#4 性欲、ウイスキー、喉 (2)
僕はかつて傘だった武器をその場に捨てる。
僕の心臓は、砂の城が崩れていくみたいなざらざらとした音をたてていた。僕は彼女のほうに振り返ることができなかった。ただ、血まみれになって動かない男を見ていた。男の目は、何かを予言しているように見えた。
僕はその場に座り込む。
疲れたり、ほっとしたり、怖くなったのでもなかった。
僕は純粋に、満足していた。17年間生きてきて溜めこんだ怒りや不安を、僕は今、最高のかたちで爆発させたのだ。彼女を護ることを利用して。僕の心はかつてないくらいに満たされていた。僕は自然に笑いがこみあげてきた。
そうか、これが笑うということか、と僕は思った。
そして生まれて初めて、心から笑った。彼女のことを記憶から削除して、僕は若い猿のように笑い続けた。
深い闇の中で、いくらかの時間が過ぎる。
気がつくとヨダが、僕を見下ろしている。ヨダは懐中電灯のほこりっぽい明かりで僕の顔を照らす。そのときになってはじめて、僕は笑うことを止める。
ヨダはなんでもないような顔で、僕をただ見下ろしている。そこに感情の流れを読み取ることはできない。ヨダは僕が見えていないような目で、僕を見ている。
僕は彼女を見る。彼女はぶかぶかの黒いジャンバーを着て、うつむいて立ち尽くしている。
おそらく彼女が身につけているのは、ヨダのジャンバーだろう。
『帰ろう。』ヨダが愛想のない声で言う。訓練された犬が合図を聞くように僕は立ち上がる。
真っ黒いレインコートに、匿名の血液がべっとりと付着している。ヨダは懐中電灯を消し、彼女に近づく。そして彼女の肩をなんでもないように抱き寄せる。何か大切なものを取り戻すみたいに。ヨダは彼女の細い身体を抱き寄せ、彼女の髪と頭を指で撫でる。そこに何かを探すみたいに。僕は暗闇の中から、ひとしきりその光景を見ていた。そしてその光景は、ウイスキー色の焚き火の記憶を僕に呼び起こさせた。曇った夜の下で、僕と彼女とウイスキー色の炎があった光景、それは何光年も遠い世界の出来事のように思えた。
その日から、僕のいる世界には雨が降り続ける。何かの隠喩みたいに、雨は地震で破壊された世界を打ち続ける。雨は世界を心優しい音で満たした。かつてそこにあったものを取り戻すみたいに。