#12 狩猟犬、王様、女の子 (1)
12.狩猟犬、王様、女の子
最後の客が帰り、パーティーが終わると、窓の向こうは真っ暗になっている。唐突にあらゆる音が、暗闇に吸いこまれてしまったみたいに、あたりに沈黙が重たく降りる。
『もう、こんな時間だ。』ヨダは腕時計を確認する。『楽しかったけど、思ったより遅くまでかかってしまったな。』
ヨダは立ち上がり、軽くストレッチをする。部屋の中にはヨダと僕と、缶ビールを大切そうに握りしめ、誇らしげにまどろんでいるミヤガワさんしか残っていない。さっきまで大勢の人間が押し掛けていた痕跡は、無暗に食べ散らかされた食べ物の瓦礫みたいな残骸や、部屋を覆う生き苦しい熱気と埃の中に、垢のように残っている。
『車を停めてある。ドライブに行こう。』
ヨダは、僕とミヤガワさんを交互に見て言った。
ドライブ、と僕は驚いたように復唱する。ヨダは僕に向って、同意をもとめるように笑顔で頷く。
『お嬢、ドライブに行くぞ。』
ヨダは彼女の傍に腰を下ろし、彼女の耳元で言う。
『なんで。』
彼女は、どうしてそんなことをしなきゃいけないの、眠たいんだけど、という
ふうに、機嫌の悪い猫みたいにうらめしそうな顔をする。
仮設住宅の集落の脇に、TOYOTAの青いカローラ・フィールダーが駐車してあった。
『あの車だ。知りあいから借りているんだけどな。』
ヨダは傘をさした手で、その自動車を示した。僕は感想を言わないまま、黙って車のところまで歩く。僕たちの前をミヤガワさんがふらふらとたよりなく歩いている。今にも転びそうな彼女を、ヨダは何度も抱えようとしたが、そのたびに彼女は、ばかー、さわんなーと悲鳴をあげて、ヨダを本気で殴った。
3人が傘をたたみ、自動車に乗り込むと、僕はほっとした気分になる。あたたかく清潔な自動車のシートが、僕たちを献身的に護ってくれるような感覚がある。僕は深呼吸をする。そのカローラ・フィールダーは、僕の心によく馴染んだ。
『ちょっと待ってくれよ。指がかじかんでる。』
運転席に座ったヨダが、助手席に座った僕に向って言う。ミヤガワさんは後部座席に乗り込んですぐにまるくなって、また、くーくーと眠りを貪り始める。
『いいよ。指の感覚が戻るまで、待ってる。』
僕はバックミラーで彼女の姿を確認する。
『なにしろ寒い。酒は飲んでないが、指どころか脳の芯までが、凍りつくみたいに麻痺してくる。』
ヨダは大袈裟に震えながら言う。
『お酒は飲まないの。』
僕はヨダに訊く。
『ああ。運転するしな。だけど昔はよく、お嬢に付き合わされて飲まされたんだぜ。テキーラを繰り返して一気飲みして、俺はいつもリバースさ。』
ヨダは運転席から振り返って、横たわる彼女を見た。僕も愛想よく相槌を打ちながら、彼女を見る。後部座席に寝転んだ彼女のお腹が、気持ちよく頷くみたいにゆっくりと上下する。
『どこへ行くの。』
僕はシートベルトを締めながら訊く。ヨダは何かを深く考えるみたいに、黙っている。僕はフロントガラスに打ちつける雨粒を見つめながら、ヨダの言葉を待つ。出し抜けにエンジンのかかる音が、年老いた猿の鳴き声のように雨を切り裂く。自動車のヘッドライトが、暗闇の奥にある砂利とそこに降る雨を、狩猟犬が獲物に飛びかかるように照らした。
『本当の俺のことを、知ってほしいんだ。』
ヨダが静かに言う。
『ハヤサカのところに行くんだね。』
僕は言った。ヨダは不意を突かれたみたいな顔をする。
『ミゾグチは、なんだか変わったな。』ヨダはゆっくりと息をつく。『成長したみたいだ。』
僕は、ヨダの言葉をどのように受け取っていいのかわからない。
『そうかもしれない。』
僕はしばらく考えたあとで呟く。ヨダはサイドブレーキを解除し、アクセルを柔らかく踏み込む。
『ミゾグチの予想のとおりだ。ハヤサカさんたちに会ってほしい。ハヤサカさんは、お嬢とキミのことを気に入っているみたいだ。もちろん俺も、二人といっしょに戦いたいんだ。』
ヨダは、それがきわめて正しいことであり、宿命づけられているものであるかのようにして言う。そのとき僕は、なにより彼女のことを考える。彼女はどうするのだろう。
もう一度、彼女は、あの爆破テロの夜の続きを続けることができるのだろうか。彼女はそれを求めるだろうか。
『お嬢は、きっとくるぜ。』
ヨダが言う。そこには揺らぎない確信の響きが含まれている。
『ミゾグチが気にしているのは、そういうことだろう。』
カローラ・フィールダーが砂利道をカーブして、僕の身体は大きく外側に揺さぶられる。
この男は、手にとることができるくらい、僕と彼女を捉え続けている。僕たちがどれだけ暗闇の奥に逃げても、暗闇の中をひたひたと、狩猟犬のかたちをして追ってくるのだ。たとえそこに純粋な悪意がなくとも。
雨が降り続けるなかを、青いカローラ・フィールダーは海岸沿いを西に向って走った。
彼女はずっと、無防備で幸せそうな寝息を立てている。僕はもう何ものも、彼女の眠りをやぶる真似をしてほしくないと思った。海岸の西端まで来ると、北西の丘に向かう道路を走り始めた。いくつかの暗い道を進んだり、折れたりしているうちに、僕は正確な方向感覚を失っていった。進路が変わるたびに、別の現実の時間が目の前に現れ、それまでの現実の時間が切り崩されていった。あるいはそれは、知らず知らずのうちにもうひとつの世界に足を踏み入れていく感覚だったのかもしれない。




