第4話 私は協力を約束し、盗人は金貨を強奪する
真上にあった太陽が、徐々に西の方へと傾いていく。
私たちはメルナの希望で、王国聖守隊の基地から近い位置にあるカフェに座っていた。
「本当に申し訳ないっ!」
目の前で、ロネが頭を下げている。白いクロスをかけたテーブルに、ぴったりと額がくっつくほどだ。
通りを歩く人々が、私たちの座るテラス席にちらりと視線を向ける。
「とりあえず、頭を上げて」
ロネは言われた通りに頭を上げる。額は赤くなっていた。
「無理矢理巻き込んでしまって、すまない。咄嗟に体が動いてしまって」
「いくら何でも、戦場なんて無理だよ」
戦う能力のない私がそんなところに行くなど、死にに行くのと同じだ。
「お前のことは責任を持って守るよ。お願いだ。力を貸してくれないか?」
「そんなこと言われても……」
私がやらなければいけないのは、元の世界に戻る方法を探すことだ。この国の信仰地を守ることではない。
だが、マスルのあの剣幕では、先ほどの話をなかったことにするのも難しいだろう。
「大丈夫だよ。ユミは力もあるし」
私の隣に座るメルナは、メープルシロップがたっぷりとかかったホットケーキを口に運ぶ。
こんな状況でなければ、その甘くとろけそうな香りを漂わせるものを私も食べたい。だが、今はそれどころではないのだ。
だいたい、メルナが木彫りのひよこを壊さなければ、こんな事にはならなかったのではないだろうか。
「確かに強力な魔法ではあるね。あれは、ものを消せる魔法でいいのか?」
「魔法……なのかな。でも、あの時は何も考えてなかったし」
私は記憶を辿る。エリスが私にナイフを振り下ろした時、偶然にも左手で受け止める形になった。あの時、確かに左手に触れたはずのナイフが、どこかへ消えてしまった。
「魔法に関する記憶はないけど、使い方は体が覚えているってことか?」
ロネの考えは絶対にありえない。なぜなら、私が元居た世界に魔法なんてものは存在していないし、そもそも記憶を失っていないからだ。
「魔法って、何かを唱えたり、書いたりしないといけないものじゃないの?」
魔法が登場するような作品は、妹の夕陽が好きだった。魔法というと、呪文や魔法陣などが必要とされる場合が多い気がする。。
「ううん、魔法はね、体の中にある魔力を放出して、魔素と反応させることで生み出すんだよ」
「魔素……? 空気中にあるもの?」
「ああ。世界を構成する物質の一つだ。女神様は、この魔素で世界をお作りになったと言われているよ」
魔法で元の世界に帰る方法があったりしないだろうか。そんな都合のいい期待が脳裏によぎる。
「もし、ユミが戦いに行かなかったら、ここでお別れってことだよね……さびしいな」
メルナはフォークとナイフを皿の上に置く。食器のぶつかる寂しい音が細々と響いた。
嫌な音だった。同じ音を知っている。孤独な自分が鳴らした音だ。
例えば、私が王国聖守隊から逃げ出せば、戦場に行かないことは容易だ。だが、その場合はこの世界で生活する場所を探さなければいけない。
それに、ロネとメルナにはそれぞれの目的があるはずだ。いつまでも私と一緒にいる理由はない。
せっかく紹介してもらった王国聖守隊を抜け、さらに二人と別れてしまえば、私はこの世界で一人になってしまう。
想像しただけで、心臓が縮こまって痛み始める。手足の先から震え始め、力が抜けていく感覚がする。
私だけで元の世界へ戻る方法を見つけられるだろうか。
突然、何かが爆発したような音が響く。その場が揺れたような錯覚すら覚え、私の意識は外に戻される。
通行人がどよめいて、通りが慌ただしい空気に包まれる。
畳みかけるように再び爆音が鳴る。
二つ先にある建物の出入り口から、まるで墨のように濃い煙が吐き出される。木が焦げたような臭いが周囲に広がった。
人々は騒ぎ声を上げ、混乱していた。その場から逃げ出す人、足踏みして狼狽える人など、反応は様々だ。
