#9 涙、箱、夜明け(2)
ワゴン車には結局、誰も帰ってこなかった。
僕は彼女を抱きしめたまま、ワゴン車の中でじっとしていた。
ヨダやハヤサカは爆発に巻きこまれてしまったのだろうか、僕は彼らのことを思った。だが今は目の前のひとりの女を護ることがすべてにおいて優先された。
僕は今、彼女をここで護らなければいけない。
世界にあるすべての、彼女を汚し、彼女から奪い、彼女を損なわせるものたちから。
彼女の華奢な身体が細かく震えていた。
僕は泥のついた彼女の髪を自分の頬に抱き寄せながら、いろんな場所で燃えあがる炎について考えてみた。仮設住宅でのバーベキューパーティー、暴徒に燃やされる赤い旗、海岸で炎に包まれるボート、爆発する建物―。すべて僕にとって、革命の合図だったように思えた。
それは何にもかえがたい必要な経験と光景だったと思う。僕は目を閉じる。大切なことを思い出そうとするみたいに。
目を開けると、ワゴン車の中に青白く柔らかい光が差し込んでいた。
夜明けの時間だった。
僕と彼女はいつのまにか眠りを貪っていたようだった。
彼女は小さな声で、外にでたい、と言った。
僕は、いいよ、と車のドアを開ける。
ドアの向こうには、心静かな朝の光を受け、薄い青に染まる瓦礫の山が広がっている。僕は彼女の空気のように柔らかい手をとり、彼女と車から降りる。彼女は僕の手から離れて、まるで瓦礫の一部になるみたいに、ふらふらと瓦礫の中を歩き始めた。彼女の全身が献身的な朝の光のなかで、青白く燃えあがっているように見えた。僕は彼女の後を追って、瓦礫の中を、ただ歩き続けた。
歳月は、真夜中の列車のように過ぎて行った。
テロを伝えるニュースも、人々のざわめきも、僕の知らない時間の、
僕の知らない国で起こっている出来事のように思えた。
すべては、真夜中の車窓の淵へと音もなく消失していく。
僕は、誰にもみつけられない場所へと向かう。
その場所はもう、誰にも盗まれることはないし、
誰にも損なわれることはない。
ただ、清潔な霧雨が降っているだけの場所だ。
そして彼女が求めた、場所だ。