タライは身を助ける
「ゴホン、コタロウのスキルは置いておいて、アイリや。猫化のスキルを使ってみてくれんかね」
「は、はい!」
愛莉が一歩前に出て集中するため目を瞑った。さっき、スキルの使い方は何故か理解出来たので、愛莉も多分同じだろう。
「猫化!」
その言葉と同時に、天つらヘアーの横に、ぴょこんと可愛らしい猫耳が生え、制服のブレザーの裾からにゅっと長い尻尾が出てきた。
これがスキル猫化の効果か。俺は目の前で揺れる黒い尻尾を眺める。愛莉の髪と同じで全てを吸い込むかのような美しい黒だ。毛並みもツヤツヤしていて触り心地が良さそうだな。
ふむ。ここはやっぱり――
ギュッ
「にゃぁっ!?」
愛莉のものとは思えない、甲高い声が響いた。直後、愛莉が尻尾を抑え、顔を真っ赤にして振り返る。
「アンタねぇ! いきなり何すんのよ!」
愛梨の手が伸びてきて、俺のこめかみを圧迫する。いわゆるアイアンクローだ。
「痛い痛い痛い! 違うんだ! ただ、尻尾にも神経が通ってるのか確認しようとだな!」
メキメキと音を立てるこめかみに危機感を覚え、必死で言い訳をする。言い訳が功を奏したのか、はたまた満足したのか、ようやく愛莉の悪魔の手から解放された。
「ほぅ。猫のような耳と尻尾が生えるスキルか……。何とも面妖な」
マギーア爺さんは俺たちのじゃれ合いに慣れ始めたのか、完全スルーでスキルの考察を始めた。
「ん? こっちの世界には獣人とかいないのか? 後、エルフとかドワーフとか」
「異世界からの訪問者は皆それを聞くのぅ。残念ながら存在しないんじゃ」
「異世界なのに獣耳っ娘がいないだと……!? 神はいないのか!?」
そう叫んだ瞬間、頭上からタライが降ってきた。
「痛てぇ!」
いや、反射的に叫んだがあんまり痛くない、な。柔らかい金属で出来てるみたいだった。痛みをあまり与えないような造り。完全にイタズラ向けだな。素晴らしいスキル――って、それよりも! 今勝手にスキルが発動したぞ!
もしかして、神様の仕業か? 俺が神はいないだなんて言ったから怒って……んなわけねぇか。大方慣れてなくて間違えて使っちまったんだろう。
「一人でなにやってんのよ」
「そんな事よりもだ。獣耳っ娘が居ないなんて、異世界の魅力半減じゃないか!」
待てよ。獣耳っ娘なら目の前にいるじゃないか。そうか、愛莉のスキルは俺の為に用意されたものだったんだな。それなら遠慮はいらない。
俺は愛莉の猫耳を指で撫で始めた。
「ちょ、やめ、やめなさいよぉ」
愛莉は顔を赤く染めながらくねくねと動いて俺の指を避けようとする。だがそうはさせじと俺の手が追いかける。すると徐々に愛莉の息が荒くなってきた。
ふっ、近所の野良猫で鍛えた俺の撫でテクに屈するがいい!
