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第一話 ラナ・ローウェル

 三島小雪、彼女は本当に同一人物なのか?顔は似ているが彼女は死んでいるはず…。


 「な、なあ、君は―――ゴフッ」


 あれ?なんで口から血が…?

 よく体を確認してみれば、折れた椅子のパイプが左脇腹から肺と心臓を貫いている。心臓の鼓動に合わせて血が噴き出しているが、次第に勢いが無くなり流れる血は大きな血だまりとなっていた。

 寒い、力が入らない、感覚も無くなってきた。はは、元から動ける訳ないじゃないか…。


 「―――ないで―――を――け―」


 彼女が駆け寄ってくるが、何を言ってるのかもう聞こえない。

 目も霞んできた…君は一体誰なんだ…。

 暗い…寒、い…俺は、こ、こで…死、ぬ……のか……。嫌だ…死…にたく、なんか……な―――


 俺の意識はここで閉じた。




 「――かえ。」


 ―――光?その先から微かに女性らしき声が聞こえる。


 「――かえ。―た――え。」

 

 何を言っている。

 よく、聞こえない。


 「戦え。貴方は私たちの為に戦え。」


 は?何を言っている。

 いや聞こえてはいるが、意味が分からない。


 「戦う為の力はすべて与えよう。人の持ちうる限界以上の力を私が与えよう。」


 何故だ、何故俺が戦わなければならない。いや、その前に俺は…死んだはずだ…。


 「新たな命を与えよう。貴方は生き返り、その力で以て私たちの為に戦え。」


 お前は…神、なのか?

 何故俺なんだ?なんの為に戦う?


 「人間より上位の存在という定義ならば、その通りだ。さあ行け、我が命を果たすのだ。」


 真っ白、一瞬にして光は強くなり俺の視界は奪われた。


 「おい!俺の話を聞け!」


 小鳥の囀り、そよ風、昼寝には丁度いい木漏れ日、走り去る狐の親子が三匹、どうやら俺の叫びが原因みたいだ。

 答える者のない俺の叫びは森に消え、只々そこには静寂があるのみだった。

 それにしてもここは何処なんだ?教室じゃない事だけは確かだ。胸の傷も後を残さず綺麗に消えている。最も制服に穴は開いてるし、湿ってる。所々傷がついていてもうボロボロだ。信じたくはない、が…この制服の傷こそが俺が生き返った証なのだろう。まさか教室から何処かの森へ飛ばされるとは聞いてなかったけどな…。

 あー………ダメだ。飲み込める訳が無いだろう、いきなり巨大な蟲に襲われたと思ったら神が現れて私達の為に戦えだぁ?!寝言も休み休み言えってんだ!しかも、あの甲冑を着た女の子、三島小雪だったよな…似てるだけか?でもあの声と顔は確かに…。まさか生き返ったとか?あの神とやら力で。というか、俺も本当に生き返ったんだな…。

 傷があったはずの胸に手を当てて自分の心臓の鼓動を感じ取ると、そこには一定のリズムで確かに動いていた。


 …

 ……

 ………


 うん、帰ろう。もう疲れた。腹も減ったし、何から整理すればいいのかわからん。こんな時は食って寝て、明日学校に行くかニュースを見ればどうなってるのかわかるだろう。ん?ニュースくらいなら今見れるな。

 スマホを取り出そうと上着の内ポケットに手を入れるが…スマホが、無い。

 あれ?え?うっそだろ?!別のポケットに…も無い!というか財布も!家の鍵も!学生手帳も無い!着ている服以外何も無い!

 顔が青ざめていくのがわかる、どうやら思っていた以上にひどい状況の様だ。

 さっさと森を出よう、出たら取り合えず警察かな…電話を借りて親に迎えに来てもらおう。どっちに行けば出られる?見晴らしのいい場所か、高いところがあればいいんだけど…。

