そんなに強く主張するほどではないけど、今日はもう帰りたい
登場人物
・持田:語り手。ボードゲームにハマりかけている。
・広瀬:ボードゲーム会の主催。実家が太い。
・増井:持田と広瀬の共通の友達。声が大きい。
・多賀:広瀬のボードゲーム仲間。声が小さい。
1
「それじゃあ、全員、《正体》をオープンしてくれ」
広瀬がニコニコの笑顔で言った。
俺たちは一呼吸ぶんの間を空けてから、それぞれ自分の前に置かれていたカードを裏返した。
「あぁ~~~!」
増井が掌で額を押さえて、大きな声をあげた。
「広瀬が《裏切り者》だったのか! ぜんぜんわからなかった!」
俺たちはボードゲームを遊んでいた。いま遊んでいたのは、いわゆる《正体隠匿系》と呼ばれるゲームだ。最初に《正体》が配られ、お互いの正体を隠しながらプレイする。ほとんどのプレイヤーはゲームの成功を目指すのだが、正体が《裏切り者》だった場合は、逆にゲームが失敗することで勝利する。
いま、俺たちが遊んでいたゲームは失敗し、広瀬だけが《裏切り者》だった。
つまり、今回のプレイは広瀬の一人勝ち。他の三人は――俺も含めて――敗者となった。
「《裏切り者》は広瀬か持田だと思ってた」
ぼそりと、多賀が呟いた。しゃべり方はぼそぼそしているが、特段陰気な性格というわけではない。大きい声を出すのが苦手なだけだ。
「うっそ! 俺はずっと持田だと思ってた」
と、増井。いまだに高校生の時の体育会系のノリが抜けない奴で、ときどき、声の大きさで多賀をビビらせている。
「序盤は普通にプレイしてたから、わかりにくかっただろ?」
勝った広瀬は上機嫌だ。広瀬はこのボードゲーム会の主催で、もともとボードゲームが好きらしい。ゲーマーはだいたいそうだが、ゲームが終わった後に内容を振り返ってしゃべるのが好きだ。
「そう、それで広瀬は《裏切り者》じゃない認定してた」
「というか、持田の動きが怪しすぎ」
「言えてる!」
話題の矛先が俺の方に向いた。
「いや、あれには理由があってさ……」
確かに、俺のプレイは拙かった。でもこのゲームを遊ぶのは初めてだったのだから、多少の選択ミスくらいは許されるべきだろう。
「まあ、俺からしたら持田が何考えてるかもわかってたよ」
「そりゃ、広瀬は自分以外は《裏切り者》じゃないって知ってるからな」
増井は楽しそうに笑った。広瀬は勝利を噛みしめている。多賀は……表情が読みにくい。
広瀬は俺たちの前に置いてある《正体》カードを集めて、混ぜ直している。
どうやら、もう一度プレイする気らしい。
(もう一度は遊びたくない)
腹筋の上の方がほんの少し引きつってくる。
我ながらわがままだと思うが、俺はこのゲームを気に入ってなかった。自分のプレイミスを差し引いても、プレイ時間が長い割に、盛り上がる要素がすくない。
パーティゲームなのだからもっとサクサク遊ぶべきなのかもしれないが、そこはゲーマーのサガというやつで、みんな負けたくないのでけっこう考えながらプレイしてしまう。その結果、プレイ時間がますます長くなっていた。自分の手番が来るまでは盤面を見守るしかないので、ぼんやりしてプレイミスをしてしまっても仕方ない、と思う。
でも、貴重なプレイ機会を提供してくれているこのゲーム会を気まずい雰囲気にはしたくない。
(……なんとかして、『今日は終わりにしよう』という方向に話を持っていきたい!)
