ミルフィーユアース
「子供が自然と触れ合う場所が欲しいわね」
最近こどもが生まれた家で、妻である美しい女性は夫に話しかける。
人口増加のせいで地表にビルが隙間なく立ち並ぶ地球。
緑といえば産業用の農地のみ。
公園やテーマパークが減り、バーチャルゲームに置き換わった。
いい体格と明晰な頭脳を持つハンサムな夫。
政治家である夫もかわいい我が子のために、自然と触れ合える場所が欲しいと思っていたところだった。
しかし、それは今の利便性がよい町から離れることも意味していた。
よほど遠くに引っ越さなければ、自然と触れ合える場所はないのだ。
夫は遠くには引っ越したくなかった。
家の外に女ができたのだ。
しかも複数人。
彼女たちは美人でスタイルも抜群だ。
もちろん妻のことは尊敬しているし、愛している。
しかし、子供が生まれた後では、もはや妻にたいして胸をときめかせるようなドキドキも、世界が鮮やかに彩りを増すような楽しい気分になれない。
自分の中にある情熱を燃やす何かが必要なのだ。
「僕もこの子のために自然と触れ合える場所が欲しいよ。けど、自然とはいっても、周囲にそんな場所なんかあるわけないし……」
「なければ作ってよ」
「作るってそんなに簡単に言うなよ」
夫は苦々しい表情で答える。
「このビルの屋上は空いているでしょう?あそこに作ればいいのよ」
「屋上に土砂や水を置くことは禁止されていることは、お前も知っているだろう?放射線が含まれているからね」
「ええ、もちろん知っているわ。けど、それは数十年前の放射線汚染の事故が原因で作られた法律でしょう?今は建築技術も向上しているし、対放射線の服や薬だってたくさんあるじゃないの?それに今は放射線数値なんてたかが知れているわ」
論理的な思考であり、至極まっとうな意見だ。
「うむ……まあ、言われてみればそうかもしれないが……」
「あなたも法律を変えることができる職業についているんだから、将来の子供のために全力でいい未来を作るべきだわ。あなたならできるわよ。なんせ私が好きになった夫性ですもの」
妻の力説とほめ殺しに夫も納得した。
「そう言われると、なんだかがんばれそうな気がするな」
夫は翌日から関係各所に根回しをし、賄賂をちらつかせ、大々的なスピーチを行った。
夫の努力に比例し、政府は屋上緑地計画が施行した。
夫は努力に努力を重ね、仕事に打ち込む。
外に女がいたことも忘れ、昼夜を問わず働き続けた。
夫にとって楽しく充実した毎日だった。
数年後。
「あなたさすがね。これで子供たちも大喜びだわ」
「私もこの子たちが本物の緑とふれあうことができて満足だよ」
公園に子供と妻の三人で来ていた。
子供も大きくなり、屋上の公園であそびまわっている。
屋上の公園では、ほかの家族連れがたくさん押しかけている。
なかには、美人の若い女性も休日を利用し、緑と触れ合える場所を満喫している。
「そうね……けど、これじゃまだ足りないわ」
「……どういうことだい?」
夫はあたりを見ると、大半人間は大人しく静かに過ごしている。
自然に触れ合える喜びの反面、そこの顔にはもどかしそうな表情がにじみ出ていた。
「こんな広さじゃ、自由に走り回ることができないわ」
「……確かに。しかし屋上を広くするわけにもいかないし……」
「隣の屋上と一続きにすればいいのよ」
妻は“そんなことカンタン”とあっさり言ってのけた。
「まあ、それなら広くはできるかもしれないが……日当たりが悪くなるし、道路に土が落ちたりしたら、事故につながるじゃないか」
「問題ないわよ。今の時代、太陽光なら、各家庭でも作ることができるわ。作るのがいやというのなら、屋上と各部屋に光ファイバーをつないで、部屋の中に明かりを取り入れることだって可能なはずよ。それに今時、地上の道路を歩いている人間なんていないわ。地下の温度調整機能がある道路を歩いているから。最新の建築技術なら事故を防ぐことは100パーセント可能なはずよ」
またもや、現状を踏まえたうえでのまっとうな意見。
博識で、聡明な妻には常に舌を巻く思いだ。
いっそのこと、夫が家事や子供の世話をして、夫の代わりに妻が仕事してくれればと思う。
それなら、夫も存分に“遊ぶ”ことができるのに……。
「あなた!聞いているの!?」
不埒な想像に集中していたため、思わずビクッと身を固まらせる。
「うむ……できるかもしれないが」
「あなたならきっとできるわ、なんせ、私が認めた人だもの。こう見えても私は人を見る目はある方よ」
論理的な説明とほめ殺しによってまたもや夫は丸め込められた。
今の職場では切れ者と呼ばれる夫も妻にはかなわない。
「まあ、やってみるか」
夫は関係各所に連絡し、必要性を根気よく説明した。
夫は仕事に打ち込み、情熱をつぎ込んだ。
もちろん遊んでいる暇などない。
夫の努力は実を結ばれ、ついに数多くの様々な建物と建物との間が繋がれ、緑が植えられた。
建物によって高低差があるところは、それは丘や谷になる。
数年後。
「ふう、やっとここまで来た」
夫は満足そうな表情で辺りを見回す。
以前まで高層ビルの殺風景なコンクリートがむき出しだった光景。
