#17 少年、灰、演説 (4)
『お嬢!』
ヨダが哀しそうに叫ぶ。前歯が全部無い。
黒服の一人が、彼女を押さえ込もうとする。
ヨダはめちゃくちゃな叫び声をあげながら、自分を押さえつけていた男を振り払う。そして彼女の傍に、駆け寄ろうとする。だがすぐに、黒服たちはヨダを一斉に殴りつけ、蹴り上げ、地面に叩きつける。黒服の一人が彼女の背中に立ち、彼女の腕を背中に回してがっちりと掴む。彼女は抵抗せずに、その場所におとなしく膝をつき、オザワ元首相を睨みつける。
お前も行けよ、と黒いレインコートの内側から、声がする。
僕の足は自動的に前に進み始める。
止まないざわめきと雪の中で、鳥が劈くように彼女の鋭い声が聞こえる。
『オザワ、オザワよー。』
彼女は挑発的な口調でまくしたてる。
『てめー、こっち向けよ、低能!無能!』
彼女を押さえつけていた黒服が、彼女の口を慌てて塞ぐ。彼女は苦しそうに頭をぶんぶんと横に振る。
オザワ元首相はよほどプライドを傷つけられたのか、あるいは彼女に興味をもったのか、制止する黒服たちをとどめ、前にでてきて彼女に顔を近づける。
オザワの予想外な動きに対して、黒服たちが一瞬、隊形を崩したように見えた。僕はその瞬間に檀上に飛び乗る。
僕に向ってくる黒服を視界に捉えながら、次の瞬間、サバイバルナイフをまるで空中に置くように自然に、刃で滑らかに空気を裂いた。
その刹那にできた刃の軌道上に、オザワの喉元があると僕は計算していた。
何かを滑らかに抉った感覚が、僕の指にしっかりと伝わる。
そして次の瞬間には、僕もまた地面に全身を押さえつけられる。
圧倒的な力で僕は押さえつけられ、背骨がぎりぎりとねじを巻くように痛んだ。
僕は顔をあげる。オザワ元首相がどうなっているかを、確認する。
そのときになって、僕が抉ったのは彼の喉の肉ではなかったことに気が付く。ただ、オザワの眉間から片頬までにかけてが、ぱっくりと割れていた。そしてその裂け目からは、滝のように赤い血液が、さらさらと湧き上がっていた。
オザワ元首相は、ふらふらと後ろ向きに歩き、ぺたんと尻もちをついた。
そして、自分の顔面の隙間を中指でなぞろうとする。それから、ひどくながい呻き声をあげながら、その場所にうずくまる。
僕はその光景が妙に可笑しなもののように思う。
僕は顔を伏せて、声を殺して笑う。
人々のざわめきが遠のいていく。灰色の雪が、地面に押さえつけられた僕たちの身体に降り積もっていく。
彼女の叫びが、どこかから微かに聞こえる。何かの合図みたいに。
そして、降りしきる雪の中で、炸裂音が響く。




