#20 終わりの場所 (1)
20.終わりの場所
長い間、シンドーは僕の手を握ってくれていた。
ホールの片隅でみっともなく仰向けに横たわり、足を投げ出していると、奇妙な心地よさを感じる。僕はどこか陽のあたる小経で、昼寝をしながら誰かを待っているような落ち着いた気持ちになる。
僕は目を閉じたまま、深く息をつく。
僕の胸が穏やかな波のように上下すると、彼女は、なにかのしるしであるみたいに僕の手をぎゅっと握りしめてくれた。その力は僕を憐れむものでも、励ますものでもないように思えた。彼女が全身全霊の力をもってして、僕を、この場所にとどめようとしているのがわかる。それは、雪が降ることと同じくらい、揺るぎないことだ。
シンドー、僕は彼女になにかしらお礼を言おうと、小声で囁いてみる。
彼女はよく聞き取れないというように、手を握りしめたまま、僕の唇に可愛い耳を近づける。そのせいで彼女の火傷の痕が、僕の視界いっぱいに広がる。浮かび上がる崩れた肉や、つるつるになった皮膚は僕をひどく哀しい気持ちにさせる。あるいは、その火傷はどこかで僕とつながっていることを確信する。それなのに、その傷痕がずっと彼女の心に何をもたらしていたのかを、今になっても僕は気づくことができないでいる。
息ができないくらい悔しいと思う。
僕は細かく歯ぎしりをする。その度に歯茎から噴き出した血液の匂いが、口いっぱいに広がる。
本当に惨めで、悔しい。
どうして僕は、彼女の痛みを感じ取ることができないのだろうか。
『なに、なんでも言って。』と、彼女は献身的に繰り返し言う。
僕はこの場所までやってきたのに、シンドーのことを理解することができないでいる。彼女のどこに、僕をとどめようとするくらいの巨大な力があるのかが、わからない。僕は目を開ける。心を決めるみたいに。
『君は、すごいね。』
僕は、純粋な感想を言う。彼女の心の原泉にあるものが、公正な力であるにせよ、陰惨な力であるにせよ、今の僕には彼女を称賛することしかできない。彼女
はひとしきり、瞬きを繰り返している。すぐに彼女の目が、燃えるように赤くなる。僕はその顔をずっと下から見ている。小動物のようなかたちの良い鼻や、小さな上唇や、雪の積もった坂道のような顎と喉の美しいラインをひとしきり見つめる。
ハヤサカが階段を降りてくるのが見える。その後ろから、ミヤガワさんが世界中を敵にまわすようなふてぶてしい表情で降りてくる。彼女がそういう表情をするときは、こんこんと沸き続ける喉の奥の涙を、繰り返し飲みこんでいるしるしであることに、今の僕にはわかる。
シンドー、立たせてくれ、と僕は唇を動かす。
ほとんどの言葉が、煙が散り散りになるみたいに空気の中に消える。
『うん、わかった。』
けれどシンドーは、僕の背中に細い腕を回してくれる。彼女は僕に抱きつくようにして、僕の身体を起こしてくれる。彼女の微かな胸のふくらみが僕の心臓の
ちょうど上に触れる。こんな時にでも、僕はそれが幸運だと思う。僕の頬にはおそらく、赤みがさしている。彼女はそのままじっとして、動かない。僕の背中に両腕を回したままの格好で、回路を間違えたみたいにぴたりと静止してしまう。僕は上半身だけを起こして、次に自分がどのように動き出せばいいのかわからなくなる。
『ハヤサカを、刺すの。』
何かの隙間から聞こえてくるみたいに、シンドーの優しい静かな声がする。それは僕に訊いているようでもあり、あるいは懇願しているみたいに聞こえる。シンドーは僕の肩のあたりに頭を寄せ、僕を静かに見上げる。
僕は彼女の大きな瞳と火傷を見つめる。
火傷の痕が、唇のようにぱっくりと割れ、僕に話しかけるみたいに見える。