煙の中から一人の男が飛び出す。団子のような鼻をしたその男は、背中に大きな袋を背負ってこちらへと走ってきた。
「盗人か!」
ロネは椅子の横に掛けていた剣を手に取り、店の柵を跳び越えて通りに出る。
「まだ全部食べてないのに!」
メルナはもう一口ホットケーキを頬張ると、出口に向かって走る。
私もその後を追うように、テラス席から通りへと向かった。
男はロネ目がけて一直線に突っ込んでいた。
ロネは鞘に収めたままの剣を、男に向かって振りかざした。剣は空を斬るように音を立てる。
男の姿は霧のように揺れて薄まっていき、その場から消えた。
「え……消えた?」
「これ、魔法だよ!」
「煙幕は陽動か……。盗人は煙の中にある路地を通って逃げたんだ」
私たちは黒い煙の塊に近づく。
すると、煙幕の中が仄かに赤く染まる。みるみるうちに赤色部分が大きく、濃くなっていく。
煙幕に数十個の穴が開いたかと思うと、そこから炎の玉が飛び出した。
「ユミ、危ない!」
私とメルナの間に、大きな水の壁が広がる。
炎の玉は壁にぶつかると、水に溶けたような音を出して消えていった。
「あ、ありがとう!」
「これが私の水魔法だよ! スゴイでしょ」
「うん、すごい。あ、ロネは!?」
ロネは怪我一つない様子で、その場に立っていた。
いったい、どうやってあの炎を対処したのだろう。
「今の攻撃、全て本物じゃなかった」
「本物じゃない……? どういうこと?」
「最初に男が消えたように、炎の魔法も消えたんだよ」
煙幕が空気中に薄く広がっていき、ゆっくりと消えていく。その中に盗人らしき人影はいない。
「まだ遠くには行っていないはずだ。追おう!」
ロネは道幅の狭い路地へと駆けていく。
「私たちも行こう、ユミ!」
メルナに名を呼ばれ、彼女に付いていくように路地へ入った。
路地には日の光が当たらないのか、どこか湿っぽい。石畳の隅からは苔が生えている。
「この先はどこに繋がってるの?」
「俺たちが入ってきた門の近くだ」
あの警備では盗人は外に出ることができないはず。姿をくらました後にどこかで恰好を変え、この王都から出て行くという計画だろうか。
「二人とも、足、速い……お腹の横、痛くなってきた」
私は振り返る。メルナとの距離が数メートル離れていた。
確かにお腹に何かを入れた後のダッシュは辛い。こればかりは仕方ないだろう。
「見えたよ!」
道を曲がると、一瞬だけ次の角を曲がる背中が見えた。
だが、その路地から再び煙幕が広がる。
この狭い空間では、そう簡単に晴れてくれないだろう。
「厄介だね……」
「でも、相手の人数はそんなに多くないと思う」
「どうしてだ?」
溢れる煙幕が、こっちへと押し流されている。みるみるうちに、黒い靄が眼前まで迫っていた。
「数が多い集団なら数で圧倒すると思うし、炎の魔法に偽物が混ざっているとか、いかにも大きい集団ですってアピールしてる気がする」
「なるほど。じゃあ、このまま突っ切るよ!」
「え? いやそれは……」
相手の数が少ない事と、視界不良な事は別問題ではないだろうか。
「大丈夫。魔法は全部防げるさ!」
私たちはそのまま暗い煙の中へと飛び込む。足音と息遣いでロネが近くにいるのは分かる。
だが、どこか心細い。
目の前がぼんやりと赤らむ。炎が近づいてきているのだ。
「ロネ! 本当に大丈夫なの!?」
私は大声を出して、確認をする。その時、迫っていた炎が一瞬にして消えた。
「大丈夫だよ、ちゃんと守る。信じてくれ」
「もう。信用するからね」
「ああ」自信に満ちた返答をするロネの足が止まる。「止まって! 敵は二人」
目の前にぼんやりと人影が見えた。手に何かを握っている。
人影は手に持ったものを振り下ろすようにして、ロネに斬りかかった。
「甘いよ!」
ロネは剣を構えてそれを受け止める。金属音が響く。男の手にあるのは刃物だ。
さらにロネは、剣に力を加えて人影を押し返した。
背後に気配を感じ、私は慌てて振り返る。もう一人の人影が目の前まで迫っていた。
