」
正確にいうと、元の世界に帰るという目的とは関係ないかもしれない。
しかし、エルの見たネックレスが司のものなのではないか、という考えが頭から離れないのだ。
謎の世界に飛ばされて、そこに司がいるなんていうのは都合のいい話だ。確証もない、確信もない。これは私の願望でしかない。願望という期待だ。
「ありがとう。こんなに協力してくれて」
「終わったら、私にも協力してもらうから。それでおあいこ」
「ああ、任せてくれ」
ロネは目元を細めて、白い歯を見せた。
私は立ち上がって、椅子を元の位置に戻す。
ロネは再びベッドへと体を横たえていた。
「ゆっくり休んでね」
やはり、ネックレスについて知っているのはエルだけのようだ。
私の中で、願望に似た期待が膨らんでいく。
しかし、このままエルに会ったところで今回と何も変わらない。ロネがエルを説得するためには、二人が離れてから、エルの身に何が起きたかを知る必要がある。
これまでは振り回されてばかりだったが、やらなければならない事がようやく明確になった。
私はドアノブをしっかりと握って捻る。
明日にやらなければならないことを整理しながら、自室へと戻っていった。
第7話を読んでいただき、ありがとうございます。
叩扉なんていう言葉があるんですね。
何でも、漢検準一級レベルの熟語のようです。
覚えて帰っていってくださいね。