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呼吸の終焉(End of Breath)  作者: 遠藤 世羅須
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呼吸の終焉 第一章 静かな侵略 Part 1

空想SF長文(10万字超)なので、定期的投稿を心がけます。シリアスな内容なので、ダイジェストみたいな感じでは説明できませんが、読んで頂けると大変ありがたいです。でも、お時間取ってしまいますが、お時間無駄にならないような内容を心がけています。よろしくお願いいたします。

最初に気づいたのは、誰だったのだろう。

官邸地下の危機管理室。

空調の一定の風音の中、突然“ひと呼吸ぶんの沈黙”が落ちた。

その瞬間、部屋の空気が、かすかに沈んだ。

「……今、何か……?」

誰も直後の違和感を言葉にできなかった。

肺がわずかに重い。声が少しだけ掠れる。

だが原因は分からない。機器には異常なしと表示されている。

外務大臣が口を開こうとしたが、言葉が続かなかった。

「……なんだ……これ……」

思考が、薄い膜をかけられたように遅れる。

怒りの声も、議論の音も、まるで空気の奥に吸い込まれる。

世界がほんの少しだけ

“呼吸の仕方”を忘れたような静けさが訪れた。

――それが、最初の徴だった。

挿絵(By みてみん)

 ♢

 

時は遡り、

彼はいつもの坂道を登っていた。

曇天の空の下、まだ肌寒い春の朝。

彼の歩みが向かう先は、

東都大学理学部・地球惑星環境学科。

天野玲司、21歳。

いつも少し寝癖がつき、白衣の袖口はインクで汚れている。

研究室に着く前、彼は必ず生協の前にある古い楠の木の下に立ち止まる。

風の音を聞くためだ。

今日の空気は湿ってるな……関東南風だな。」

呟きながら風向きをノートに記録するのが日課だった。

同級生たちはそんな彼を「空気占い師」と呼んだ。

しかし彼はまったく気にしなかった。

挿絵(By みてみん)


 ♢家族


玲司は、東京・杉並の古い住宅街に生まれた。

父は地質学者で、母は気象庁職員。

二人とも理屈っぽく、けれど優しい人だった。

小さな二階建ての家。

白い壁はところどころ陽に焼け、

庭には小さな朝顔が咲いている。

父・康弘は地質学者ではあったが、

特に 火山ガスと大気との相互作用 を専門にしていた。

山の呼吸を読み、大地の微かな変化から

風向きや空気の成分までも読み取る研究者だった。

母・恵子は、気象庁勤めから、後に天文学センター/科学館解説員になった。

地球だけでなく、火星や金星の大気循環を研究する“宇宙の気象学者”だった。

母は毎朝、新聞よりも天気図を見る人だった。

「玲司、風を読めないと旅ができないよ。」

それが幼い頃の口癖だった。

父は無口で、夜になると地層の断面写真を見ながら

「地球は動いてる。人間が気づかないだけだ。」と言っていた。

玲司の好奇心は、そんな家庭で育った。


 ♢火山帯の散策


夏休みには父に連れられて富士火山帯を歩いた。

父は目を細め、揺らぐ地熱の気流を眺めて言った。

「火山はな、地球の“吐息といき”だ。

あれだけのガスを放出して、ようやく地球は内部の圧力を調整している。」

「じゃあ、地球は息をしてるの?」

「してるとも。

 温まった空気を吐き出し、冷たい大気を吸い込む。

 それは人間の呼吸よりもずっと長いサイクルだけどな。」

父は軽く笑った。

「この呼吸が乱れたとき、

 地球はよく“暴れる”。

 噴火したり、風の流れを変えたりして、

 無理やり均衡を取り戻そうとするんだ。」

挿絵(By みてみん)


帰り道、山の斜面を横切る細い獣道で康弘は立ち止まり、

ザックから古びたメモ帳を取り出した。

「玲司、ちょっとこれを見てみなさい」

開かれたページには、

断層の走り方や地下のマグマ溜まりの位置を

細かい線と数字で記した図があった。

天野少年は目を輝かせた。

「これ、お父さんが書いたの?」

「そうだ。現場でしか描けない“動いている地図”だよ」


康弘は山肌を指差しながら続けた。

父は柔らかな風を受けながら言った。

「わかるか?