「それは魔法の偽物だ!」
ロネが声を上げると、人影は霧のように消えていった。
さらには正面から重低音が近づいてくる。
一息入れる間もなく、強風が路地に駆け抜けた。風は煙幕を吹き飛ばす。
目まぐるしく変わる状況に、思考が付いていかない。
正面に伸びる路地は二股に分かれていた。
一方には二人組の男が立っている。ロネに力押しで跳ね返された男と、もう一人のやせ細った男だ。
分かれたもう一方には、同い年くらいの女がいた。淡い紫に輝く、白いロングヘアーは背中を隠している。肩だしの白いワンピース型の服が可愛らしい。
「煙幕の中で交戦中? ……そこのツンツン緑髪と黒髪ボブカット! そこの二人はあたしがどうにかするから、奥に逃げたやつを追って!」
やせ細った男がロネに炎の弾を放つ。
女は即座に反応し、炎に水の弾をぶつけた。水の魔法は炎を飲みこむようにかき消す。そのまま勢いよく壁に衝突した。
「行こう、ユミ!」ロネは刃物を持った男を押しのけながら走りだす。
男が体勢を崩したタイミングを見計らって、私も走り出す。しかし、やせ細った男が私に向かって魔法を放つ素振りを見せた。
「そのまま走り抜けるんだ!」
強張る体に鞭を入れ、ロネの言葉に従う。
すると、女の水魔法がやせ細った男の横っ腹に直撃した。
私は振り返って背後を確認する。
二人の男が追ってくる様子はなく、女が一人で立っていた。
少しばかり走ると、民家の裏口が面しているやや開けた空間に出る。
私たちはその空間を横切って、さらに奥へと向かおうとする。
しかし、隅に置かれていた樽と木箱の物陰から、袋を持っていた男が飛び出した。
男は私を後ろから抱えて拘束する。首に男の太い腕が強く押し付けられた。
私は咄嗟の出来事に咳き込む。目尻には涙が浮かんだ。
「動くなよっ!」
男は叫ぶ。耳の近くで大声を出され、鼓膜が痛い。首筋には少し刃の欠けた短剣の、冷たい質感が触れた。
喉の僅かな動きでも短剣が食い込んでしまうかもしれない。そう思いながら、ゆっくりと唾を飲みこんだ。
息を短く吐く。心臓の鼓動が激しすぎて、不自然な脈拍になっている気がする。
「動いたら、分かってるな?」
司に似た彼の目が、鋭い視線を男に向けて放っている。初めて見る表情だった。
「汚い手を……!」
「知ったことか。武器を下ろせ」
ロネは視線を武器に向け、そのまま立ち尽くす。
私を拘束する男の左腕に力が籠った。
首元の圧迫が徐々に締まる。頭が熱くなって、視界が霞む。
「早く下ろせっ!」
男は再び怒号を上げる。声が頭の中で何度も反響した。
ロネは腰に下げている剣を、地面にゆっくりと置く。
それに合わせて、男の力が少しだけ緩んだ。
私は途切れ途切れになりながらも息を吸う。過呼吸を起こさないように、一息ずつ丁寧に呼吸した。
「お前の魔法は何だ」
「攻撃はできない。他の情報は必要か?」
「特異属性かっ! ここで見せろ」
ロネは周囲をきょろきょろと見渡し、首を鳴らした。
「無理だよ。対象がいない」
男は小さく舌打ちをする。そして、私を捕えている腕に力をこめた瞬間、茶色い土の壁がロネの四方に現れ、彼を閉じ込めた。
あの土のような物体が、この男の魔法だろう。ならば、ロネがあそこから脱出するのは容易だ。魔法は全て防げると、ロネは言っていた。
だが、私が拘束されている以上、ロネも下手な動きはできない。
しかし、現状を維持したところで、この男が大人しく放してくれるわけがない。
ならば、自分の力でここから脱出して隙を作るしかない。
私は目をつぶって大きく口から息を吐いた。陸上の試合前に行うリラックス法だ。
目を開けると同時に、素早く左手を伸ばす。そして、首筋に触れている刃物を力強く握りしめた。
男は反射的に体に力をこめる。
気道が塞がれ、息苦しい。だがもう遅い。
手に痛みはなく、刃物を握っている感触もない。刃物は消えたのだ。
「ロネっ!!」
私は叫んだ。