 辺りをよく見まわすと、木々の隙間から小高い丘が見える。

 あそこなら何か見えるかも、もしかしたら森を抜けちゃったりとか、まあそんな上手い話は無いかな。取り合えず行ってみよう。

 小走りに森を抜け、丘を駆け上がる。こんな状況から逃れたい心情が現れたのか、いつの間にか丘の頂上まで全力で走っていた。

 モーーーと一鳴き、森を抜け丘に上がると、そこには長閑で広大な牧草地が広がり何頭もの牛が放牧されていた。

 えええ………マジで、どこだよここ…。


 何時間たっただろうか、あぜ道を当てもなく歩く、歩く、歩く、どこまで行っても農地と牧草地、民家も見当たらない。

 どことなく日本ではない印象が次第に強くなる。空気というか、雰囲気というか、山の形とか草の匂いとか、こう違うなと感じさせる。

 ん?あれは建物か?遠くの方に微かに見える。民家かな?日本じゃ見ない形だ。人が居るといいな。その前に、外国とかじゃないよな?英語なんて話せないぞ…。

 近寄って見てみれば、石造りの平屋だった。こんなのはゲームの世界でしか見たことはない。


 「おい、人の家の前で何をしている!」


 うお!びっくりした…心臓が飛び出るかと思ったぜ…。でも良かった日本語使ってるじゃないか、なら助けてもらおう。


 「あ、あの、た、助けて欲しいのですが…」


 声の方向に振り向くと、鍬を構えて怖い顔をしている体格のいい老人が居た。


 「助ける?そんな珍妙な格好をして何をほざくか!どこの国の者だ!貴様…もしやインバーウィックのスパイか!成敗して―――」


 鍬を振りかぶり突き刺そうとしたその時、バシィィンと叩く音が響いた。振り回した箒が綺麗に後頭部を直撃した様だ。


 「何をしているんですか!ごめんなさいね、お爺さんったら早とちりが過ぎてて、怪我はないかしら?」


 とても落ち着いた声だ。その声の主は箒を持った老婆だった。


 「いてて…何をする婆さんや。今敵国のスパイを成敗しようと…。」

 「何が成敗ですか、ちゃんと相手を見なさい。こんなかわいい子供にスパイなんか務まる訳ないでしょう。」


 か、かわいい…?一応十七になったばかりだけど子供じゃないと思う…。


 「ほら、驚いて動けなくなってるじゃないの。もう大丈夫よ、立てるかしら?」

 「あ、は、はい。」

 「どうしたのだ御婆殿、何かあったようじゃが…」

 「あら、ラナ。貴方も驚かせてしまったかしら?でももう心配ないわ、安心していいわよ。」

 「御爺殿は?」

 「儂は問題無い、ピンピンしとるぞぃ」


 ひょいっと、窓から小さな子が顔を覗かせている。ブロンドの長い髪で十一~二歳くらいの女の子だ。二人は女の子に向けて皺くちゃの優しい笑顔を向けている。お孫さんかな?にしては口調が…ませてるのかな…。


 「其の方、主は何をしに此処へ?見たところこの国の人間ではないようじゃが、申してみるがよい。」

 「え?あ、俺?俺はただ助けて欲しいというか、道に迷ったというか…。電話!電話を貸してもらえませんか?」

 「デンワ…?デンワとは何かしら?…あぁ、ごめんなさいね。この国の片田舎じゃ、貴方の国の道具?は手に入らないのよ。本当にごめんなさいね。」


 電話が無い?いやそもそも知らない感じだぞ…。そんな現代人が知らないわけないだろう。待てよ?最近は固定電話自体置かないと聞く、もしかしたら置いていない家なのかな?


 「あぁ、いや貸しにくいのは分かりますが、スマホでもいいから借りれたらなーなんて…ははは。」

 「スマホ?スマホとは何だ!やはり貴様はインバーウィックの―――」


 バシンと、駆け寄ろうとした足を素早い箒捌きで引掛けて転ばせる。何か武道でもやってたのかこのお婆さんは。


 「力になれなくてごめんなさいね、そのスマホというのも無いのよ。」


 嘘だろ?連絡手段全滅じゃんか…。やっぱり街まで歩くしか無いのか。

 腹の虫が鳴る。かなり大きい、グウゴロゴロゴロと誰にでもわかるような音だ。恥ずかしい…。


 「ふふふ、大きな音ね。そろそろご飯にしましょうか。貴方もご一緒にどうですか?」

 「いえ、お構いなく。」

 「遠慮しなくていいのよ。人は助け合うもの、そんなにお腹が空いているのに、何も出せないのは申し訳ないわ。」

 「本当にすいません、ではいただきます。」

 「婆さんや!何を言っている!こいつはスパイかもしれんのだぞ!」

 「いい加減にしてください!それ以上言うとご飯抜きですよ?」

 「うぐぐぐ…。貴様!婆さんに免じて許してやる。感謝しろよ?」

 「はい、あ、ありがとうございます。」

 「ふん!」

 「ラナ、手伝ってもらえるかしら?」

 「うむ、やぶさかではないぞ」

 「ふふふ、じゃお願いね。」


 そういうと二人は家の中に入っていった。尊大なロリっ子は嬉しそうだった。

 あの爺さんの眼光はヤバイな…マジでやられるんじゃないかと思ったよ…ふぅ…。


 「おい、入らないのか?!」

 「今行きます!」


 家の中から爺さんの呼び出しに慌てて家の中へ入る。

 入ると中には踏み鳴らされた土間、料理と暖房兼用の炉、手作りのロッキングチェアー、干してある肉と野菜、いくまいかの食器、中央には木の大きなテーブルと椅子が四つ、壁には大きな棚と、横には杖と剣が何本か掛けてある。

