明日、あなたの世界が終わるとしたら、どうしますか?
『明日、あなたの世界が終わるとしたら、どうしますか?』
そう聞かれて明確な答えをハッキリと言える人間は少ないと思う。
俺もそうだ。
いや、そうだったと言うべきか。
ましてや、そんな変ちくりんな質問をしてきた相手が名前はおろか出会ったばかりの相手に、だ。
「……心理テストか何かですか?」
『いえいえ。ここだけの話なんですが、本当に明日、あなたの世界は終わるんですよ』
とても奇妙な人物だと思った。
♢ ♢ ♢
寂れた駅のベンチ。
暗い夜に雪がちらつく冷たい椅子に腰掛けながら、ぬるくなったカイロを必死に擦って電車を待っていると一人の男が革靴の音を鳴らしながら近づいてくる。
そのまま歩いてくると人気の無いホームでガラガラに空いているにも係わらず俺の隣に座ったこの男。
わざわざ隣に座らなくとも他に席はいくらでもあるというのに……。
視線は向けずとも僅かな居心地の悪さを覚え、寒さとは別の強張りが全身を包み、五月蠅いくらいの静寂が訪れる。
『今夜はまた、すいぶんと冷えますね』
沈黙を破るように突然、話しかけてきた男はまるで会社の同僚にでも語り掛けているかのように、するりとそんな言葉を吐き出した。
辺りに人影もなく、俺に問いかけたことは言うまでもない。
ここで無視できるほど不躾な人間ではないので、当たり障りのない言葉を返す。
「……は、はぁ。そうですね」
電車が来るまでの間、時間と寒さを紛らわせるための話し相手として俺を標的とした、ってとこだろう。
内心、一人にして欲しかったが返事をしてしまった以上、無碍にも出来ない。
俺に残された道は男の暇つぶしに付き合うことしかなかった。
『この時期に雪が降るなんて珍しいですよね』
そういえば今朝のニュースで何年ぶりかのホワイトクリスマスになると、ニュースキャスターが言っていたのを思い出す。
何も今日、降らなくてもいいものを。
若いカップルならば二人の距離を縮める絶好のシチュエーションかもしれないが、今の俺にはただただ鬱陶しいだけだ。
女の代わりに変な男が距離を縮めてきたわけだし。
『お仕事帰りですか?』
少し間が空いたせいで、続けて男が尋ねてくる。
あと数時間もすればクリスマスも終わる時間に差し掛かっているのだ。
そんな時に駅のベンチにくたびれたサラリーマンが一人で座っていれば誰でも察しがつくだろう。
「ええ。そうなんです。サービス業にとってクリスマスは稼ぎ時ですから。子供の笑顔を見る為なら身を粉にして働きますとも。なんつって。そちらも今、帰りですか?」
このままでは男の質問攻めに遭いそうなのでこちらからも尋ねてみる。
すると、男は肩をすくめて首を振った。
『いえ、実は私は今も仕事中なのですよ』
「そうですか。……お疲れ様です」
仕事中ということは移動中なのだろうか?
これから仕事場に向かうとはいったいどんな職種か気になったが、一日働いた脳みそは好奇心よりも休息を求めていた。
煩わしい興味など捨て置こう。
すると、最後の言葉が効いたのか、それ以降男は口をつぐみ再度、静寂が辺りを包む。
多少いたたまれないが、社会人としての最低限の付き合いは果たしたのだ。
もう、いいだろう。
しかし、俺の期待は予想だにしない言葉で掻き消されることとなった。
『明日、あなたの世界が終わるとしたら、どうしますか?』
「……心理テストか何かですか?」
『いえいえ。ここだけの話なんですが、本当に明日、あなたの世界は終わるんですよ』
なにを馬鹿げたことを。いよいよもって、怪しくなってきた。
この瞬間、こんな面倒なことに巻き込まれるならば初めから無視しておけばよかったと悔やまれる。
後悔先に立たず。
先人の言葉は偉大だな。
だが、乗り掛かった船ということもある。
これも何かの縁だ。もう少しだけ様子をみてみるか。
「ハハ、それが本当だとしたら明日の目覚ましはセットしなくてもいいですね」
『おや、その様子だと信じていませんね? 本当なんですよ。実は私の仕事は人様に言えない特殊な仕事でしてね。そういったことが職業的に分かってしまうのです』
「とすると、ご職業は占い師か天文学者ですか? よくSF映画であるじゃないですか。巨大隕石が地球に衝突して地球が滅ぶってやつが。どうですか? 当たりでしょ?」
しかし、真面目に考えず冗談半分に答えたことが見透かされたのかピシャリと言い切られる。
「違います。私は占い師でも天文学者でもありません。孤独ながら、もっとも気高く誇り高い仕事なのです。報酬もまた各段に違います。そして、誰にもバレてはいけない、見られてはいけない。決して!」
……なんだそれは。
