EP 13
クソ真面目な天使長と「賭け」の始まり
小料理屋『龍』の裏路地。
そこには、紫煙をくゆらせる男たちと、今まさに路地の入り口に立った一人の女性との間に、ヒリつくような緊張感が漂っていた。
「……見つけましたよ」
氷のような声。
純白の軍服風の法衣を隙なく着こなし、背中には輝く六枚の翼。
天使族の族長にして、女神ルチアナの右腕、ヴァルキュリアだ。
彼女の美貌は完璧だが、その眉間には深い皺が刻まれ、全身から「激怒」と「過労」のオーラが交互に放出されている。
「女神ルチアナ様のみならず、魔王、竜王、狼王……世界の均衡を司る者たちが、こんな吹き溜まりで油を売っているとは。……職務怠慢も甚だしい!」
ヴァルキュリアが手に持っているのは、黄金の聖槍『グラニ』。
切っ先がチリチリと音を立て、路地裏の空気を焦がしている。
「ひぃっ……! ヴァ、ヴァルキュリア殿! ち、違うんだ、これは社会視察で……!」
太郎(変装中)がキャスターを隠しながら悲鳴を上げる。
「問答無用! 不浄な煙を撒き散らすなど、言語道断です! 全員、私が天界へ連行し、説教部屋で……」
「……おい」
ヴァルキュリアの怒号を遮ったのは、ビールケースに座ったままの龍魔呂だった。
彼は**『マルボロ(赤)』**を携帯灰皿に押し込み、ゆっくりと立ち上がった。
「ウチの客に難癖つけるなら、営業妨害だぞ」
「貴様が……元凶の店主ですか」
ヴァルキュリアの鋭い視線が龍魔呂を射抜く。
「貴様が私の部下(天使)たちを誑かし、あまつさえルチアナ様を堕落させた男……。その罪、万死に値します。今すぐこの店を閉鎖し……」
「……うるせぇな」
「なっ……!?」
龍魔呂はヴァルキュリアの威圧を無視し、彼女の目の前まで歩み寄った。
そして、その顔をジッと覗き込んだ。
「……アンタ」
「な、何ですか。私の聖なる顔に何か……」
「目の下のクマ、酷ぇぞ。コンシーラーで隠しきれてねぇ」
「――ッ!?」
ヴァルキュリアが息を呑み、思わず手で顔を覆った。
図星だった。
家出した部下の捜索、ルチアナが放り投げた書類の処理、他国との折衝。
彼女の睡眠時間はここ数週間、ゼロに近かったのだ。
「……肌も荒れてる。羽の艶もねぇ。……ちゃんと寝てんのか?」
「よ、余計なお世話です! 私は神に仕える身、休息など……」
「身体は嘘つけねぇよ」
龍魔呂は呆れたように首を振ると、裏口のドアを開けた。
「入れ。……説教する元気があるなら、まずは腹を満たしてからにしろ」
「は? 私が? こんな不浄な店に?」
「嫌なら帰って寝ろ。……倒れて迷惑かけんじゃねぇぞ」
龍魔呂はそう言い捨てると、さっさと店の中へと入っていった。
残されたヴァルキュリアは、プルプルと震えている。
屈辱と、図星を突かれた動揺、そして龍魔呂の背中から漂う不思議な引力に葛藤しているのだ。
その様子を、路地裏に残された男たちがニヤニヤと見守っていた。
「……おい、始まったぞ」
ルーベンスが新しい『マルボロ(メンソール)』を取り出し、小声で囁いた。
「賭けの時間だ」
「乗った」
デュークが葉巻の煙を吐く。
「対象は『あの堅物が、龍魔呂にオチるまでの時間』だ」
ルーベンスが指を立てる。
「私は『5分』に賭ける。……彼女は頑固だ。最初は抵抗するだろうが、龍魔呂の料理を一口食べれば崩れる。それまでの攻防を含めて5分だ」
「甘いな、若造」
デュークが鼻で笑う。
「我は『3分』だ。あの女の疲労は限界を超えている。龍魔呂の出す『何か』を見た瞬間に決まるはずだ」
「俺は……」
フェンリルが『アイスブラスト』のカプセルを噛み砕く。
「『10秒』だ」
「はぁ? 10秒?」
太郎が驚く。
「あいつ(龍魔呂)は猛獣使いだぞ? 腹ペコの野良犬を懐かせるのに時間は要らねぇよ」
「じ、じゃあ僕は……」
太郎がおずおずと手を挙げる。
「『オチない(店を破壊する)』に100ペリカ……」
「「「シケた賭け方すんな」」」
男たちは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
賭け金は、次にこの店で飲む時の「ボトル代」。
「……行くぞ。特等席で見物だ」
ルーベンスの合図で、男たちはタバコを消し、ゾロゾロと店の裏口から中へと戻っていった。
店内。
そこは相変わらず、ルチアナ、ラスティア、サリーたちによるマウント合戦の最中だった。
だが、ヴァルキュリアが入ってきた瞬間、空気が凍りついた。
「ルチアナ様!!」
ヴァルキュリアが叫ぶ。
その手には聖槍。目は血走っている。
「げっ、ヴァル……!?」
エプロン姿の女神ルチアナが、皿を持ったまま硬直する。
「な、ななな何をしているのですか! その格好は! 女神の威厳は何処へ捨てたのですか!」
「こ、これは違うのよ! 龍魔呂への愛の奉仕活動というか、天井の修理代というか……」
「言い訳無用! 今すぐ天界へ戻りますよ!」
ヴァルキュリアがルチアナの腕を掴もうとした、その時。
コトッ。
カウンター越しに、龍魔呂が何かを置いた。
「……座れ」
「私は客ではありませ……」
「いいから座れ」
龍魔呂の有無を言わせぬ圧力。
そして、置かれた「それ」から漂う香りが、ヴァルキュリアの鼻腔をくすぐった。
「……っ」
彼女の動きが止まる。
男たちは、カウンターの隅で固唾を呑んでその瞬間を見守っていた。
ルーベンスが懐中時計を取り出し、静かにカウントを始める。
「さぁ……見せてもらおうか。天使長の陥落劇を」
チク、タク、チク、タク……。
運命の秒針が動き出した。




