表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
呼吸の終焉(End of Breath)  作者: 遠藤 世羅須
8/10

呼吸の終焉 第二章 黒い柱(Part 4) 連番⑧

政治も科学者も混乱していた。天野たちは黒柱の解析に注力する。しかし、知る、判る、ほど絶望の淵に近づいてゆく。

黒柱が最初の光信号を発した直後、

地球全体の電離層に異常値が観測された。

高度三百キロの電離層が、

まるで巨大な手で撫でられたようにゆっくり波打ち、

反射角が狂い長距離通信は全て霧散した。


各国の通信衛星は

黒柱の近傍に広がる“電磁の静寂域サイレント・ベルト”に

信号を吸い込まれ、軌道上で沈黙を余儀なくされた。

地上では風が消え、

冷却できないデータセンターが次々と過熱して停止した。

通信塔は送信を続けようとしたが、

黒柱が放つ“周波数均質化波”に上書きされ、

すべての電波は同じわずかな揺らぎに変換された。


世界のネットワークは崩壊したのではない。

風が止まり、電離層が乱され、

電波そのものが“地球の呼吸”として整えられ、

通信という概念が外側から消された。


人類は、

声ではなく風に依存する通信を当たり前だと思い込んでいた。

風が消えると、通信も消える。

その単純な事実だけだった。

太平洋の観測衛星が捉えた映像は、

海面から垂直に伸びる“影の塔”の群れだった。

それは煙ではない。

可視光を吸収し、レーダー波を歪ませる物質。

高さおよそ30km、幅数十メートル。

その数──正確に4719本。

報道管制下でも、すぐに情報をリークできる人類のネットワークは止まらない。

人々はそれを“神の杭”と呼んだ。

ニュースは連日その映像を流し、宗教団体は「天の審判」と叫んだ。

しかし科学者たちは沈黙した。

何も説明できなかったからだ。


東京でも、空が異様に暗くなった。

昼なのに夕暮れのような橙色の光が街を覆い、

太陽光が薄い膜を通して届くように見えた。

挿絵(By みてみん)

「衛星データだと、成層圏に不自然なエアロゾルの層ができてる。

 太陽光が、分厚いフィルター越しにしか届いていないんだ。」

「雲じゃない……これは影です。」

成瀬が言った。

「海上のどこかで、光を吸い込むものがある。」


数日後、AIが解析した結果、

柱の位置は海底火山帯・熱水噴出口の真上と一致していた。

つまり、地球の肺にあたる部分から生えている。


「まるで、地球が自分の肺を外へ突き出しているようだ……」

天野の声はかすれた。


やがて日本近海の目視できる場所にも同様の柱が現れた。

夜になると、柱の先端が青白く光り、

上空のイオン層を撫でるように揺れていた。


気象庁が派遣した観測ドローンは、柱の表面から微弱な電磁信号を受信。

それは人間の脳波に似た周期を持っていた。


「これ、思考してます。」

成瀬の報告に、天野は息を呑む。

まるで、空そのものが“考えている”ようだった。


国連は緊急会議を開き、

黒い柱を“未確認生体構造体”として登録。

同時に、世界中の酸素濃度が0.5%下がったことが発表された。


世界は初めて理解した。

それは気象でも、地殻現象でもなく、生き物だった。


      ♢

その夜、天野は夢を見た。

果てしなく高い黒い柱の内部で、

誰かが、ゆっくりと、静かに呼吸している夢だった。

その呼吸音は、人間のものに似ていた。

ただ、やけに深く、重く、世界そのものの鼓動のようでもあった。

──吸って、吐く。

まるで地球が眠りながら呼吸をしているかのように。

挿絵(By みてみん)