 爺さんが炉に薪をくべている。その隣でロリっ子とお婆さんは楽しそうに食事の準備をしていた。

 完全にゲームの世界だろ、これは。中世ヨーロッパ感ハンパねぇ!本当に別の世界なのかもな…。


 「俺も手伝いますよ。」

 「いいのよ、ラナが働き者ですから、お客様は座っててくださいな。」

 「はい、すいません。」


 若干の居た堪れなさを感じながら椅子に座って待つことにする。すると爺さんが目の前の席に座った。


 「貴様はどこから来たんだ?」

 「日本、です。」

 「ニホン…聞いたことはない国だな。どの辺にあるんだ?」

 「海の向こう側です。ずっと東の…。多分…。」

 「東だと?!貴様、魔獣の住処を越えて来たというのか?!」

 「へ?魔獣?!…何ですかそれ?」

 「………まあいい、貴様がどこから来たのか聞いても、もはや意味はないか。そういえば名前を聞いていなかったな、何という。」

 「そうでした。俺は真田蒼真といいます。」

 「サナダ・ソーマか、珍しい名前だな。この辺では聞かない。儂はエイブラハム・ハイドンだ。」


 そう言うと右手を差し出した。それが握手だと気が付くのに少し時間がかかった。慌てて握り返すと続けて後の二人を紹介してくれた。


 「向こうの婆さんがキャスリン、儂の妻だ。ちっこいのがラナ・ローウェル、つい三日前に家の前で倒れていたのを助けたばかりだ。」

 「てっきりお孫さんかと…。」

 「儂らに孫はおらん。」

 「…なんか、すいません。」

 「ふん、かまわん。最近は変なことばかりだ。ちっこいのが行き倒れていたと思ったら、今度は訳のわからないボウズと来たもんだ、一体世界はどうなるんだ。」

 「あの、魔獣とか世界とか何もかもが解らなくて困っているんです。教えてくれませんか?ここは何処なんですか?」

 「本当に何も知らないようだな…。悪い人間ではなさそうだが、ボウズ、いやソーマよ、貴様は一体何者だ?」

 「………」

 「あらあら、難しい顔をして何の話ですか?」

 「いや、こっちの話だ。さあ食事にしよう。」

 「精一杯もてなしたつもりなんですが、足りなかったらごめんなさいね。」

 「いえいえそんな、こんなに一杯もったいないくらいですよ。」


 テーブルの上にはいつの間にか配膳が終わっていた様だ。野菜のスープ、パンと干し肉が一切れ、コップには少し濁っているが水が入っている。

 正直、少ないなとは思ったが、これがこの世界での精一杯というものなのだろうか。


 「世界の創造主たる我らが父よ、今日も糧をお恵み戴き感謝いたします。」


 皆が着席を済ませると、胸の中心に手を添えて、俯き目を閉じて一節を詠む。俺もそれに倣った。


 「今日は豪勢だな!いただくとしよう。」

 「お客様がいらっしゃるんですもの、奮発してしまったわ。ふふふ。」

 「いつも通りでいいというのに、ラナが来た時も同じ事を言っていたな。」

 「息子と娘が帰ってきたみたいで、なんだか楽しいのよ。」

 「…そうか、そうだな。」


 しんみりと爺さんが漏らすと、空気が何となく暗くなった。息子さんと娘さんに何かあったのかな?食べ物を咀嚼する音が聞こえる、何か話題は無いかな、この空気は正直耐えられない。


 「どうも湿っぽい話は性に合わん。ソーマ、付き合え。」


 棚から取り出してテーブルに音を立てて置かれたのは、一本の瓶と二つのコップだった。

 栓を無造作に外すと、コップに半分ほど注がれる。付き合えという言葉、液体は赤、どう考えてもワインじゃないかな?


