#11 クリスマス・イブ、流木、騎士 (3)
僕がレイモンド・カーヴァーの【頼むから静かにしてくれ】の最後のページをめくった時、小屋の扉がガタガタと音をたてた。
僕は怯えたように顔をあげる。
いつのまにか、窓から差し込む光が弱まり、部屋の中は薄暗くなっている。僕が立ちあがろうとすると、小屋の扉がすっと開く。
僕は読書で疲れた目を細めて、扉を開けた人影に焦点を合わせる。
『ただいま。』
ヨダが、何かを祝福するみたいに大きな声で言った。僕は立ち上がり、ああ、と頷く。
『お嬢も、いっしょか。』
ヨダは靴を脱ぎながら、眠っている彼女の姿を不思議なものでもみるみたいに見た。
キミを待っている間に眠ってしまったんだ、と僕は説明するのを止めた。
僕はヨダに僅かな優越感を感じながら、電気のスイッチをつける。部屋の中が、今日という日を朝からやり直すみたいに、ぱっと明るくなる。
『ミヤガワさん、起きて。』
僕はベッドの上でこんこんと眠り続ける彼女に声をかける。だが彼女は、目覚めようとしない。彼女は眠っているときでさえ、僕のことを無視しているように思えてくる。それは、当たり前のことなのだけれど。
『お嬢の寝起きはタチが悪いぞ。寝顔は生れてまもない子猫みたいに可愛らしいが、その眠りは海底火山のように深く、不気味だ。』
ヨダはなぜか満足そうに頷きながら言う。僕は彼女の肩をつかみ、彼女の身体を揺らしてみる。
『起きなよ、ねえ。』
僕はほとんど怒鳴り声で言う。それを何度か繰り返した後で、ようやく彼女は寝息を止める。
それから目を覚ます。
彼女が何かに駆り立てられるように突然、身体を起こしたので、危うく僕は彼女の鼻の頭にキスをしてしまうところだった。
『お嬢、ただいま。』
ヨダはそんな僕と彼女のやりとりを、爽快そうに見ながら言った。
『ばかやろー』
彼女はそう怒鳴って、ヨダに抱きついた。ヨダは困ったように笑い、僕を見る。僕は余裕で笑顔をみせようと思ったが、すぐに首を振って目を逸らした。
ばかやろー、ばかやろー、と彼女は言って、小さな拳でヨダの顔面を叩いた。重苦しい音がどすどすと響いた。
『痛い、痛いな、やめてくれ。』
ヨダは本気で懇願する。『お前、寝ぼけてるな。』ヨダは言う。
寝ぼけてないよ、と彼女は愛しそうに答えていた。
それから、仮設住宅の大勢の人間が僕の小屋に集まってきた。みんな、ヨダの友達や知り合いだった。それはまさしく、英雄たる騎士の帰還を祝う民衆のようだった。大学生くらいのグループがやってきて、ヨダに握手を求めながら、あんたはすごいことをやったんだ、と興奮した。そしてばらばらに騒いだ。こぎれいなおじさんがやってきては、よくぞ生きて戻ったな、あんたは私たちの誇りだ、と静かに真剣に言った。
なにより大勢の人間が入れ替わり現れては、差し入れのように食べ物やお酒を置いていってくれた。おにぎりやパン、お菓子、カレーや野菜炒めなんかもあった。やれやれ、奇妙なクリスマスパーティーだな、と僕は思った。僕は誰かが差し入れてくれたおにぎりをほおばりながら、多くの人の中心にいるヨダと、その傍らで誇らしそうに缶ビールを飲む彼女の横顔をぼんやりと眺めていた。
ヨダは時折、何かを取り戻そうとするみたいに、大声で笑い声をあげた。
傍らで彼女は、まるで自分を痛めつけているかのように缶ビールを次から次へと飲み干していった。僕はそのいかれたクリスマスパーティーの間中、ほとんど一言も話さなかった。
彼女もヨダも、僕のことを無視しているように思えた。あるいは本当に、僕を忘れているのかもしれない。僕は気分がよくないふりをして、レイモンド・カーヴァーの短編小説のページをめくり続けた。つまり僕は、目の前の空気に入っていけない人間なのだ。だから誰もが、僕に愛想をつかしていくのかもしれない。
あらゆる人にとって僕は、真夜中の列車からみえる廃墟のようなものなのだ。