#11 クリスマス・イブ、流木、騎士 (1)
11.クリスマス・イブ、流木、騎士
眠っているうちに身体に無数の細かい切り傷を負わされたような感覚で、目が覚めた。
12月の朝、仮設住宅の小屋の中は冷え切っている。僕は毛布を頭までかぶり、病気の犬みたいに身体をまるめ、がたがたと震えている。身体のいたるところが、寒さで麻痺している。それはまるで、夜のうちに凍りついた肉体の欠片が、僕から切り離されてしまったようにも思えた。自分の心臓の音が薄暗く鈍重に響き、血液の流れは硬直している。
僕は毛布をかぶったまま、身体をベッドの上に起こす。
今すぐにでも凍りついてしまうような空気の中では、静かにじっと目を閉じているよりは、身体を起こし、あれこれと考え事をしているほうが、いくらか血液の流れも戻ってくるような気がした。
僕は毛布から頭をだして、呆然と窓の外を見上げる。空は明るい灰色に輝いている。厚い雲の層が茫漠としたホリゾントのように広がり、遥か高いところで氷の粒のような雨がきらきらと輝いているのが見える。そこには、光があるのだ。冬の日の朝でさえ、太陽の光は雲と雨の向こう側から、献身的に地上へと降り注いでいる。大量のインクが滲み、こぼれるみたいに、雲は太陽のとめどない光を遮ることはできない。
僕は何かの合図みたいな白い息を吐きながら、上空にある太陽のまっ白い光を想像する。
時刻は午前7時30分だった。身を切るような寒さや、重苦しい眠けが遠のくと、ようやく僕の意識は、現実の時間に馴染んでくる。僕はベッドから起き上がると、支給されたばかりの黒いPコートと黒と白のチェックのマフラーを身に着ける。
そして傘を手に取り、外に出る。
僕は湿った砂利道を共同トイレまで歩く。外を吹く風は手にとることができる
くらいくっきりとしている。風は不当な暴力のように僕の顔や指を繰り返し切って、通り過ぎていく。世界中のあらゆる風が、僕を傷つけようとしているみたいに思える。灰色に輝く空も、星のように輝く上空の雨の煌めきも、静まりかえった仮設住宅の小屋の壁も、砂利道の上の水たまりも、何かに脅えているようにひっそりとしている。
冬は、そんなふうに世界に静寂をもたらせる。僕は鼻を啜りながら、ひとけの無い静かな道を歩き続けた。
共同トイレで用を足したあと、僕は脈絡なく海岸まで歩こうと思った。マフラーをぎゅっと鼻の頭まで引き上げ、僕はひとりきりで海岸まで歩く。かつて市街地だった瓦礫の平野を抜けて海岸に辿り着くと、僕は海岸の堤防沿いを西に向って歩くことにした。
僕は顔をあげて、雨に濡れた堤防の向こう側に焦点をあわせる。灰色に輝く空と、銀を溶かして混ぜたみたいな重い青色の海の境目に水平線がある。水平線のあちこちで空と海の色が混じり、それはひどくおぼろげで、変声期の少年の声みたいなひずみをもった光景だった。
僕はボブ・ディランの【ノッキング・オン・ヘブンズドア】の旋律を頭の中に思い浮かべながら、汗をかくまで歩き続けた。
ひとしきり歩くと、堤防の上に立ちつくしている男と出会った。
男は傘をさし、コートのポケットに片手を突っ込んだ格好で海を眺めている。
馴染みのある相貌が、僕の心を打った。
それは、ヨダだった。