EP 14
天使の陥落(チョロイン記録更新)
小料理屋『龍』のカウンター。
そこは今、世界の命運を分ける「戦場」となっていた。
「ルチアナ様! 口答えしないでください! さぁ、帰りますよ!」
天使長ヴァルキュリアが、エプロン姿の女神の腕を引く。
その表情は鬼気迫るものがあり、もはや神威よりも過労による殺気の方が強い。
「い、嫌よぉ! 私はここで龍魔呂と愛の巣を築くのぉ!」
「寝言は天界で仰ってください! 書類が山のように……!」
ギャーギャーと喚く天界のトップ二人。
その横から、スッと茶色い盆が差し出された。
「……おい」
龍魔呂の声だ。
ヴァルキュリアが反射的に振り返る。
「なんですか! 私は今、取り込み中で……」
「黙って飲め」
コトッ。
置かれたのは、湯気を立てるティーカップと、小さな土鍋。
漂ってくるのは、花の甘い香りと、生姜の効いた出汁の香りだ。
【地球ショッピング】検索:『最高級カモミール』『マヌカハニー』『薬膳キット』
龍魔呂が用意したのは、『特製カモミール・ティー(蜂蜜マシマシ)』と、『サムゲタン風・薬膳粥』だった。
「は? お茶? こんな時に何を……」
「いいから飲め。……喉、枯れてんぞ」
「ッ……」
言われてみれば、ヴァルキュリアの喉は連日の説教と会議で悲鳴を上げていた。
彼女は「一口だけ飲んで突き返してやる」つもりで、カップを口に運んだ。
その瞬間。
カウンターの隅で、ルーベンスが懐中時計の秒針を見つめる。
「……スタート」
ヴァルキュリアの唇が、琥珀色の液体に触れる。
コクッ……。
「…………ぁ」
ヴァルキュリアの動きが停止した。
カモミールの香りが脳の芯に直接届き、張り詰めていた神経の糸を優しく解いていく。
そして、濃厚なマヌカハニーの甘さが、荒れた喉を慈愛のように潤した。
(な、なにこれ……温かい……)
身体が震える。
数週間、まともな食事も睡眠もとらず、ただ「義務」だけで動いていた彼女の体に、龍魔呂の施しが染み渡る。
「……粥も食え。胃に優しいように鶏はほぐしてある」
龍魔呂がレンゲを渡す。
ヴァルキュリアは抗う術もなく、粥を一口運んだ。
ハフッ……とろり。
生姜と高麗人参の薬効が、冷え切った内臓をポカポカと温める。
鶏肉は噛む必要もないほど柔らかく、旨味が凝縮されている。
「……はふぅ……♡」
ヴァルキュリアの口から、魂が抜けるような甘い吐息が漏れた。
背中の六枚の翼から力が抜け、だらりと下がる。
吊り上がっていた眉が八の字になり、鬼の形相が一瞬で「蕩けた少女」の顔になった。
「……おいしい……ですぅ……」
ヴァルキュリアはカウンターに突っ伏した。
もう、指一本動かしたくない。
この温かい空間と、この美味しいご飯と、目の前のぶっきらぼうだけど優しい男に、全てを委ねて眠りたい。
「……そうか。なら、ゆっくり食え」
龍魔呂はヴァルキュリアの乱れた前髪を、無造作に直してやった。
「働きすぎだ。……自慢の羽の艶がなくなってるぞ」
ズキュウウウンッ!!!!
決定打だった。
誰も気づかなかった「羽の不調」に気づき、労ってくれた。
ヴァルキュリアの瞳が潤み、頬が林檎のように赤く染まる。
彼女は上目遣いで龍魔呂を見つめ、蚊の鳴くような声で言った。
「……龍魔呂様……おかわり、ありますか……?」
完全陥落。
その姿に、かつての威厳ある天使長の面影は微塵もなかった。
「……ストップ」
ルーベンスが懐中時計を止めた。
「タイム……28秒」
路地裏から戻ってきた男たちのテーブルに、静寂が走る。
「……嘘だろ」
葉巻を落としかけるデューク。
「3分は持つと思ったんだがな……」
「早すぎですわよ! 私だって最初はもうちょっと抵抗しましたわ!」
リベラ(弁護士)がパンケーキを食べながらツッコミを入れる。
「ククッ……俺の勝ちだな」
『マルボロ・アイスブラスト』を吹かしながら、フェンリルがニヤリと笑った。
「10秒には届かなかったが、一番近いのは俺だ」
「くそっ、あの堅物がここまで脆いとは……」
ルーベンスが苦笑し、財布から金貨を取り出す。
「龍魔呂の『母性(オカン力)』を見誤っていたようだ」
「僕の100ペリカがぁ……」
太郎が泣く。
男たちは、カウンターで幸せそうに粥をすするヴァルキュリアを見ながら、それぞれの酒をあおった。
「ボトル代」はフェンリルの総取りだ。
「……あら? ヴァル? 貴女なにしてるの?」
その時、皿洗いを終えたルチアナが戻ってきた。
そして、自分の右腕(部下)が、龍魔呂の前でデレデレに溶けている姿を目撃する。
「ちょ、ちょっとぉぉ! 抜け駆けはずるいわよヴァル!
その薬膳粥、私の分はないの!? 私も疲れてるのにぃぃ!」
「……うっさいな。鍋に残ってるから自分で食え」
龍魔呂はタバコに火を点け、やれやれと首を振った。
「……どいつもこいつも、世話が焼ける」
男たちの賭けは終わった。
だが、ヴァルキュリアという新たな「強力なライバル」が加わったことで、店内の女性陣のパワーバランスはさらにカオスな方向へと傾いていく。
次は、場所を変えての延長戦。
男たちが知らない聖域――「女子トイレ」での戦いが幕を開ける。