 「俺、まだ十七なんで飲めませんよ?」

 「なんだ、もう十七じゃないか。十五を越えれば誰でも飲める、ほらグイっと行け。」

 「ええええ、でも…。」

 「俺の酒が飲めないってのかぁ?おぉ?」


 まだ口をつけてないのに絡み酒かよ、質悪いな!そんなに見ないでくれ…わかったよ、飲むよ…。

 爺さんの気迫に負けて赤い液体を流し込む、が―――


 「ゲホッゲホッ!何だこれ!苦いというかメチャクチャ渋い!喉が焼ける!」

 「はははっ!十七になるがソーマには早いか!まだまだボウズだな!」

 「何をしてるんですか?まったく…。お爺さんに付き合わなくてもいいですよ。最後には一人で飲んでますから。代わりと言ってはなんでが、もっといいものを出しましょう。ラナも飲むでしょう?」

 「うむ!あれはいいものじゃ。」

 「ふふふ。ではちょっと待ってくださいね。」


 さっきまで我関せずといった感じで食うのに集中していたロリっ子が、聞かれた瞬間に元気よく返事をする。いまいちこいつのことがよくわからん。尊大なのか子供なのか…どっちだ?


 「…っ…っ、ぷはー!やはり酒はいいな!ははは!してソーマよ、聞きたいと言っていたな。」


 よくあんな物をゴクゴクと飲めるもんだ。そう思いながら俺は質問に答える。


 「はい、この世界の事を教えて欲しいです。」

 「この世界、か…。この世界ははっきり言って地獄だ。魔獣、やつらは人間の敵だ。あいつらのせいで滅んだ国は数知れず、死んだ人間を数えるのは、とうの昔に辞めた。」

 「………」

 「五年前だ、この国と友好国だった隣国のダルスターの防衛戦で、騎士だった息子と娘は運命を共にした。無残な最期だったと聞いている。」

 「………」


 酒の入ったジョッキを傾け、二度三度喉を鳴らすと爺さんはこう続けた。


 「いいか、魔獣に出会ったら悪いことは言わん。すぐに逃げろ。あいつらはすべてを根絶やしにするまで止まらん。すべて王侯騎士団に任せるんだ、いいな?」

 「はい…。」


 魔獣、そんなに危険な生物なのか。そんな生物は現実じゃ聞いたことがないな。エイブラハムの爺さんが嘘を言ってるようにも思えないし、ここは地球ですらないんだな…。

 戦えって言ってたけど、まさかそいつらとって事なのか?だとしたら冗談じゃない。人間の限界以上の力とか言ってたけど、軍隊がかなわないんじゃ一人でどうにかなるもんじゃないだろ。


 「そうだ、地図!地図ありませんか?」

 「昔のならある、それでいいか?」

 「はい!かまいません!見せてください。」


 棚の奥から丸まった茶色の紙を取り出すと、空になった食器を下げてテーブルに広げた。

 読める…まったく知らない言語なのに、まるで何十年と使っていたかの様に理解できた。これも神の与えた力ってやつなのか?はぁ…。

 見慣れない文字で書かれている地図は、世界すべてが載っている物では無かったが、周辺の国は殆ど載っているようだった。


 「ここが儂らの国、アードウィッチ王国だ。そして左隣にはダルスター公国、海峡を挟んで一番大きい島はインバーウィック帝国だ。こっちの大陸にも領土を持っている。」


 どことなくヨーロッパの地図に似ているが、明らかに違う。国の名前も、大陸や島の形も、何もかも。無理やりにでも当て嵌めて考えるなら、アードウィッチはポーランド辺りで、ダルスターはバルト三国、インバーウィックはイギリス全土に、フランスとドイツの一部といった感じか。そのほかにも色んな国があるようだけど…。


 「恐らく魔獣どもはダルスターを滅ぼした後、そこを巣にしているはずだ。三ヶ月前に国境沿いで魔獣と一戦やって、騎士団が退けたという話を聞いている。目と鼻の先に奴らは来ている。魔獣の巣の向こう側、この地図の外、東と南にはもう人は生きてはおらんだろう…。」


