#9 涙、箱、夜明け(1)
9.涙、箱、夜明け
僕たちは全員でワゴン車から降り、二手に別れた。
ハヤサカと知らない男たちはレインコートに身を包み、プラスチック製の箱を抱え、建設途中の建物に向かう。
僕と彼女とヨダは傘をさして事務所に向かった。
暗闇の中で姿を捉えることができない雨が、僕たちの傘を激しく打った。数多くの雨粒が、僕たちに腹を立てているように思えた。僕たちは事
務所の南側の壁まで走り、立ち止まる。だが、彼女は壁に背をつけたまま、その場所によわよわしく座り込んでしまった。彼女はおしりをぺたんと泥につけて、傘と爆弾の箱を胎児のように抱えたまま、身体を丸くし、涙を流し始めた。声をあげず、ただ雨の中で唐突に泣き始めた。
『お嬢とミゾグチは戻れ。あとは俺がやる。』
ヨダが、まるでハヤサカみたいに言った。
ヨダは彼女が大切そうに抱えた爆弾の箱を抜きとろうとする。彼女は噛み切ってしまいそうなくらい強く自分の唇を噛み、箱をヨダに渡そうとしなかった。傘が落ち、彼女の全身は泥と雨にまみれた。まるで彼女の涙が泥の色をしているようにみえた。
僕は何もできず、その異様な姿を見つめていた。
『お嬢、悪い。』
ヨダは短く息をついてから、彼女の横腹を素早い動作で殴りつけた。
その瞬間、僕はヨダを憎んだ。彼女は諦めたように目を閉じ、泥の中に倒れこみ、苦しそうにのたうちまわって、哀しそうに嘔吐した。ヨダは無言のまま、箱を彼女の身体から抜き取り、僕たちを置き去りにして暗闇に消えた。残された彼女は母親に叱られた子供みたいに声をださず泣き続けた。雨と泥の底で。
僕は彼女の姿をひとしきり見ながら、自分の身体が腐ってこぼれ落ちていくような気がした。僕は泥に膝をつき、倒れたまま泣き続ける彼女の身体を抱き起こす。彼女はとても汚れ、ひどい匂いがした。そして海に飛び込んだみたいにびしょ濡れだった。
僕はとりあえず、傘を彼女の頭上に掲げた。少なくとも、僕が傘をさすことで、彼女の身体はもう雨に濡れることはない。これで、彼女を汚すものは、ひとつ、なくなったわけだ。僕はもう片方の腕で彼女を抱きしめてみた。彼女の心臓の一
音一音が、雨が傘を打つ音の隙間に聞こえてきた。あたたかい響きのある心優しい音だった。僕はいつまでもその音に耳を澄ましていたかった。
『悔しいの、わたし、ね、くやしいんだ・・・。』
彼女は僕の耳元でそう言った。時折、涙を喉に詰まらせながら。僕は彼女の心臓の音にあわせるように、うん、うん、と優しい合図を彼女におくる。僕は彼女の手を肩に乗せ、ゆっくりと彼女の身体を支えながら立ち上がる。
そうして、ふたりでワゴン車まで戻った。
しばらくして爆発が起きた。
世界が終ってしまうような圧倒的におぞましい音が暗闇の中に響き渡った。大地が、悪意をもって揺れ続けた。
もしかしたら、おそらく世界はもう終わってしまったのかもしれない、と僕は思った。