しかも、和やかなゲーム会の雰囲気を崩さないままで。
俺の、静かな戦いがはじまろうとしていた。
2
隔週ごとのゲーム会は、広瀬が中心になっている。
広瀬はもともとかなりのボードゲーム愛好家らしい。最初に会った時は50個以上のゲームを持っていると言っていたが、最近は100個以上と言っていた。
半年ぐらいの期間で倍増している。全部は遊び尽くせないだろうに、面白そうだとつい買ってしまうのだそうだ。
俺と広瀬はもともと面識があったわけではない。俺の昔からの友達だった増井が、大学で広瀬と一緒に遊ぶようになったのがきっかけだ。広瀬からボードゲームを遊ぶのに手頃なメンツがいないか、と聞かれた増井が、俺を紹介したという流れである。
増井は俺がゲーム好きなことを知っていたし、俺も、きっかけがあれば遊びたい程度にはボードゲームに興味があった。知らない相手と初対面で遊ぶのはすこし抵抗があったが、まあ増井がいるから大丈夫だろう、と思ったのだ。
そして、広瀬と多賀に紹介された。
広瀬はたぶん、親が金を持っているタイプだ。直接本人に聞いたわけじゃないけど、普段の振る舞いを見ていればなんとなくわかる。人当たりがよく、ハキハキしていて、時々抜けてる。
多賀は広瀬の昔からの友達らしい。しゃべり方こそぼそぼそしているが、それを除けば細かい気配りができて、時々鋭いジョークをいうこともある。たぶん、もともとの頭がいいんだろう。
最初に会ったときは(俺とは仲良くなれないタイプかもしれない)と思ったのだが、一緒にゲームをするうちに、そんな印象はまったくなくなっていた。
日常的にべたべた付き合うのではなく、ゲームを遊ぶときだけ顔を合わせる、という距離感もよかったのかもしれない。ゲーム会が終わった後にそのまま飲みに行く、なんてこともなく、その場でスパッと解散するから、気楽だった。
広瀬が持ってきたゲームを遊ばせてくれるから、俺は手ぶらで会場まで行けばいい。貸し会議室の場所代だけは四人で等分して払っているが、それ以外の負担はほぼゼロだ。
広瀬も自分が買ったゲームを遊びたいだけで、俺たちにタダで遊ばせることには抵抗がないようだ。
そんなわけで、俺はゲームの楽しさに集中することができた。
さいわい、広瀬の持ってくるゲームは面白いものが多かった。電源ゲームばかり遊んでいた俺は、テーブルの上で遊ぶゲームでもこんなに色んなアプローチがあるんだ、と驚嘆したほどだ。
手ぶらで行って、遊べばいいだけ……
そんな隔週ごとのお楽しみだった。
だが今、俺は初めて「もう遊びたくない」と思うゲームに正面衝突してしまった。
3
問題を整理しよう。
俺はこの《正体隠匿系》のゲームがあまり好きではない。
だが、広瀬はノリノリでもう一度遊びたがっている。
それをわざわざ止めて「別のゲームを遊ぼう」とか「今日はもう帰らせてくれ」というのは、悪い心証を与えることになるだろう。
何も、二度とゲーム会に呼ばれなくなるとか、そこまでの関係の悪化につながることはないだろう。
だが、広瀬から見て俺はちょっと緊張感のある相手に見えてしまうかもしれない。広瀬にとって楽しいゲームを、俺が喜ばない場合がある、となれば、気を遣わせてしまう。
俺はお互いに気を遣わないでゲームを遊べる関係が気に入っている。それを変化させたくない。
他人から見れば些細なことだろう。だが、俺は「人に気を遣われている」と思うと、途端に心理的な距離感を感じてしまうのだ。
繊細とか、コミュニケーション下手とか、言いたければ言ってくれて構わない。
我慢してゲームを遊べばいいじゃないか、と思われるかもしれない。だが、それも熟考の余地がある。
もしかしたら、次のプレイでは俺はもっと退屈そうな態度になってしまうかもしれない。俺だってできるだけ楽しそうにプレイしたい。したいが、俺が退屈に感じていることを他の三人が感づかない保証はない(増井は気付かないだろうが)。
気付かれてしまえば、やはり次からゲーム選びやプレイに気を遣わせてしまうことになるだろう。それは望むところではない。
「もう一回やる?」
何気ない調子で多賀が聞いた。
「うん」
広瀬が答える。
「負けっぱなしじゃつまらないだろ?」
(たしかに)と俺は思った。
俺がさっきのゲームをつまらなく感じたのは、俺が負けたからかもしれない。広瀬があんなに楽しそうにしているのだから、《裏切り者》としてのプレイはもっと面白いのかも。
(いや……)
その可能性は低い。そもそも俺は、たとえゲームでも他人をだましたり裏切ったりするのは不得意だ。お互いが了解した上で競争やリソースの取り合いをするのはいい。だが、「表向きは協力しながら」という要素が入ると途端にダメだ。ゲーマーとしてどうかと思うが、嘘をついてはいけない、他人を疑ってはいけないと言われて育った良心がズキズキ痛むのである。
他の三人はどうだろう? 広瀬は(少なくともゲームの中で)他人を裏切ることには良心の呵責を覚えていないらしい。増井はそこまで深く考えてないだろう。多賀は……よくわからない。
もう一度プレイして、俺が勝つことができれば、彼らも「このゲームはあまり面白くないな」と感じるだろうか?