 地獄、か。じわりじわりと真綿で首を絞められているような、閉塞感が、この世界には、人類にはあった。騎士団、それだけが人類の希望なのかもしれない。


 「騎士団、って何ですか?魔獣を撃退出来るなら、数を集めれば魔獣に勝てるんじゃ?」

 「無理だな。魔道機甲騎士、マギウスナイトが足りない。乗る人間も少ない、防衛に回すだけで手一杯なくらいしか動けん。」

 「マギウスナイト…。もしかして、あの大きな甲冑を着た巨人ですか?」

 「それは知っているのか、その通りだ。マギウスナイトでなければ魔獣には勝てん。普通の騎士と魔術師をいくら集めたところで魔獣の群れには敵わん。」

 「魔術師?魔法があるんですか?!」

 「そうだ、程度の差はあるだろうが誰でも使える。ソーマ、お前も使え……わからんか。どれ明日にでも教えてやろう。」

 「はい、ありがとうございます!って使えるかどうかわかりませんがね。」


 魔法もあるなんて完全にゲームの世界じゃないか。なら使ってみない選択は無いな、面白そうじゃないか。


 「ははは、試してみればわかる。さて、儂が答えられるのはこんなもんだ。もっと知りたければ街に行くしかない。」

 「街ですか。そこへはどうやって?」

 「家の前の道を馬車で丸一日ほど行けばアードウィッチの首都、ラングレイに着くはずだ。」

 「馬車ですか、人の足じゃかなりかかりそうですね。」

 「なんだ、行きたいのか?」

 「いや、当ては無いのでなんとも…。」


 そんなことを話していると、ロリっ子のラナが話しかけてきた。


 「主は飲まんのか?ならば、妾が代わりに飲んで進ぜよう。」

 「何が?あ!待て!飲まないとは言ってない!」


 話に集中しすぎて気づかなかったが、目の前にはオレンジ色の液体が入ったコップが置かれていた。これは見たままにオレンジジュースだよな?

 ぐっとコップを傾ける。口の中にオレンジの風味と甘みが一杯に広がる。すごく新鮮でうまい。ペットボトルじゃない、農薬も使ってないオレンジってすごくうまいんだな。


 「どうかしら?うちの畑でとれたオレンジの味は?」

 「すごく、うまいです!俺こんなにオレンジジュースがうまいって思ったことないです!」

 「あらら、褒めすぎよ。」

 「はははっ!うちの自慢の農場と牧場で採れたものなら何でもうまいに決まってる!ははははは!」


 そうしていつの間にか日は暮れていた。この先どうなるのか、どうすれば帰れるのか、何もわからない。だが手掛かりは掴んだ気がする。マギウスナイト、俺の見たあの甲冑の巨人と、爺さんの言っていた巨人が同じなら帰れる方法があるはずだ。なんせ実際に俺の世界に来たんだからな、この世界とつながったんだ、ならもう一度開ける方法を探せば帰れるじゃないか。どうにかして街へ行こう、図書館とか街の人に聞いて情報収集だな、よし!そうしよう!

 少しだけ安心した気分になった。地面に敷かれた藁のベッドの上で一人思案に耽る、帰ったらこの事を誰に話そうかとか、誰にも信じてもらえないだろうなとか、この世界にしかない物を持っていけば驚くだろうなとか、向こうの世界でのやりたいことに思いを馳せる。次第に瞼が重くなってきた、不思議と体の疲れは無いのだが、精神的にはボロボロだ。この瞼が閉じるころには深い眠りに落ちることだろう。それを妨げる者が不意に現れた。

 隣で寝ているロリっ子だ。寝返りを打ったかと思えば俺に密着してくる。俺の腕に自身の腕を優しく絡ませ、二の腕に頬を付け、スゥスゥと吐息が掛かる。今日知り合ったばかりで仲良くなった覚えはないんだが…。べ、別に何か気になるとかそんなのは無い!決して!ただこんな風にくっ付かれたことは人生で一度も無かったから、居心地が悪いというかなんというか…。後、十年したらヤバかったんだろうなと…。あああ、もう!

 振り払うようにロリっ子とは反対方向に寝返る。負けじと今度は背中に張り付く。こいつ本当に寝てるんだよな?…もういいや、ねむ…い…。

 また重くなった瞼に抗う方法は無く、意識は深く眠りへと沈んだ。


 …

 ……

 ………


 「あら、おはようございます。よく寝られましたか?」

 「おは、ようございま、す。はい、おかげさまで。」


 起きたばかりで声がしっかりと出ない。今何時くらいなんだろうか、幸いにも大陽は地平線と頂点の半分ほどだった。俺が目を覚ました時には、四人で寝てたはずの藁には誰も居なかった。外に出てみれば洗濯物を干していたお婆さんと、牛の世話をしている爺さん、そして手伝いをしているロリっ子が居た。


