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#7 蟹工船、ラジオ、獣(けもの) (2)

 彼女と僕は仮設住宅から離れ、瓦礫の街を通り抜け、海岸まで歩いた。

彼女はブラウンのニットカーディガンのポケットに片方の手を寒そうに突っ込み、もう片方の手で傘をさしている。バッグからはコードが伸びて、彼女のかたちのいい耳にはオーディオテクニカのインナーイヤホンが収まっている。


『何を聞いているんですか。』

僕は彼女に訊いた。

『ラジオニュース。』

彼女はそう言って立ち止まる。

『ミゾグチ君も聞く?』

彼女はポケットから手を出し、バッグの中をあさり、不格好なラジオにつながったイヤホンのジャックを抜く。音声の出力がイヤホンから本体スピーカーに移る。ラジオは久しぶりに遭った親友みたいに、静かな声で親密そうにニュースを語り始める。雨と瓦礫に、その声はひっそりと沁み渡ってゆく。


『 ― 中国の対日投資の拡大は2010年代後半に一気に加速し、日本の東南海大震災の混乱のなかで、多くの日本企業の買収に至りました ― 。』

ラジオはその後、ある日本の電機メーカーのAV部門が、今週、中国系企業に買収されたことを告げた。

『また、とられたね。』彼女は諦めたように息をつく。『気に入らないことばかり。』

彼女はそのまま、僕と彼女の間にある空白に降る雨をうらめしそうに見る。

彼女はひとしきり雨を見つめた後で、思い出したみたいに僕を見る。そして何度か繰り返し瞬きをする。

『私の友達がね、女の子なんだけど。』彼女は言う。『私みたいに、ひどいことされたの。』

彼女は自分の胸を苦しそうに掴む。自分の心臓をえぐりとろうとしているみたいに。

『犯人は自衛軍のひとたちだった。』彼女は傘を落とした。彼女の髪がみるみるうちに濡れた。


そして予告もなく泣き始めた。


僕は息が止まるくらい悲しい気持ちになる。

それでも雨は単調に降り続けている。僕はこんな時、ヨダみたいに彼女を抱きしめられない自分の立場に絶望する。ただ僕は、彼女が雨に濡れないように、自分の傘を彼女の頭上に掲げた。

 彼女はパン屑をぽろぽろ落とすみたいに、透明の涙を瓦礫の上に落とした。そして何度か深く息をついた後で、黙って歩き始める。僕は彼女の傘を拾いあげ、濡れたまま歩く彼女の後ろをついて行った。


瓦礫の街を抜け切ると、灰色の空と海岸にでた。波は荒く、海は銀色を含んだ青色をしている。海岸には、1そうのボートが陸揚げされた状態で固定されてあった。それは海岸線をみつめながら、何かを静かに考えているみたいに見える。

『あれは、自衛軍の緊急物資運搬用のボートなの。』

びしょ濡れの彼女が小さく呟く。海岸には誰ひとりいなかった。波が陸の砂を打つ音が、まるで別の世界のもののように聞こえた。

彼女は雨をいっぱいに吸った砂浜の上を歩く。ぎゅっぎゅっと簡潔な音とともに刻印のような足跡が砂の上に残っていく。彼女はボートの傍で立ち止まる。そしてバッグの中から透明の液体がはいったペットボトルを取り出す。そして、だしぬけにペットボトルの液体をボートにまんべんなく振り撒いた。


僕は雨の中から彼女を呼んだ。


彼女は僕の方を振り向き、優しそうに笑うと、手にもっていたマッチを擦り、それを投げた。ボートは一瞬にして炎に包まれる。炎があがった瞬間、彼女は逃げようとして転び、全身を濡れた砂で汚した。

僕は倒れた彼女を起こそうと彼女に駆け寄り、手を差し出す。だが、彼女は僕

のその手を思いきりぶった。

彼女はただ静かに、雨の中で燃えあがる自衛軍のボートを見ていた。僕は諦めたように目を閉じる。暗闇の中から、雨の音と、波の音と、風の音と、炎がボートを焼く音と、そして、けものの呻き声みたいな彼女の泣き声が聞こえて

きた。僕は本当に、別の世界に足を踏み込んでしまったような気がした。僕はもう、元には戻れない場所で、ただ傘をさしているのだ。

深い暗闇を見つめながら、僕はそう実感する。


『今夜ね、ハヤサカさんに呼ばれているの。』

目を開けると、炎に包まれるボートと彼女が、変わらずにそこにあった。


『ミゾグチ君も、きてくれる?』

彼女は愛しそうに僕に訊いた。


行きます、と僕は言った。


# Excuse


物語に登場するのは架空の軍隊【自衛軍】です。

実在の【自衛隊】とは関係ありません。

この物語は、けっして実在の【自衛隊】を誹謗するものではありません。



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