……それは難しい気がする。彼らは楽しんでプレイしているように見えた。嫌がっているのは俺だけだ。
「ここ、何時までだっけ」
少しでも苦痛を先延ばししようと、俺は壁に目をやった。
そこにかけられている時計の針は17時30分を少し過ぎたところだった。
「18時まで」
多賀がぼそりと答えた。会議室の予約を取るのは多賀の担当らしい。
(ということは、残り時間は30分もない!)
これは俺にとっていい情報だ。
いままでの経験から言って、ゲーム会は借りている会議室の時間切れ10分前までに切り上げる。片付けもしなければならないし、もし1分でも超過したら延滞料を取られるかもしれない。それだけじゃなく、貸してくれている会場の心証も悪くなるだろう。
『借りる目的はゲームですって言うと、貸してくれないところもあるらしいぜ』
と、増井がぼやいていたのを聞いたことがある。
だから、俺たちはできるだけ品行方正に、会場を汚さず、時間も守って、きっちり使っている。
つまり、18時までといっても実際には17時50分ぐらいが時間の上限だ。そして、さっきのプレイは20分以上かかっていた。
よって、俺が言うべきことはこうだ。
『じゃあそろそろ片付け始めたほうがいいな』
よし。『ゲームをやめよう』ではなく、『片付けをしよう』というのがポイントだ。これなら反論しにくいし、俺が嫌がっているという印象も与えずに済む。むしろ、気を利かせてるように見えるぐらいじゃないか?
だが……俺が論点を整理するのにかけた時間はあまりに長すぎた。
「もう一回できるな」
と、増井が何気なく言ったのだ。
4
「じゃ……」
用意していた言葉を言おうとして、俺は固まってしまった。これでは『じゃあそろそろ……』に繋がらない!
「二回目だからさっきより早く遊べるよ」
広瀬は先手を打ってきた。いや、彼としては俺にフォローしてくれているつもりなのだろう。
ここで嫌がる素振りを見せたら、それこそ緊張を与えてしまう。
「うん……」
逃げ道を塞がれてしまった。もはや、俺に残された選択肢は『不機嫌にならないようにプレイに付き合う』しかない。今日、あと30分だけ我慢すれば、次回またこのゲームを遊ぼう、とはならないだろう。次のゲーム会までのあいだにも、広瀬は新しいゲームを買い、そっちに興味を移すはずだ。
「あ、でも」
俺がうなだれているとき、助け船は意外な方向からやってきた。
「次の予約とかもしないと。受付も18時までだし」
多賀はしきりに時計を気にする素振りを見せている。
そのとき、俺は気付いた。
(多賀も乗り気じゃない!)