 「いつから、起きてたんですか?」

 「日が昇った時にはもうソーマさんを残して起きてましたわ。」

 「なんか、色々とすいません…。」

 「いいんですのよ、お客様なんですから。それよりも顔を洗ってきては如何ですか?その間に何か食べるものを用意していきますので。」

 「あ、はい。そうします。後、朝は飲み物だけでいいです。」


 そう言い残し井戸へと向かう。みんな起きるのが早い、農業をやってるんだからそれも当たり前なのだが。現代人の俺には日の出と共に起きるなんて難しいな…。

 バシャリと井戸から汲んだ水で顔を洗う、地下水の冷たさが眠気と思考をすっきりとさせてくれた。欲を言えば洗顔料が欲しいところだが、これでも十分に気持ちがいい。あー、しまった、タオルが無い、まあ仕方ないか。シャツの裾を持ち上げ顔を拭う、するとそこへ―――


 「起きたなソーマよ。昨日言った通り魔法を教えてやろう。」


 振り返ると剣と杖を持った爺さんとロリっ子が立っていた。


 「今からですか?」

 「そうだ、何か他にやりたいことでもあるのか?」

 「特には無いですね。では、お願いします。」

 「ほれ、これを持ってついて来い。こっちだ。」


 手渡された剣はズシっと意外な重さを感じる、こんな本格的な剣なんて初めて持った…。

 両刃の直剣で刃渡り五十センチといった感じだろうか、剣身には文字が刻まれている。


 「”風の加護有れ――――”」


 文字が赤く光った。すると次の瞬間、風切り音。剣に風が纏わりつく、風が集まり渦巻いているのを感じる。さらに集まる。止めどなく集まり続け、片手では保持出来ないほどに剣が暴れ始めた。


 「なんだこれ?!」

 「手を離すのじゃ!!」

 「うわあああ!」


 ロリっ子の声に従い、慌てて剣を捨てる。剣に集まった風は突風となって弾けると、地面に突き刺さった。


 「大丈夫か?!」

 「はぁはぁ、ええ…何とか。」

 「しかし、さっきの魔力量は一体なんだ?!尋常じゃない量だった!」

 「俺には何が何だかさっぱり…。剣に書いてあった文字を読んだだけで…。」

 「刻印を詠んだだけだと…?!ソーマ、お前にはすごい力があるのかもしれん…。これほどに風が集まったのは初めて見る。」


 これも限界以上の力ってやつなのか。本当に、戦え、と―――


 「立てるか?」

 「はい、大丈夫です。」

 「これだけの素養があるなら、尚の事魔法の扱いを学ばんとな。こっちに来い。」


 爺さんの後を追う、家から離れて十分程歩くと、だだっ広い草原が広がっていた。


 「この辺でいいか。ソーマ、今持っている剣は刻印剣と言う。それに刻まれた文字を詠み、魔力を込めれば魔法が発動する仕組みだ。さっきのは魔力の込め過ぎだな。」

 「ま、魔力?って何ですか?込めた覚えもない、です。」

 「………そ、そこからか。」


 後ろでロリっ子が腹を抱えて笑っている。そんなに笑うこともないだろ、知らないんだから!


 「儂もそこまで魔法に詳しいわけではないから、ザックバランに教えるぞ。とにかく魔力とは!イヤー!とかグワー!とかオリャー!とか、力を込めて刻印を詠めば出る!」

 「は、はぁ…。」

 「要は気持ちだ!出ると信じれば出る!」


 またロリっ子が後ろで笑っている。今度は転げまわってやがる。若干イラっと来るなこれは。ちょっとからかってやれ。


 「おーいロリっ子、笑ってるのはいいが、自分は魔法が使えるのかよ。」

 「主や、挑発しても無駄ぞ。少なくとも今の主よりは魔法を使える。どれ、見せてやろうかの。御爺殿、杖を貸して貰えぬか?」


 悔しがる顔を見てやろうと思ったが、大した自信だ。これで大した事なかったら笑ってやろう。


 「魔法というのはこう扱うのじゃ、見ておれ。」


 俺の前に立ち背を向け杖を構える。その姿は幼いながらも堂に入っている。表情もすごく真剣だ。

 なんだ?周りの温度が下がった気がする。いや、気のせいじゃない。少し肌寒い。


 「”氷槍よ、貫け!―――”」


 杖を振りかざした先、光る粒子が集まる。光っているのは氷の粒か!短い詠唱、氷の粒はロリっ子と同じ大きさの尖った氷となって、その冷気で以てさらに周りの温度を下げる。読み終わると同時に空に向けて射出、そして爆ぜた。


