喧嘩篇
もし、もしもだ。普通の人生を歩んでる僕の日常に、神様が非日常のきっかけを送り込んだとしたら。例えどんな事だとしても、それが難しいとは思いたくないものだ。
誤解される前に、僕の普通を説明しておこう。なぜ誤解される可能性があるかと言うと、人の考え方によっては僕の普通は普通ではないからだ。(ああ、ややこしい)
まず、僕は中学を卒業するまで学校は車で送り迎えされていた。それも教室までは身体の大きい私服警官が付き添っていた。そして帰りは週三の頻度で護身術を教わる毎日だった。護身術は約十年間の努力により、比較的細い僕の身体は細い筋肉に覆われた。それまでずっと付き添ってくれた警官に合格を貰い、高校生になってからようやく自転車通学が認められるようになったのだ。
どうして自分の身を守られたり守ったりしなければいけないかというと、その理由は決して大げさでは無い。
原因は父にあった。僕の父は警視庁に勤めてる。しかも物心がつく前から家の前や僕の周りには警備服を着た体格のいい人がいるから、お偉いさんである事は間違いないらしい。これは母から聞いた話なのだが、父はその昔ヤクザや暴力団の目に余る悪事を数多く暴いたらしい。そのお陰で出世を繰り返し、高級住宅地に家を立てたり、召使いを何人も雇えるほどの地位と金を会得したが、反面で昔に関わったヤクザに命を狙われてしまう危険性が常にある状態になってしまった。それは僕たち家族も例外ではないのだ。高級車のお出迎えと私服警官のせいで、結局僕のあだ名は「お坊ちゃん」から変わることは無かった。
友達はそんな僕の「お金持ちのお坊ちゃん」という事実を羨ましがったが、そんなことは無い。
物心つく前から出世街道を突っ走っていた父親とは今でも滅多に会えないぐらい多忙な毎日だ。中学を卒業するまで警護をつけてくれたのは愛情か義務なのか。僕は父親から愛情を注いでもらった思いですらない。逆に、休日には家族で外出したり、警護なしでみんなで一緒に下校する友達が羨ましかった。
みんなが思う非日常が、僕にとっての普通だった。だからといって、毎日徒歩で帰っている同級生のことを変だと思った事はなかったし、比較して自分が格上だと威張る事もなかった。
結局言いたいのは人の数だけ普通があるという事だ。それだけは幼い時から把握していた。
もうひとつ、僕は芸能界に片足を突っ込んでいる。これを語る上で母の存在は欠かせない。
僕の母は、元宝塚出身で知る人には有名な花形の男優だった。宝塚は僕が生まれたのをきっかけに引退し、現在はその声力を生かして夫人向けのコーラス教室で発声を教えている。そんな母は護身術や勉強で忙しかった僕に、暇を見つけては歌を教えた。ここで、僕がどんなに歌う事が好きかを説明したいぐらいだが、それはまた今度話す機会があるだろう。とにかく、好きなものこそ上手あれと言う諺があるように、僕の歌力はメキメキと上達した。それを予想以上だと驚いた母は、僕の知らない所で昔の同僚に録音した曲を聴かせた所、伝って音楽プロデューサーにCDを出さないかと言われた。中一の後半の事だった。僕の母は勉強に差し支えるから顔出しはNGという条件でいつの間にやら話を飲んでいた。このことは一言も相談がなかったがたまに今も少し不服に思っている。確かに、たまにTVの音楽番組で「若すぎる天才歌手!」などと騒がれるのが嬉しくないと言えば嘘になるが、それでも有名になりたいわけではなかった。母は善かれと思い決めたのだろうから文句は言わない。しかし、歌を商売道具にはしたくなかった為、それまで稼いだお金は一銭も使わないでいる。
以上話した事が僕の普通だ。そして、これから話す事は僕の日常の歯車が少しずつ変化してゆく、ちょっとした成長譚である。