EP 5
太郎の危機(NTR疑惑!?)
太郎国王宮、執務室。
この国の王であり、現代日本からの転生者である佐藤太郎は、頭を抱えていた。
「おかしい……絶対におかしい」
デスクの上には、開発中の『100均・新便利グッズ』と、伸びきったカップ麺。
だが、今の太郎の心は発明にもラーメンにも向いていない。
愛する二人の妻、サリーとライザの様子が、ここ数日劇的に変化しているのだ。
『あら太郎様、今日の夕食はいらないわ。……ちょっと、外で済ませてくるから』
『すまない太郎様。夜間訓練(という名の飲み会)に行ってくる。……ふふっ』
二人の肌艶は妙に良く、鼻歌まで歌っている。
そして何より、帰ってきた二人から漂う香りが――
豚骨とニンニクの匂いではない。
上品な出汁の香りと、ほんのり甘いタバコとムスクの香りなのだ。
「ま、まさか……浮気!? 俺のラーメンより美味い男が現れたって言うのか!?」
太郎の脳裏に「NTR」の三文字が点滅する。
平和主義者の彼も、こればかりは看過できない。
「……突き止めてやる。俺の家庭を壊す不届き者がどこのどいつか!」
太郎は【100円ショップ】スキルを発動。
『パーティーグッズ』コーナーから『付け髭』と『サングラス』を取り出し、さらに『作業着』に着替えた。
完璧な変装(不審者)だ。
夜の城下町。
妻たちの残り香を頼りに、太郎が辿り着いたのは路地裏の一角だった。
「……なんだここは。こんな店、昨日はなかったぞ」
古びた石造りの建物の中に、異質なオーラを放つ一軒の店。
暖簾には『龍』の一文字。
漏れ聞こえるのは、洒落たジャズの音色。
太郎はゴクリと唾を飲み、恐る恐る引き戸を開けた。
「……へい、いらっしゃい」
カウンターの中にいたのは、黒と赤の服を纏った強面の男――龍魔呂だった。
その鋭い眼光と目が合った瞬間、太郎の背筋が凍りついた。
(ヒィッ!? な、なんだこの男は……カタギじゃない!)
太郎の本能が叫ぶ。
こいつは料理人じゃない。殺し屋だ。
かつて映画で見たマフィアのヒットマンか、それ以上の『死』の匂いがする。
「……おい、アンタ」
龍魔呂が低い声で呼びかける。
「ひゃ、ひゃいっ!?」
「座れよ。突っ立ってると邪魔だ」
「し、失礼しますぅ!」
太郎は震えながらカウンターの隅に縮こまった。
(やばい、殺される……! サリーたちはこんなヤバイ男に脅されているに違いない!)
だが、龍魔呂は太郎を睨んでいたわけではない。
彼の目には、変な髭を付けた挙動不審な客が、疲れ切った現代社会のサラリーマンのように映っていたのだ。
「……アンタ、いい顔してるな」
「えっ?(命乞いのタイミングか!?)」
「疲れが顔に出てるぜ。……仕事帰りか?」
龍魔呂はタバコの煙を天井に逃がしながら、静かに言った。
その声色は、意外なほどに優しかった。
「あ、いや、その……家庭の事情というか、妻たちが最近冷たくて……」
極度の緊張から、太郎はつい本音を漏らしてしまう。
「……フン。女ってのは難しい生き物だ。男が良かれと思ってやったことでも、あいつらにはガラクタに見えちまうこともある」
(ズキッ!)
太郎の心に突き刺さる。
良かれと思って振る舞ったラーメン。自慢げに見せた100均グッズ。
それらが妻たちを疲れさせていたのかもしれない。
「……食いな。サービスだ」
龍魔呂がドンと置いたのは、湯気を立てる大きな椀と、黄金色に輝くジョッキだった。
「こ、これは……!?」
『具だくさんの豚汁』と、『プレミアム・モルツ(生)』。
この異世界にあるはずのない、故郷・日本の居酒屋メニューだ。
「アンタみたいな顔の奴には、こういうのが一番効くんだよ」
太郎は震える手で椀を持ち上げ、汁を啜った。
ズズッ……。
「――っ!!」
合わせ味噌のコク。豚肉の甘み。ゴボウと大根の香り。
【地球ショッピング】で取り寄せた最高級の素材と、龍魔呂の手料理による温かさ。
それは、転生してからずっと気を張っていた太郎の心防壁を、一撃で粉砕した。
「う、うめぇ……! うめぇよぉぉぉ……!!」
太郎の目から涙が溢れ出した。
ラーメンも美味い。だが、この「お袋の味」のような優しさは別格だ。
孤独な王としての重圧、妻への不安、日本への郷愁。すべてがこの一杯に溶けていく。
「泣くほどのもんでもねぇだろ。……ほら、ビールも鮮度が落ちるぞ」
「あぁ、飲むよ! 飲ませてくれ!」
太郎はプレモルを喉に流し込んだ。
キンキンの喉越し。神の雫だ。
「ぷはぁっ! 生き返るぅぅ!」
太郎は付け髭をもぎ取り、龍魔呂の手をガシッと握りしめた。
「あんた、最高だ! 俺はあんたみたいな男を待っていたんだ!」
「……あぁ? 酔っ払いか?」
「俺とマブダチになってくれ! 頼む!」
龍魔呂は少し驚いたように目を丸くしたが、やがてフッと口角を上げた。
「……フン。変な客だ。ま、酒が飲める奴なら拒みはしねぇよ」
二人はグラス(龍魔呂はウイスキー)を合わせた。
奇妙な友情が芽生えた瞬間だった。
太郎は知らない。
この男こそが、自分の妻たちを骨抜きにしている張本人であることを。
そして龍魔呂も知らない。
この泣き上戸のオッサンが、一国の王であり、同じ「地球ショッピング(に近いスキル)」を持つ同族であることを。
「大将! おかわり!」
「へいよ」
夜が更けるまで、男二人の笑い声が路地裏に響いた。
翌朝、上機嫌で城に帰った太郎を見て、サリーとライザが「また変なラーメン屋でも見つけたのかしら?」と首を傾げることになるのは、また別の話である。