その瞬間、ロネを囲う土壁が霧散する。
魔法が散るよりも早く、ロネは間合いを詰めた。
そのまま振りかぶり、鞘に入れたままの剣で男の顔面を強打する。
男の呻き声と共に、何かが潰れるような鈍い音が鳴った。
男の腕から力が抜けていく。解放された私は、その場に倒れた男を見た。
団子のような平たい鼻から鼻血が出ている。男は気絶していた。
「やったね、ロネ!」
恐怖よりも高揚感が勝っていた。競技で自己ベストを出したような感覚だ。
「ユミ、すまなかった!」
「ううん、平気。怪我はなかったし」
「そうか、よかった……」ロネは剣を腰に固定し、ベルトで位置を調整している。「本当にすまない。それにしても、いい判断だったよ」
「そんな、たいしたことないよ。咄嗟に自分の身を守ろうとしただけだから」
「咄嗟に自衛できるのは、たいしたことだよ」
ロネは気の抜けた様子で笑顔を見せた。
「さて、盗まれたもの持って戻ろう。メルナが心配だし、途中で会った彼女にお礼を言わなきゃね」
ロネは物陰にある袋を手に取る。彼が袋を上下の振ると、じゃらじゃらと、金貨のぶつかる音がした。
どこかおっかなびっくりといった様子で金貨の包みを見つめるロネ。
私は、どこか清々しい気分でその様子を眺めていた。
鉄の鎧を身に付けた男の兵士は、三人の盗人たちを手早く麻のロープで縛っていく。
「許してくれ、俺たちはこうしなきゃ生きられなかったんだ」
やせ細った男は拘束されながら、兵士に訴えかけている。
兵士の男は一言も口を聞かず、気絶したままの男にロープを結ぶ。
「ピスフの兵なら分かるだろう? メルヘ王国をあんな惨状にした魔王が悪いんだ!」
「そうだっ! 魔王が聖堂をぶっ壊して、王族まで追い出した! そのせいで村はならず者の集まりだ!」
「ごたごたうるさいっ!」
女が白い服に付いた汚れを指で擦りながら、盗人たちを睨み付けた。
「盗賊の真似事なんかして、頭悪いんじゃないの? 盗みを働いた時点で、女神様の教えに反してるの。さっさと牢屋で反省しなさい!」
盗人たちは不満げに口ごもる。
「ご協力、感謝します」兵士は小さくお辞儀をすると、三人の男を引きずるように連れていった。
「ねえ、あなた。もしかして、王国聖守隊? 次の戦いに参加するの?」
女は私の左手を見つめていた。
「あ、いや……」私は返答に窮する。
一人になりたくない。だが、こんな素人に何ができるのだろう。先ほどのように足手まといになるだけだ。
「大丈夫だよ。ユミには力がある」
「力? 私に?」
「ああ。武力とは違う、もっと精神的な力だ。さっきもそうだった」
私の心に熱が灯る。高揚感という残り火が、再び炎を巻き上げる。
「頼む! 俺に力を貸してほしい」
一人が怖い。一人では何もできない自分がいる。
二人と離れた自分を想像すると、孤独が蜘蛛の糸みたいに纏わりつくのだ。
ならば、彼らと協力しながら、元の世界に戻る方法を探す方が上手くいくかもしれない。
「その……ロネの目的が終わったら、私に協力してくれる?」
「ああ、もちろんさ! 俺にできる事なら、何でも」
「分かった」私は女に向き直って言葉を続ける。「次の戦い、参加するよ」
「そう。じゃあ、私も付いていくから」
「えっ……?」
素っ頓狂な声が漏れた。
戸惑う私の様子などお構いなしに、女は目にかかっていた髪を払いのける。
「アーティ・セルフサブよ。よろしく」
私がロネの方へ視線をやると、彼は首を鳴らした。あれはきっと、呆れている。
「何で付いてくるのか分からないけど……もういいか。今に始まったことじゃないし」
ロネはメルナを見ていた。彼女のことを指しているのだろう。
「なーに?」
「いや、何でもないよ」
「えっと、じゃあアーティ、よろしく」
「ええ、ありがと」
私は右手を差し出す。
アーティは私と大きさの変わらない手で、力強く握手を交わした。
第4話を読んでいただき、ありがとうございました。
今回は間違えませんでした。