調子に乗っていると、愛莉がぷるぷると震えたかと思うと、右拳を腰だめに構えた。
「やめなさいって、言ってるでしょぉー!!」
愛莉の右拳は真っ直ぐに俺のみぞおちへと吸い込まれていく。咄嗟に両手でガードをするが、そのまま吹き飛ばされた。
まずい! 飛んだ先にはテーブルがあるぞ! このままぶつかったら流石に痛いっ。
「タライ召喚!」
大きなタライを横向きで召喚し、体を丸めてその中に入った。即席の盾だ。タライに入った俺はテーブルにぶつかるが、衝撃以外のダメージを無くすことには成功した。
わざとよろよろと立ち上がり、出てもいない血を拭うように拳で口元を擦る。
「ナイス、猫パンチ……!」
「オーバーリアクションはやめなさいよ! 私が凄い怪力みたいじゃない!」
俺はちらりとマギーア爺さんを見る。よかった。今吹っ飛んだのは俺の悪ふざけだと思ってもらえたみたいだ。
猫化の効果は、身体能力の強化みたいだ。さっきのアイアンクローも今のパンチも、前までの愛莉の力とは比べ物にならなかった。これがマギーア爺さんに知られたら、有用だと判断されるかもしれない。
何としても隠し通さないとな。
「もうええかの? それで、猫化の効果は何なんじゃ。説明文は、猫の力を身に宿すじゃったか? 何か変わったことはないかの。力が強くなったとか、猫じゃから……走るのが早くなったとか」
くっ、マギーア爺さん正解だぜ。長いこと生きてるだけあって鋭いな。
「じゃあちょっと試してみます。軽く走ってみますね」
軽くと言っておきながら、愛莉はクラウチングスタートのポーズをとった。
「位置について、よーい」
俺は愛莉の動きを誘導するために、愛莉の隣に立ち、開始の合図を買って出た。
どん! と言う代わりに手を大きく鳴らし、同時に愛莉の耳にふっと息を吹きかけた。
合図と共に走り出した愛莉だったが、俺のイタズラで力が抜けたのか、特に速いということもなかった。気を取り直して全力を出す前に、壁に到着したので愛莉は足を止めた。
愛莉は今回のイタズラを咎めようとはしなかった。実際に体を動かして、身体能力の強化に気づいたのだろう。そして、俺の意図にも気づいてくれた。
「どうやら、足が速くなったわけじゃなさそうだな。じゃあ、耳が良くなったりはしてないか? ほら、猫は耳がいいし」
身体能力から注目を逸らすべく、俺は聴力の変化を聞いてみた。
「……あ、確かにいつもよりよく聞こえる。誰かが近づいてきてる足音が聞こえる」
適当言ったのに、当たりだったか。
愛莉が言った数秒後、部屋の扉が開けられ、背が高く、イケメンだが、目つきが異様に悪い男が入ってきた。
魔法使いのローブに三角帽子を被ったマギーア爺さんとメイド服のメイドさん、そして全身鎧を着た全身鎧くんとファンタジーな服装ばかりの空間には場違いな黒いスーツを着こなしている。だが、目つきが悪すぎてヤのつく職業の方にしか見えない。
スーツは俺たちより前に元の世界から来たヤツらが伝えたんだろう。思っているより、この世界は元の世界に近い文化になっているかもしれないな。
「猫化の効果は聴力の強化で決まりみたいじゃな」
マギーア爺さんは髭を撫でながら一人頷いている。そして、入ってきた人物に目を向けると残念そうな目をした。
「お主が来たということは、儂の役目は終わりか。コタロウとアイリともっと話したかったんじゃがのぅ」
「話す機会くらい、いくらでもあるでしょう」
凶悪な目付きの男はやれやれと頭を振ると、俺と愛莉の方を向いた。
「あー、俺はお前達の担任になる、フロワ=ヘルツィヒだ」
「担任……? 何の話だ?」
「まだ説明してないんですか、学園長」
フロワと名乗った男は、咎めるような目を向けた。
「すまんの。二人と話すのが楽しくてな」
反省する様子もなく、そう返したマギーア爺さん。フロワはがしがしと深緑の髪の頭を掻いて、心底面倒くさそうに話し始めた。
「異世界からの訪問者が未成年だった場合、学園に通ってもらうことになってる。勇者との契約でな」
「……つまり、俺達はまた学生をやらないといけないわけか?」
「そうなるな」
何だって!? ファンタジー世界に来たのに、冒険者になったり、旅に出たりとかも出来ず、学校に通わないとならないのか!
次の更新は、夜の12時頃の予定です。