いくら暇つぶしとはいえ、付き合わされている身にもなってほしい。
俺は疲れてるんだ。
流石に腹が立ってきたので自然と語気が荒くなってしまう。
「ではお聞きしますが、明日世界が終わるというのに貴方は今から仕事に向かわれるんですか? それこそ家族と過ごすなり、恋人と過ごすなり他にやることがあるんじゃないですか?」
棘のある言葉と分かってはいるが、もう付き合ってられない。
電車はいつになったら来るんだ。
早く来い。
『そうですね。私の場合、最後の一瞬まで仕事をしているでしょう』
呆れた。
どうやらこの男は俺とは正反対の考えを持っているらしい。
俺は生活のために仕事をしているが、この男は仕事のために生活をしている口のようだ。
元来、相容れない人種なんだ。
茶番もこれまで。
はい、さようなら。
「それは勤勉なお方だ。実に真面目ですな。私も見習いたいものです。すみませんが、身体が冷えてきたので少し体を動かそうと思います。実に楽しい一時でした。ありがとうございます。では、これで」
半ば強引で口早に捲し立て、席を立つ。
大袈裟に見えるほどに身体を動かし男とは逆方向に向け歩き出す。
得体の知れない男の最後の言葉を聞いてはいないが、聞く価値もないだろう。
背後から男の視線が感じられるが振り向くことはしない。下手をすればついてくるかもしれないからだ。
それだけは、なんとしても御免だ。
しかし、頑なに振り向かない俺の背中に向けて男が何かを呟いた気がした。
『……は、……せ……。……たは……ばれ……』
ぼそぼそと呟く声は聞き取ることができなかったが、もはや終わったこと。
クリスマスが終われば次は正月がくる。
一年で一番忙しい時期を乗り越えるには体が資本なのだ。
早く帰って寝よう。
今日はなんだか疲れた。
と、その時。
線路の向こうから舞い散る雪を照らしながら進んで来る光の筋が目に入った。
待ちに待った電車が到着したようだ。
これで可笑しな輩とも別れられる。
はやる気持ちを抑えきれずに、足元の点字ブロックの黄色い線の外側に立っているとは気づかずに。
だが、このとき俺はまだ信じていなかった。
まさか、あの男の言っていることが本当であったとは──。
ドッ
「あっ……」
背後に近づいていた男の存在に気が付かず、後ろから背中を押され倒れるように身体が前へと傾いていく。足を前に出そうにもそこに足場はない。
目に入ったのは冷たい質感の線路と視界いっぱいに迫ってきている眩い光。
もうそれ以外、何も見えない。何も感じない。
そこで俺の意識は途絶えた。
駅のホームには仕事をやり終えた男が満面の笑みを湛えながら、ただ雪の降る夜空を眺め静かに佇んでいた。
♢ ♢ ♢
~ 一年後 ~
煌びやかなイルミネーションに彩られた街の至る所でジングルベルの音楽が流れている。
今年もまたクリスマスの季節がやってきたのだ。
伝説を信じている世界中の子供たちに今年もプレゼントが届けられる。
クリスマスの朝、目を覚ました子供たちは枕元に置かれ膨らんだ靴下を見つけて大喜び。
その中にはぬいぐるみやオモチャ、ゲームなど子供が喜ぶものばかり。
そして、その喜ぶ姿を窓の外からこっそり見ている人物が。
そう。
それは一年前、駅のホームで線路に落ちたサラリーマンだった。
しかし、その姿は当時のサラリーマンとは似ても似つかぬ姿であった。
ずんぐりむっくりなぽっちゃり体型に赤い服。
真っ白で、もこもこに生えたヒゲと髪。
頭には赤い帽子と白いぽんぽんが付いている。
背中には大きな袋に入った沢山のプレゼントの山。
プレゼントを受け取って、はしゃぐ子供の姿を見てニコニコと笑顔の人物はかつての言葉を思い出していた。
“ 孤独ながら、もっとも気高く誇り高い仕事なのです。報酬もまた各段に違います。そして、誰にもバレてはいけない、見られてはいけない。決して! ”
その真意を知った男はトナカイの牽くソリに乗ると、颯爽と滑るように空を駆け、プレゼントを楽しみにして眠っている子供のいる家を目指します。
やがて、全てのプレゼントを配り終えた人物には最後の仕事が残されていました。
それは来年のクリスマスにプレゼントを配る人材に力を渡すこと。
そう。
このお仕事は毎年、別の人物が交代で役割を担っていたのです。
そうして、クリスマスの終わるほんの少し前。
以前の姿に戻ったサラリーマンは人気の無い場所で、次なる候補者を見つけました。
人には言えない特殊な力によってすでに誰に受け渡すべきかは分かっていたのです。
ゆっくりと、それでいて確信をもって近づいていき初対面の人物にこう問いかけます。
『明日、あなたの世界が終わるとしたら、どうしますか?』
おしまい