EP 6
地下アイドルの涙と、極上ネギトロ丼
小料理屋『龍』の営業終了後。
深夜の路地裏は、都会の喧騒から切り離された静寂に包まれていた。
「……ふぅ。今日もよく出たな」
龍魔呂は勝手口を開け、夜風にあたりながらタバコに火を点けた。
ルナが寝静まった後の、この一服が彼にとって唯一の休息だ。
その時だった。
勝手口の横、ゴミ箱の影で何かが動いた。
「……あ?」
野良猫か。
龍魔呂が目を細めると、そこにいたのは猫ではなかった。
ボロボロのパーカーを目深に被り、震える手で「パンの耳」をかじっている少女――シーラン王国の王女にして、現在は崖っぷち地下アイドル、リーザだった。
「……ひぐっ……おいひぃ……」
涙を流しながらパンの耳をかじるその姿は、あまりにも痛々しい。
彼女は「歌で世界を救う」という夢を抱いて地上に来たものの、現実は厳しく、太郎国での生活苦に喘いでいたのだ。
龍魔呂は短くなったタバコを携帯灰皿に押し込み、静かに近づいた。
「……おい」
「ひゃうっ!?」
リーザが飛び上がる。
目の前には、赤と黒の服を着た強面の男。
(こ、殺される!? ゴミを漁っていたのがバレた!?)
「す、すみません! 盗むつもりじゃなくて、その、捨ててあったから……!」
リーザが必死に謝るが、龍魔呂は眉をひそめたまま、彼女の手元にあるカピカピのパンの耳を奪い取った。
「あぁっ! 私のご飯……!」
「……みすぼらしい猫かと思ったら、嬢ちゃんか。こんなゴミ拾って食ってんじゃねぇよ」
龍魔呂はパンの耳をゴミ箱に放り込むと、顎で店の中をしゃくった。
「入れ。……腹、減ってんだろ?」
「う、うわぁ……」
店内に招かれたリーザは、目を丸くした。
高級感あふれる内装。そして、何より温かい。
「そこに座ってな」
龍魔呂はリーザをカウンターに座らせると、手早く準備を始めた。
相手は海に縁のある雰囲気(微かに潮の香りがした)。ならば、肉より魚だ。
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龍魔呂は取り出した新鮮なマグロを包丁で叩き、炊きたての酢飯の上にたっぷりと乗せる。
刻んだネギを散らし、特製の醤油ダレを回しかける。
さらに、脇には『あさりの味噌汁』を添えて。
「食え。……『特製ネギトロ丼』だ」
ドン、と目の前に置かれた宝石箱のような丼。
「こ、これ……お魚……?」
リーザの喉が鳴る。
シーラン王国を出てから、まともな魚料理など食べていなかった。
太郎国の魚は川魚ばかりで、海の魚は超高級品なのだ。
震える手でスプーンを持ち、一口運ぶ。
パクッ……とろぉり。
「――っ!!!」
リーザの瞳が限界まで見開かれた。
マグロの濃厚な脂が、酢飯と絡み合って口の中で溶ける。
ネギのシャキシャキ感と、ワサビの香りが鼻に抜ける。
それは、故郷の海を思い出させる、けれど故郷の料理よりも遥かに洗練された味だった。
「う……うぅ……っ!」
「……不味かったか?」
「ち、ちがう……ちがいますぅ……!」
リーザは大粒の涙をポロポロとこぼしながら、スプーンを動かし続けた。
「おいひぃ……おいしいよぉ……! 私、こんな温かくて美味しいご飯、久しぶりで……!」
親善大使として来たはずが、気づけばみかん箱の上で歌い、パンの耳をかじる日々。
誰も自分の歌なんて聴いてくれない。誰も助けてくれない。
そう思っていた孤独な心に、龍魔呂の料理と、無言の優しさが染み渡る。
龍魔呂は何も言わず、泣きじゃくりながら食べるリーザに、温かいお茶を出した。
やがて、丼が空になると、リーザは少し落ち着いたのか、恥ずかしそうに俯いた。
「あの……ごちそうさまでした。私、お金持ってなくて……」
「金なんぞいらねぇよ。……その代わり、聞かせろ」
「え?」
龍魔呂はカウンターに肘をつき、リーザのパーカーのポケットから覗いているマイク(100均のおもちゃ)を指差した。
「歌うんだろ? 歌い手なら、喉と腹は大事にしな」
「……っ!」
リーザはハッとして、自分の商売道具を握りしめた。
この人は、薄汚れたパーカーの下にある、私の「夢」を見てくれた。
「わ、私……歌で、世界を元気にしたいんです! でも、全然うまくいかなくて……」
「……そうか。なら、ここで歌え」
「えっ?」
「ウチには美味い飯と酒はあるが、BGMがちと寂しいんでな。……アンタの歌で、客の酒を美味くしてくれ」
龍魔呂の提案に、リーザの心臓が激しく高鳴る。
ステージがある。聴いてくれる人がいる。
そして何より、この人が私の歌を必要としてくれている。
ズキュウウウンッ!!
(龍魔呂さん……私、貴方のために歌います!!)
リーザはパーカーを脱ぎ捨てた。
その下には、手作り感満載だが、フリルがついたアイドルの衣装。
彼女の瞳に、王女としての、そしてアイドルとしての光が戻る。
「はいっ!! 私、精一杯歌います!!」
翌日。
小料理屋『龍』は、異様な熱気に包まれていた。
「いっくよー! みんな準備はいいかなー!?」
「「「オオーーーッ!!」」」
店内の特設ステージ(龍魔呂がビールケースで作った)には、キラキラと輝くリーザの姿。
客席には、冒険者や商人、そして仕事帰りのサラリーマンたちがペンライト(100均)を振っている。
『ガンガンガン! アタマガガン!
月曜日だ 朝からバックレしたい~♪』
歌っているのは、太郎直伝の社畜ソング『月曜日の社畜』。
歌詞は悲惨だが、リーザの美声と、龍魔呂の店で提供される美味い酒の相乗効果で、客たちは涙を流しながら熱狂していた。
「……なんだこの店は」
カウンターの奥で、龍魔呂はタバコを燻らせながら呆れていた。
「賑やかになりすぎたな。……ま、悪かぁねぇか」
ステージの上から、リーザが龍魔呂に向けて熱いウィンクを送る。
(見ててね、龍魔呂さん! 私、貴方のおかげで輝けてるよ!)
「はわわ、リーザちゃん凄いですぅ! 私も負けてられません!」
ウェイトレスのルナも対抗心を燃やしてホールを駆け回る。
こうして『龍』は、
「絶品料理」
「天然エルフの接客」
「王女アイドルのライブ」
これらが一度に楽しめる、大陸で最もカオスで予約の取れない店へと進化してしまった。
だが、龍魔呂はまだ知らない。
この騒ぎを聞きつけ、さらなる大物(魔王)が近づいていることを。