今は夫の努力によって、広い緑が広がり、人々が自由に走り回り、パーティーのように明るい雰囲気が漂っている。
「ええ、それもこれもあなたの努力のおかげよ。さすがだわ」
「こんなに人々から喜ばれる仕事をすると、努力したかいもあるというものだよ」
夫はこの“大規模屋上緑地化計画”の功績が政府に認められ、マスメディアも連日取り上げた。
周りの人々も夫に尊敬のまなざしを向け、女性も熱っぽい視線を送ってくる。
夫もちやほやされ、いい気分だった。
「……でも、まだ足りないものがあるわ」
「足りない物?こんな広々とした緑地に足りない物なんて無いよ」
「いいえ、まだ海がないじゃないの。母なる海が」
「海だって?建物の上に海なんて、できるわけがないじゃないか」
「あら、出来るわよ。水族館にできてあなたにできないはずないわ」
「水族館とは規模が違うだろ……」
「規模が違ってもやり方は同じよ。国から莫大なお金も出るでしょう?緑だけじゃ、海水浴ができないわ。ビーチには若いぴちぴちギャルも来るでしょうに……。それにあなたにはこれまでの実績があるわ。それを利用しない手はないわ。きっとあなたならできるわ」
「ギャルか……。うーむ、一応やってみるか」
夫は身を粉にして関係部署に働きかけた。
一度情熱を傾けると、それに集中してしまう性質なのだ。
最初は一笑されるだけで、ほとんど取り合ってくれなかった。
しかし、夫が熱心に働きかけることで、関係部署は夫が本気であることを知り、協力者が増え、徐々に進行していく。
夫は水着ギャルが見たかった。
その一心で、熱心に取り組む。
大規模な工事が行われ、水が注がれる。
その時代、本物の海は、干上がっており、水はほとんど残っていなかったため、人工的に雨を降らせたり、空気中の水素と酸素を結合させたりして水をためていく。
屋上の海は徐々に広くなっていく。
海の底は透明な素材の地面で覆われ、下の世界から見れば、地上の上に海があるという不思議な光景だった。
本当に巨大な水族館のようだった。
数十年後。
上の世界の海には生命が誕生し始めた。
下の世界の海や地上にいた生物が何処からか入ってきて、独自に進化したと思われる。
そして水着ギャルも誕生した。下の世界の海に地上にいた人間の服装が独自に進化したと思われる。
ビルの上に草原や丘や谷、そして海ができた。
上の世界と下の世界が形成されたともいえる。
夫婦は年をとり、これまでやってきたことを振り返る。
「私達も子供が生まれてから、努力したものだ」
「ええ、そうね。すべてあなたのおかげだわ」
「子供も立派に独立したし、これで、しばらくはゆっくりできる」
夫は海の下に立てた別荘で、毎日水着ギャルを眺めていられると思うと胸がドキドキしていた。
「いいえ、まだよ」
「どういうことだい?」
「かつて屋上だった土地に丘や谷と海ができたわ。それはあなたが作ったの。つまりは創造主ということもできるわ。私たちは神様の偉業に近いことをやってのけたのだから上の世界に住む権利があるわ」
この時、上の世界は建物の建造が認められていなかった。
もし建物が建てば、下と同じような建造物が密集した地域に早変わりしてしまうことを政府が恐れたからだ。
「もういいじゃないか。僕は今まで頑張ってきたんだよ。少し休ませてくれ」
夫の中では、上の世界に住むための手続きをする努力が面倒だった。
若い頃ならいざ知れず、もういい年だし、このままでいいと思っていた。
それに私は今までお預けにしていた女遊びをやらなければならぬ。
水着のギャルと戯れなければならないのだ。
「あなた、これで最後のお勤め。実はもう話は途中まで進めているの。けど私には専門的な知識がないから、残りはあなたにやってもらわなければならないの。もし解約したら多額の違約金を払わなければならないわ」
そう言って妻は夫に建築契約書を差し出す。
建築契約書を見た夫は驚いた。
違約金が以上に高いのだ。
これでは遊ぶ費用どころか、老後の生活さえままならない。
このままではいかん。
男は最後の気力と体力を振りしぼり、上の世界に住むための政府の認可をもらう書類手続きに取り掛かる。
しかし、これは思った以上に難航した。
まず、上の世界の土地が誰の所有地なのかはっきりとした区別がなかった。
建物と建物の間、道路の上。下の世界の海の上。
妻が巨大な建物の建造を依頼したせいで、土地の権利がややこしい。
それに政府からも建物の建造許可がなかなか下りない。
夫の実績は認められているが、建造物を建てることを認めると後々面倒なのだろう。
妻が勝手に話を進めた手続きのせいで、夫はどんどん年をとっていく。
十数年後。
やっと上の世界に豪邸が1つ建設された。
そこに住むのは老夫婦。
最近、ヨボヨボのじじいが、豪邸に女を連れ込み始めた。
妻は考える。
「夫はタフで、野心家で頭がよいのはいいけど、暇さえあれば浮気してしまうのが悩みどころよね。若い時にはいかに夫の暇な時間を失くすことを考えてきたけど……あんな爺さんになってもまだ元気だわ」
妻は夫がもし隠し子を作ってしまったとき、遺産の取り分が減ることを恐れた。
「仕方ない。夫をそそのかして……もう1つ世界を作ろうかしら?」
妻は、もう一度新しい作戦を練り始めた。