気づくと彼は筑波研究所の屋上に立っていた。

いつかの記憶が、夢と現実の狭間から滲んでくる。

成瀬が横にいた。

彼女のマスク越しの呼吸が、風の止まった夜気に溶けていく。

遠くの空に、光を持たない巨大な影が漂っていた。

その輪郭は夜の中で歪み、静かに世界を押しつぶすように沈黙している。

「……先生、見えますか。あれが……」

「ああ。」

天野は短く答えた。

「アメリカが撃った。だが、沈黙したのは柱じゃない……

 世界のほうだ。」

爆発も衝撃波もなかったようだ。

むしろすべての音が、ひとつずつ世界から抜け落ちていくような静けさ。

成瀬は、わずかに肩を震わせた。

「……地球が“もう話したくない”って言ってるみたいですね。」

その声には恐怖ではなく、

理解しようとする者だけが持つ切実な敬意があった。


天野はゆっくりと空を仰いだ。

影の向こうで、何かが深く息を吸い込んでいる気配がした。

「なら、俺たちが聞く番だ。」

「え……?」

「地球が沈黙したなら、

 その沈黙の“意味”を聞き取るのが、俺たちの役目だ。」

成瀬は息を呑んだ。

その瞬間、風が──止まった。

葉擦れもなく、人工のファンの音すら、どこかへ吸い込まれたように消えた。

大気がひとつ、大きく沈む。

それはまるで、

地球が長い長い“吸う息”を始めた瞬間だった。

世界が、呼吸を思い出す前の、

深淵の静けさ。

 

♢ 静かな冬


黒い柱が現れてから一か月。

人々は、その存在に“慣れ”始めていた。


ニュースはやがて日常に埋もれ、

街の子どもたちは空に浮かぶ黒い影を「天の糸」と呼び、

学校では「観測塔が作る気候現象」と教えられた。


天野はラボで、かすかに震えるモニターを睨んでいた。

世界各地で観測された大気データは、すべて微妙に“揺れて”いた。

酸素濃度は緩やかに下降している。

だが誰もそれを「危機」とは呼ばなかった。


政府は経済の混乱を避けるため、

酸素量のデータを「機密扱い」とした。

各国の報道機関は沈黙し、

“呼吸不安症”という名の精神疾患が流行語になった。


夜、研究棟の窓から外を見下ろすと、

街灯の明かりが霞んで見えた。

まるで大気そのものが薄い膜をまとっているように。


「……このままだと、冬を越せない。」

天野は小さく呟いた。


その予感は的中した。


冬の初め、北欧で異常寒波が発生。

気温は-60℃まで下がり、大気循環の流れが途絶えた。

世界中の風向きが乱れ、

気象衛星の画像は、まるで地球が息を止めた瞬間を映しているようだった。


エレナ・コロフスキー博士からの通信が入る。

「天野、酸素が氷結を始めた。

 これは化学的では説明できない。……“生きている大気”が、凍りついている。」


通信の背後で、何かが崩れる音がした。

エレナの声が途切れ途切れになる。


「もし……もしもこのまま酸素が凍結したら……

 我々は、“呼吸できる氷”に閉じ込められる。」

「酸素そのものは消えない。ただ、凍りつき、岩や海や氷の中に沈んでいく。

 肺が届かない場所に隠されてしまえば、それはもう、存在しないのと同じだ。」

画面が暗転し、通信は途切れた。

その夜から、世界中の都市で電力障害と酸欠が同時に発生した。


翌朝、天野が研究所の屋上に立つと、

遠くの空に見慣れた“黒い柱”が、分裂しているのが見えた。


数は増え、影は濃く、空は暗い。

黒い柱は成層圏で枝分かれし、まるで巨大な根を張るように広がっていた。

挿絵(By みてみん)

「吸っている……」

天野は呟いた。

「地球の肺を、根こそぎ。」

天野はモニターを見た。

「今の大気……標高三千五百メートル級の酸素量だな。

 普段山に登らない人間には、思考が遅れ始めるレベルだ。」

研究員がつぶやく。

「高地順応に最短でも一週間は必要です。

 だが、都市の八割は準備もなく“突然の高山”に放り込まれたも同然です。」

空調の効いた部屋ですら呼吸が重いのは、

もう環境のせいではなかった。


世界は“静かな呼吸戦争”へと突入した。

 

(第二章 黒い柱(Part 5)に続く)

本作はほぼ完結しています。加筆修正中ですが、週に一編ペースで投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