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#20 終わりの場所 (3)

『ミゾグチ。』


ハヤサカは感嘆するような声をあげる。

ハヤサカの向こう側で、ミヤガワさんが口元に手のひらをあてる。

僕から目を逸らし、祈るように頭を振る。

ミヤガワさんが、泣き叫びたい衝動と闘っているのがわかる。ミヤガワさんは、もう僕に立ってほしくないのだ。

真っ黒いレインコートに包まれた僕の肉体の中心から、僕のものではない激しい慟哭が唐突に起こるような感覚がある。


ここは終わりの場所。

誰かの声が、僕を掻き立てる。


その瞬間、唐突にざわめきが止み、静寂が降りるような感覚が訪れる。

僕は黒いフードの奥から、目の前のハヤサカの顔を覗き込む。彼の目に、灰色の雪のような光が横切る。


『よくやったな。ミゾグチ。元首相の暗殺は、』


ハヤサカがそう言いかけたところで、僕はハヤサカの胸に目がけて倒れこむ。大地が揺れ、家屋が倒壊するみたいに。僕は瓦礫のように、ハヤサカの身体に降りかかる。僕はハヤサカの心臓の位置に、サバイバルナイフを突き刺す。だが、ハヤサカはそれを知っていたかのように身体をしなやかに逸らし、僕を突き飛ばす。僕の身体は回転しながら、地面に崩れ落ちる。

同志たちの怒号やざわめきが、突風のように一斉に巻き起こる。僕はハヤサカを睨みつける。

ハヤサカの表情に、僕を憎悪するような歪みが浮かぶ。顔の半分が黒く焦げ、白い目をぎょろぎょろと動かしていたヨダみたいに。

同志たちが僕を取り押さえようとする。

僕はサバイバルナイフを振り回して、それを威嚇する。

次が本当の最後だ、真っ黒いレインコートの内側から、声がする。

それは僕を唆しているでもなく、失望しているのでもない。ただ僕が、自分の場所を護るためにつくりあげた、僕自身の、矜持のような声だった。


 僕はハヤサカの名前を喚く。


張り上げた声で、同志たちのざわめきを掻き消す。

僕はふらふらと立ち上がり、その場所から飛ぶようにハヤサカの懐に滑り込む。

ハヤサカは、僕の手を空中で掴む。そして鍵でもかけたように空中で僕の手とナイフをかっしり固定する。

僕はナイフをハヤサカの胸の寸前で静止させた格好で立ち尽くす。

僕とハヤサカの身体が、壊れて回転が噛み合わない歯車のように、ぎりぎりと震える。


『何をやってる、ミゾグチ。』

ハヤサカが感情を発露させたように、強く言う。


『どこへ行くんだよ、あんた。今から逃げるのか。』

僕は静かに言う。


ごろんと鉄の扉が閉まるみたいな音が鼓膜の奥で響くと、血液の塊が喉の奥に詰まる。僕は、息をすることができなくなる。

ここは、終わりの場所なんだよ、と僕はハヤサカに言おうとして、その場所に膝をつき、倒れこむ。


地面に倒れこむ時に、僕はミヤガワさんを見る。

彼女は何かを諦めたように、もはや僕に焦点をあわせていない。むしろハヤサカの姿も見えていないように思える。彼女は、どこか遠くをみているような気がする。出会った頃、瓦礫の丘の上から、遠い東の

空を眺めていたみたいに。

おそらく彼女は、僕やヨダのことを、そしていずれはシンドーやハヤサカのことまで忘れ去って、何が何やらわからなくなってしまうんだろうな、と僕は思う。

それが、彼女が求めたことであるのせよ、ないにせよ。僕は目を閉じる。森の奥にある泥に沈みこむような、心静かな暗闇が僕を包みこむ。


 誰かが僕の背中に手のひらを置いているのがわかる。


その手のひらは、深く何かを考えているみたいに、そこでじっとしている。真っ黒いレインコートの中で、僕の身体が組み替えられていくような、奇妙な痛みと心地良さが湧き上がる。僕は暗闇の中から、意識を引き上げる。


その手のひらが、シンドーだということがわかる。


やれやれ、と僕は地面に顔を伏せたまま笑う。


自分のことが可笑しくてたまらなくなる。

ミヤガワさんとシンドー。結局、僕はふたりの女の子に振り回されて、良いようにされいるだけなのかもしれない。僕は最初から、何も自分で選んでいないような気がする。

ミヤガワさんが僕に、日常を壊す革命を与えてくれて、シンドーが僕に、世界を粛清する雪のような暴力を教えてくれたのだ。


僕は二人の女の子に導かれて、今、終わりの場所にいる。


だがそれも悪くない。うん、悪くない。そう考えたとき、僕はようやく身を捨てる覚悟をする。

僕は、背中を向け、立ち去ろうとするハヤサカを視界に捉える。


 黒いレインコートが、僕の身体を操っているような感覚がある。僕は、誰かに抱きかかえられるように立ち上がり、その方向へ誰かに腕を引っ張られるように、腕を伸ばす。


手の先のナイフが、灰色の雪のように空中に不思議な光の軌跡を描く。

その光の軌跡は、ハヤサカの背中に突き立てられる。僕は滑らかに手首を回転させる。大地の底に落ちていくようなハヤサカの絶叫が響き渡る。


僕の意識は、そこでやっと途切れる。

目の前が灰色に覆われる。雪が積もり、世界中を覆い隠したみたいに。


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