EP 3
開店! 路地裏の小料理屋『龍』
太郎国の王都。
そこは異世界でありながら、どこか歪な「和」の文化が混在する奇妙な街だった。屋台からは醤油の香りがし、人々は箸を使う。だが、何かが足りない。
それは――「本物」の魂だ。
その城下町の外れ。さらに一本入った薄暗い路地裏に、龍魔呂はバイクを滑り込ませた。
「……ここか。不動産屋が言ってた『幽霊物件』ってのは」
目の前には、埃を被った古い石造りの空き店舗。
かつては倉庫か何かだったのだろう。蜘蛛の巣が張り、陰気なオーラを放っている。
「ひぃっ……龍魔呂様、ここにお店を出すんですかぁ? お化け出そうですぅ……」
背後でルナが龍魔呂のレザージャケットをギュッと掴んで震えている。
「あぁ。静かでいい場所だ」
龍魔呂はバイクを降りると、ポケットからスマホのようなデバイス――女神ルチアナから強奪した【地球ショッピング】の端末を取り出した。
ピロン♪
『認証完了。残高:∞(女神のへそくりチャージ済み)』
「……あの女、どんだけ入れ込んでやがる」
龍魔呂は呆れつつも、迷わず画面を操作した。
検索ワード:『内装』『和モダン』『厨房機器』『業務用』。
「おい、離れてろ」
「は、はい!」
龍魔呂が指を弾く。
瞬間、ボロボロだった店舗が光の粒子に包まれた。
ガガガガガッ!!
「はわわわ!? 詠唱破棄どころか、構築速度が神速!?」
ルナが腰を抜かす目の前で、奇跡は起きた。
腐った床板は艶やかな黒檀のフローリングに。
カビ臭い壁は、シックな珪藻土と間接照明が彩る大人の空間に。
そして、厨房には最新鋭のステンレス設備と、一枚板の美しい檜のカウンターが鎮座した。
ものの数分で、そこは銀座や京都の路地裏にありそうな、隠れ家的な小料理屋兼BARへと変貌を遂げていた。
「……悪くねぇな」
龍魔呂は満足げに頷くと、暖簾を掲げた。
藍色に白抜きで一文字。
『龍』。
「す、すごいですぅ……! 龍魔呂様、魔法建築士だったんですね!?」
「ただの通販だ。……さて、仕込みをするか」
龍魔呂は厨房に入ると、再び端末を操作する。
今度は『食材』だ。
この世界にはない、地球産の利尻昆布、枕崎の鰹節、そして厳選された調味料。
寸胴鍋に水を張り、火にかける。
温度を見極め、昆布を入れ、沸騰直前に引き上げる。鰹節を躍らせる。
数分後。
換気扇から路地裏へと吐き出されたのは、異世界人が未だかつて嗅いだことのない「黄金の香り」だった。
「ふぁ……っ!?」
ルナの鼻がひくひくと動く。
暴力的ですらある、旨味の奔流。
「な、なんですかこの匂い……! 嗅いでいるだけで、口の中が……!」
「腹が減ってるのか? ちょうど試作ができたところだ」
龍魔呂がカウンター越しに差し出したのは、透き通った出汁に浸かった『大根のおでん』と、トロトロに煮込まれた『豚の角煮』だった。
「食ってみろ」
「い、いいんですかぁ……?」
ルナはおずおずと箸を持ち、湯気を立てる大根を口へと運ぶ。
ハフッ、ハフッ……じゅわぁ。
「んんっ……!!♡」
ルナの身体がビクンと跳ねた。
噛んだ瞬間、溢れ出す出汁の優しさ。身体の芯まで染み渡るような温かさ。
それはエルフが主食とする果物や野菜とは次元の違う、**「文明の味」**だった。
「おいひぃ……! なにこれぇ……私、こんな美味しいもの初めて……!」
ルナの瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
「そうか。なら、今日からここでお前を雇ってやる」
龍魔呂は無骨な手つきで、角煮の皿を追加した。
「ま、迷子のエルフを放り出すほど、俺は落ちぶれちゃいねぇからな。……賄いくらいは食わせてやる」
(ズキュウウウンッ!!)
ルナの中で、何かが完全に陥落する音がした。
美味しいご飯。住む場所。そして、この強面だけど海より深い優しさを持つ主人。
「や、やりますぅ! 私、ここで一生働きますぅ! お給料なんていりません、龍魔呂様のそばにいさせてくださいぃぃ!」
「……あぁ? いちいち大袈裟な奴だな」
龍魔呂はタバコに火を点け、紫煙を燻らせた。
その背中で、エルフの少女が恍惚の表情で大根を頬張っている。
こうして、小料理屋『龍』はひっそりと開店した。
だが、その禁断の香りは、既に路地裏の空気を支配し始めていた。
通りの向こう。
お忍びで城下町を視察していた二人の女性――王妃サリーと将軍ライザが、ふと足を止める。
「ねぇライザ……なんか、すっごくイイ匂いがしない?」
「あぁ……太郎様のラーメンとは違う、もっと繊細で……懐かしいような香りだ」
二人の美女が、吸い寄せられるように路地裏へと足を踏み入れる。
そこにあるのは、赤と黒のバイクと、『龍』と書かれた暖簾。
修羅場と美食の夜が、今、幕を開けようとしていた。




