EP 4
人妻たちの憂鬱(VS サリー&ライザ)
太郎国の城下町。
そこは今、空前のラーメンブームと100均グッズの色彩に溢れ、活気に満ちていた。
だが、その喧騒から少し離れた路地裏に、二人の女性が佇んでいた。
一人は、深い青のローブを纏い、目元を魔法で少し変装させた美女――この国の王妃、サリー。
もう一人は、腰に竜殺しの魔剣を佩き、凛とした空気を纏う女騎士――将軍にして第二王妃、ライザ。
「……ねぇライザ。この香り、間違いないわよね?」
「あぁ。太郎様が作るような脂っこい『豚骨』や『ジャンク』な匂いじゃない。もっと繊細で……深みのある、黄金の出汁の香りだ」
二人は顔を見合わせる。
愛する夫・佐藤太郎は素晴らしい王だが、最近は開発に没頭するあまり、食事といえば試作品のカップ麺や、脂マシマシのラーメンばかり。
三十路を過ぎた彼女たちの身体と心は、もっと「優しいもの」を求めていたのだ。
「行きましょう。なんだか、運命を感じるわ」
サリーが意を決して、藍色の暖簾をくぐる。
『龍』。
その一文字が染め抜かれた暖簾の先には、太郎国の喧騒とは別世界の静寂が広がっていた。
カランコロン……。
ドアを開けると、流れてきたのは異世界の酒場特有の喧騒ではなく、静かで心地よいジャズ(※Earth Shopping BGM)の音色。
間接照明に照らされた一枚板のカウンター。
そして、その奥に立つ一人の男。
「いらっしゃいませぇ! お二人様ですかぁ?」
パタパタと駆け寄ってきたのは、エプロン姿のエルフの少女、ルナだ。
そして、カウンターの中から男の低い声が響く。
「……いらっしゃい」
紫煙をくゆらせ、グラスを磨く男――龍魔呂。
その姿を見た瞬間、歴戦の猛者であるライザの背筋に戦慄が走った。
(ッ……!? なんだ、この男は……!)
武人としての本能が警鐘を鳴らす。
隙がない。立ち姿、筋肉の付き方、そして纏う空気。
ただの料理人ではない。この男は、かつて自分が斬ったドラゴンよりも遥かに「死」に近い場所にいる。
ライザの手が剣の柄に伸びそうになるが、龍魔呂は全く動じずにニヤリと笑った。
「物騒なモン持ち込むなよ、姉さん。ウチはただの飯屋だ」
「……っ、すまない」
毒気を抜かれたように、ライザは手を離した。
サリーは興味津々といった様子で、カウンター席に座る。
「素敵なお店ね。メニューはあるのかしら?」
「あるモンなら何でも作るが……あんた達、顔色が悪いな」
龍魔呂はタバコの火を消すと、二人の顔をじっと見つめた。
その視線は鋭いが、底知れぬ温かさを含んでいる。
「男の趣味に付き合わされて、胃も心も疲れてるって顔だ」
「えっ……?」
図星だった。
太郎の「これ100均で便利だろ!」「新兵器できた!」という少年の如き熱意は愛おしいが、たまには大人のムードに浸りたい。それが本音だった。
「……男なんてのは幾つになってもガキだ。だが、あんた達みたいなイイ女を曇らせるのは感心しねぇな」
ズキュウ……!
サリーとライザの胸が高鳴る。
「イイ女」。
夫である太郎からは「相棒」や「ママ」と呼ばれることはあっても、そんな風にストレートに女性として扱われることは最近なかった。
「座ってな。サービスしてやる」
龍魔呂が厨房に立つ。
取り出したのは、地球産の新鮮な卵と、先ほど引いたばかりの黄金の出汁。
シャカシャカシャカ……ジュワァァァ……。
リズミカルな音と共に、甘く芳醇な香りが店内に広がる。
そして、氷を入れたグラスに注がれるのは、琥珀色の液体。
「お待ちどう。特製『出汁巻き玉子』と、梅酒のロックだ」
目の前に置かれたのは、プルプルと震える黄金色の卵焼きと、氷が涼しげな音を立てるグラス。
「い、いただきます……」
ライザが箸を入れ、口に運ぶ。
噛んだ瞬間、ジュワリと溢れ出す出汁の旨味。
「んっ……ぁ……♡」
ライザの強張った表情が、一瞬で溶けた。
優しい。あまりにも優しい味だ。戦場の緊張も、政務の疲れも、すべて包み込んでくれるような。
「甘くて、深くて……これ、お酒なの?」
サリーが梅酒を一口含み、陶酔の吐息を漏らす。
南高梅の芳醇な香りと、ブランデーベースのコク。
「おいひぃですよねぇ! 龍魔呂様のご飯、世界一なんですぅ!」
ルナが横からニコニコと口を挟む。
「……口に合ったなら良かった」
龍魔呂は再びタバコを取り出し、二人に背を向けてグラスを洗い始めた。
押し付けがましくない。
ただ、そこにいてくれるという安心感。
「……ねぇ、マスター」
サリーが頬を染めて問いかける。
「貴方、お名前は?」
「龍魔呂だ」
「龍魔呂さん……。私、昔の夫を思い出したわ。昔は彼も、貴方みたいに少し危険で、頼りがいがあって……今はラーメンのことばかりだけど」
愚痴めいた言葉に、龍魔呂は振り返らずに背中で答えた。
「……話したいなら、また来い。美味い酒と肴くらいなら、いつでも出してやる」
決して踏み込まず、拒絶もしない。
その絶妙な距離感と、大人の余裕。
((……堕ちる))
サリーとライザの本能が、危険信号と同時にGOサインを出した。
この店は危険だ。
けれど、もうこの味と、この男の空気なしではいられないかもしれない。
「……また来るわ。絶対」
「あぁ。次はもっと強い酒を頼む」
二人は空になったグラスを置き、名残惜しそうに席を立った。
店を出た彼女たちの足取りは、来た時よりも遥かに軽やかで、そして頬は少女のように紅潮していた。
「……変な客だったな」
龍魔呂が呟くと、ルナが首を傾げた。
「そうですかぁ? とっても綺麗な人たちでしたよぉ」
「あぁ。……だが、あの目は『飢えた狼』の目だ。飯が足りなかったか?」
天然ジゴロの龍魔呂は気づいていない。
彼女たちが飢えていたのは料理だけではなく、「龍魔呂成分」だったということに。
その夜、王宮に帰ったサリーとライザは、太郎の出す夜食(カップ麺)を「今日はもうお腹いっぱい」と断り、夢見心地で眠りについたという。
太郎の家庭に、静かなる亀裂(NTR疑惑)が入り始めた夜だった。