ポーカーフェイスでわかりづらいが、多賀も俺と同様、《正体隠匿系》が苦手なのだ。広瀬に合わせて遊ぶのに慣れているから、俺よりもわかりにくいだけだろう。
そして、俺が嫌がっている雰囲気を敏感に感じ取り、切り上げる方向に話を向けてくれている。
これで『遊びたい派』と『今日は終わり派』は2対2。パワーバランスは大きく変化した。
「予約は5分もあればできるだろ?」
と、広瀬があっさり言う。その時、俺は気付いた。
2対2ではない。広瀬はこのゲーム会の主催であり、ほとんどのゲームを自腹で買っている。
その影響力は少なく見積もっても二人ぶん。だから、『遊びたい派』は3票持っているようなものだ。
俺はちらっと多賀を見た。多賀は一瞬目をあわせてからすぐに伏せた。
アイコンタクトで、多賀がほぼ同じ結論に達しているらしいことが伝わってきた。そういう目をしたのだ。
「次は《裏切り者》だといいな」
何も考えていない増井は、手ぶりで『早くカードを配ってくれ』と示している。
こいつ、自分が今の状況を動かす一票を持っていることに気づいていないのか? 気づいてないだろうな。考えるまでもなかった。
2対3の状況を変えるためになんとか増井を引き込めないかと俺は考えていた。ほかの3人全員が乗り気でないと気づけば、さすがの広瀬もこのまま遊ぼう、とは言いにくいだろう。
それに、その場合は俺だけに気をつかわれているわけではない。俺が感じる心理的負担は3分の1。俺のせいで解散になるよりもはるかに気が楽だ。
「それじゃ、配るぞ」
そう言いながら、広瀬はカードを配ってしまった。俺の前にも、裏向きのカードが伏せられてしまう。
(無理か……)
ゲームはもう始まってしまった。今から「もう時間がないから」と言い出すなんてことはできない。そこまでわがままなゲーマーにはなりたくない。
「あっ!」
と、増井が大声をあげた。
「多賀、見えてるよ」
多賀の手元のカードが、どうやら増井から見えてしまったらしい。
増井自身は軽い調子の物言いだったが、彼を除くゲーマーにとってはそれは重大な意味を持っていた。
「多賀の《正体》がわかった?」
「わかっちゃった」
返事を聞くと、広瀬は途端にプレイのモチベーションを削がれたようだった。
「それじゃゲームにならないよ。気をつけてくれよな」
《正体隠匿系》ゲームのキモは、自分の《正体》は自分しか知らないということだ。だから、もし誰かの《正体》がわかってしまったら、ゲームは台無しである。
「ごめん」
多賀は頭を下げながら、自分の《正体》カードを広瀬に返した。もう一度遊びたければ、もう一度混ぜて配り直さなければならない。
「はぁ……どうする? もう時間が……」
これからというときに出鼻をくじかれて、広瀬はすっかりやる気を失っている。
(……多賀、ナイス……!)
多賀はごく自然な風を装って増井に自分のカードが見えるようにしたのだろう。さすが古なじみ。広瀬がどういう反応をするかわかっていたのだ。
多少、多賀が泥をかぶる形にはなったが、あくまで事故の範囲だ。
俺や多賀がプレイを嫌がったことは広瀬には感づかれていない。それどころか、広瀬が《正体隠匿系》に悪印象を感じて、次からこれ系のゲームを避けてくれるかもしれない。
「次はもうちょっとヘビー系のゲームが良いな」
フォローも忘れない。『次のゲーム会』に意識を向けさせることで、今の悪印象を引きずらないように誘導するのだ。
「たまには、持田もゲームを買ってみる?」
と、多賀も俺に乗ってくる。
「でもヘビー系は高いだろ?」
「最近はそうでもないって。コンポーネントの割に安いゲームが……」
広瀬の機嫌は回復したらしい。スマホを取り出して、俺にお勧めのゲームを提案してくる。
よし。あと10分、次に何を遊びたいか、なんて話をして時間をつぶして、楽しげな雰囲気で終わることができそうだ!
「なあ」
と、不意に増井が言った。
「早くカード配ってくれよ」
その目はキラキラしていた。
「あ……うん」
どうやら――増井は俺たちがこの貸し会議室の中で微妙なパワーゲームを巻き起こしていたことにまったく気づいていなかったようだ。
(そうだな……)
俺は諦観とともに、広瀬がしぶしぶ配ったカードを受けとった。
場の雰囲気は『遊びたい派』が1で、『今日は終わり派』は4だった。
でも、誰も「俺が裏切り者でした」なんて、現実の人間に対して言いたくはないのだ。
けっきょく、俺たちは(増井を除いて)『今日はもういいんじゃないかな』と思っていることを隠しながら、もう一度ゲームをプレイすることになった。
ちなみに、二回目は一回目よりも慣れていたせいか、あんがい楽しかったことを付け足しておく。
『ソードアート・オンライン』に触発されて書きました。
「出て行きたいのに出て行けない」という話だったので、「帰ってもいいんだけど帰ったら気まずいなあ」というお話にしました。