 「ほう、短縮詠唱とは。ラナは魔法が上手いなぁ。」

 「うっそだろ…。マジかよ…。」

 「ふふ~ん。どうじゃ主よ。ロリっ子呼ばわりした幼子が度肝を抜く姿は?愉快じゃのぅ。短縮詠唱とは高等魔法技能の一つじゃ、まあ今の主には出来ないがのぅ。」


 勝ち誇った笑みを浮かべ、やってみろと言わんばかりに顎で合図を送ってくる。


 「さあ見せてもらおうかの、主の魔法とやらを。」

 「ぐぬぬぬ、わかった、見せてやるよ。」


 今度は俺がラナの前に立ち、誰も居ない方へ剣を構える。さっきは詠んだだけであれだけのものになったんだ、集中してやれば出来る。………何に集中すればいいのだろう。爺さんのさっきの説明じゃまったくわからん。とにかく勢いがあればいいのかな。


 「”風の加護有れ――――”」


 刻印を詠む、先ほどと同じように剣に風が集まる。集まった後はどうすればいいんだ?!


 「剣を振れ!」


 察したのか爺さんが叫ぶ。その言葉に導かれるように、振り上げた剣を袈裟懸けに振り下ろす。剣に纏っていた風は離れ、突風となって草や土を巻き上げながら前方に拡散した。


 「ふむ、悪くない。それどころか初めてなら良く出来てる。」

 「だがまだまだじゃて、これからもっと上手くならねばなるまい。」

 「そうなのか?あいつは騎士団に入るつもりなのか?」

 「まあ、そうなるじゃろう。」

 「ふむ。」

 「主よ、お主は騎士団に入るとよいぞ。その力、そこ以外に生かせる場所はなかろうて。」

 「はあ?何を言ってるんだ。騎士団って魔獣と戦うんだろう?そんなところには入らないよ。」

 「何を言うておる、それだけの素養があるのじゃ、腐らせることはないぞ。」

 「その通りだ、お前なら良い騎士になるだろう。」

 「やだよ、なんか怖いし、…また死にたくねぇ。」

 「また?またとは―――」


 爺さんの質問を遮りお婆さんが声をかける。


 「やっと見つけた。みんな魔法で遊んでるなんて、呼んで欲しかったわ。」

 「ば、婆さんはもう少し落ち着け、また地面を抉られちゃかなわん!」

 「あらそう?」


 本当に残念そうに落胆している。落ち着いた雰囲気のお婆さんだけど、もしかして爺さんよりも破天荒なのか?

 爺さんが声を潜めて耳打つ。


 「…ソーマよ、婆さんを怒らせるなよ?あれでも騎士団に居た元魔術師なんだ。怒ると辺り構わず魔法をぶっ放して手が付けられなくなるんだ。」

 「えぇ、そんな姿想像出来ませんよ?」

 「いやいや、魔法を使うとなると手加減が―――」

 「聞こえてますよ。お爺さん?」

 「あー、ああああ。儂は何も言っとらんぞ!ははっはっは。」


 声が上ずってるぞ爺さん。でも元魔術師か、そんな風には全然見えないな。


 「まあいいでしょう。それよりも少し早いお昼にしましょう。ソーマさんも飲み物だけじゃなくて何か食べますでしょう?」

 「はい、いただきます。」


 そういえば飲み物だけでと言ったままだったな。ちょうど腹も減ってきたしありがたい。

 持ってきてもらった食べ物を中心に、みんなで囲んで地べたに座る。今日はいい天気だから外で食べるには丁度良かった。パンと水だけだが、それでも十分にうまい。


 「ソーマさんの魔法の練習に付き合っていたんですね。お爺さんの教え方じゃ分からなかったでしょう?」

 「いえいえ、使えるかどうか試しだったので大丈夫でした。それに勢いが大事というのは分かりましたよ。」

 「あらあら、そうでしたの。でも心配だわ。次は私が教えて差し上げましょうか?」

 「婆さんは辞めておけ。手加減が無いからな。」

 「お爺さん、また、魔法を教えて差し上げましょうか?」

 「え、遠慮する。」

 「では、妾が教えようかの。厳しい授業になるが、上達は保証してやろう。」

 「えっと、そのことなんだけども…。今日中に街へ向かおうと思ってます。」

 「あら…。もう行かれるんですか。もっとゆっくりしていってもいいのよ?」

 「街へ行って調べたいことが出来まして…。早い方がいいかなと。」

 「あらそうでしたの…。人探しかしら?」

 「まあそのようなものです。」


 本当の事は言えないよな。元の世界に帰る手段をなんて、言っても無駄に混乱させるだけだし…。


 「そうか、なら馬と馬車を持っていけ。人の足じゃ少しばかり遠すぎる。」

 「馬なんてそんな…。自分の足で歩いていきますよ。」

 「何、ただとは言わん。街に売りに行く物が溜まっていてな、それを売りに行ってほしいんだ。売った金はまたいつかこの辺を寄った時にでも構わん。どうだ、お使いを頼まれてもらえるか?」

