待ち人※
空は夜の群青と昼の橙が混ざり合っていた。
人と化物が共存する逢魔が時。
枯葉が舞う都の外れを、一人の緋袴を履いた巫女が歩いていく。
目指すは一件の民家。
巫女が無言で歩みを進めるその頭上で烏が鳴いた。
遥か先に目的の粗末な家屋が現れる。
巫女は天を仰いで何かを唱える。
それを受けたかのように烏は一声鳴くと、旋回して消えた。
家屋からは飯を炊く湯気が上がっている。
彼女は戸の前までくると、すっと息を吸った。
巫女はトントンと戸を叩きながら、「すみません。」と一言口にする。
凛とした澄んだ声だった。
「はぁーい」と中から女性が応じる。
か細い声を響かせながら顔を出したのは、二十四、五の女性であった。
身体は痩せ、継ぎ接ぎだらけのボロを着ているが、なかなかの美人だとわかる。
巫女は要件を告げた。
「国司の共に付いていかれた旦那様の事でお話があります。」
女性――奥方はにこりと微笑み、「どうぞ中へ。」と巫女を招き入れた。
土間を過ぎて、床板の上に通された巫女は伏し目がちに囲炉裏の火を眺める。
囲炉裏を挟んだ向こう側に奥方が座る。
パチパチと薪が爆ぜる。
囲炉裏に掛けられた急須から奥方が湯呑に白湯を入れ巫女の前に置いた。
巫女は湯呑を手に取り、凍てつく指を温める。
「それで、お話と言うのは…」
奥方が聞く。
巫女は自分の顔が移る湯呑の中の白湯を眺めながら問うた。
「いつまでお待ちになるつもりですか。」
狭い屋内に声が静かに溶けていく。
巫女はもう一度聞いた。
「いつまで旦那様の帰りをお待ちになるつもりでしょうか。」
奥方は笑顔を絶やすことなく、はっきりと答えた。
「あの人が帰って来るまで、いつまででも。」
その声に迷いは無かった。
巫女は独り言のように声を落とす。
「旦那様は帰ってこないかもしれません。」
パチリと薪が崩れる。
奥方は笑みを深くし、「あの人は帰って来ると約束しましたから」と言った。
巫女は結局口をつけなかった湯呑を置くと、唇を引き結ぶ。
やがて「わかりました」と言うと、風音のような声を短く発した。
壁をすり抜けて狐が一匹、巫女の前に姿を現す。
巫女は狐に向かって何事かを唱える。
狐はくるりとその場で回って女童へと姿を変えた。
「一人では寂しいでしょうから。」
そういうと巫女は立ち上がり、土間へと降りる。
奥方は手を付き、頭を軽く下げた。
巫女は家屋を出て暫く行った後に足を止める。
振り返ると、そこには無残なあばら家が夜の闇に呑まれていた。
あばら家の中で狐だけがコンと鳴いた。