 「………何から何まですいません。そのお使い行かせていただきます。」

 「なら決まりだな。」


 爺さんは立ち上がると納屋の方へ向かっていった。俺たちも片づけを済ませ、家へと向かった。


 「やっぱりぴったりね。よく似合ってるわ。」


 お婆さんがその服では何かと不便だろうと、息子の残していった服をくれた。少しゴワゴワするけど、ボロボロの制服よりは断然マシだった。


 「馬車の準備が出来たぞ。」


 家の入口から顔だけを出して告げる。一日だけの短い間だったけど、いざ離れるとなると一抹の寂しさを感じる。いい人たちだからかな。


 「何から何までご迷惑をおかけしまして、本当にお世話になりました。この御恩は必ずお返しします。」


 深々とお辞儀をする。今までの人生で、ここまで人に感謝したことはあっただろうか。昨日助けてもらえなかったら、今頃はどうなっていたのだろう。この人たちには足を向けて寝れないな。


 「別にかまわんさ、この世は人助けだ。でなければもっと早くに滅んでいる。」

 「ええ、お気になさらずに。また顔を見せに来てくれるだけで充分ですわ。」

 「ありがとうございます。」


 もう一度お辞儀、感謝してもしきれない。


 「この馬は儂と同じく老体だ、よく休ませてやってくれ。走るときは綱手叩け、止まるときは引き続けるだけでいい、簡単だ。それとソーマよ、これをやろう。」

 「これは…。」


 風の刻印剣と地図だ。


 「もう儂らには必要のないものだ、道中何があるかわからん、護身用に持っていけ。」

 「息子さんが昔に使っていたものでしょう?形見なんじゃ…。それにこれ以上貰っても返せませんよ?」

 「なーに、ただとは言わん。もう一つ持って行って欲しいものがあってな。」

 「なんですか?なんでも引き受けますよ。」

 「よく言った!では―――」


 そう言うとロリっ子を馬車に乗せた。え?!ロリっ子?!


 「じ、爺さん?!なんでロリっ子を?!」

 「なんだ、引き受けると言っただろう。」

 「い、言いましたけど、ロリっ子だなんて…。」

 「儂らも、もう長くはない。それに魔獣も国境沿いまで来ている。何かあっても街なら騎士や魔術師も居る、ここよりも安全だ。」

 「なら二人も…!」

 「儂らはここを離れん。離れたくはないんだ。みすぼらしい家でも、離れられん程に思い入れが詰まっている。ここが儂らの終の棲家だ。」


 そう言うと二人は寄り添って家を見つめる。亡くなった息子さんと娘さんとの思い出は、ここにしかないのだ。その思い出と共に残りの人生を過ごしたいのだろう。


 「…わかりました、こいつの面倒は引き受けます。どこまでやれるかわかりませんけどね。」

 「それでもよい、街に行けば仕事も見つかりやすいだろう。騎士になるのが一番早いがな。」

 「それはお断りします。」


 ははは、と二人で笑いあう。


 「向こうでもしっかりな。」

 「御爺殿、御婆殿、息災でな。」

 「ラナも、寂しくなったらいつでも会いに来ていいんですからね。」

 「うむ、その時はまたオレンジを戴こうかの。」

 「ええ、用意して待っているわ。」

 「では、行きます。ありがとうございました。」


 馬を走らせる、ゆっくりとした速度で。少しづつ遠ざかる、見えなくなるまで爺さんとお婆さんは見送っていた。

 首都ラングレイまでの道のり、ロリっ子、ラナ・ローウェルとの二人旅。隣のラナは足をぶらぶらさせて暇そうにしている。上から目線の小生意気だが、悪い奴ではない。

 後ろを振り向くともう二人の姿は見えなくなていた。元の世界に帰る前にラナも連れて、もう一度二人に会いに行こう。首都でのお土産を持って、返しきれないお礼を返しに。


 「して、主よ。長い付き合いになりそうじゃて、これからよろしゅうな。」

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