 この風は、地下で動いた“熱”の名残りなんだ。」

「熱……って、火山の?」

「そうだ。

 火山の下には巨大なガスの袋があって、

 そこが膨らんだりしぼんだりすると、山肌の空気の流れも変わる。

 風は、地球の奥で起きている変化の“合図”みたいなものなんだ。」

「火山はな、大地の肺なんだ。

 噴き出すガスも、吹く風も、全部つながってる。

 地球の呼吸だよ。

 生きているんだ。

 風の流れが日によって変わるように、

 地面の下でも、ずっと呼吸をしているんだ」

「地面も……呼吸するの?」

「そう。地球は大きな生命体だ。

 山が膨らんだり沈んだり、

 大地震の前に地表の空気が変わったりするだろう?

 あれは“地球の息づかい”なんだよ」

硫黄の匂いがわずかに漂う斜面で、父は岩肌に手を当てながら言った。

「空気ってのは、ただの“気体の混ざり”じゃない。

 地球の中身がどう動くかで、組成が変わることだってある。」

「組成……?」

「火山から出るガスには、水蒸気、二酸化炭素、硫黄酸化物……

 いろんなものが含まれてる。

 それが大気と混ざると、風の質も、空の色も変わるんだ。」

少年の頭上で、薄い雲が擦れ合いながら移動していた。

「だから父さんは、空や風をよく見るの?」

「ああ。

 大地を見てもわからないことが、

 空や風を見ればわかることがある。」


歩きながら康弘はふと、まだ子どもの天野に向けてこんな質問をした。

「玲司、お前は地球のどの“呼吸”を研究したい?」

「え……呼吸って、空気とか?」

「地球の呼吸は、風だけじゃない。

 海の流れ、雲の動き、 火山のガス、植物の光合成……

 全部がつながっているんだ。」

「全部……?」

「ああ。

 どれか一つが止まると、

 他の全部が“息苦しく”なる。

 大気というのはそういう仕組みなんだよ。」

康弘は帽子を押さえながら、山の上空を流れる風に目を細めた。

「どんな研究でも、必ず“風”につながっている。

 風はすべての変化をいちばん最初に教えてくれるからだ。」


山を降りたあと、

地元の小さな茶屋で休憩したときのことだった。

天野が飲み物を飲みながら何気なく言った。

「ねえお父さん。

 地球がすごく変になったら、どうする?」

康弘は一瞬だけ考えて、穏やかな笑みを浮かべた。

「そのときは――

 お前と一緒に研究するさ。

 父さんと息子じゃなくて、研究者としてな」

「ほんとに!?

 じゃあ……僕が大人になったら、一緒に?」

「もちろんだ。

 その時までに、玲司も強い“風”を見つけておけ」

それは父子の他愛ない会話でありながら、

天野にとって 最初の“科学者としての契約” だった。

挿絵(By みてみん)


 ♢母と見る宇宙


火山帯を歩いたその翌週、

天野少年は母・恵子と一緒に家の庭先に出ていた。

夏が始まる直前の夜だった。

雨上がりの風がまだ湿り気を含んでいて、空気はゆっくりと冷えていくところだった。

「玲司、今日はよく見えるわ」

母はそう言ってレジャーシートを広げ、天野をそっと寝かせた。

その仕草はどこか穏やかで、昔からよく空を見上げていた人のそれだった。

視界いっぱいに星が散らばる。

「お母さん、あれが夏の大三角?」

「そうよ。

 ベガとデネブとアルタイル。

 星はね、みんな少しずつ“息をして”光ってるの」

「光が……息?」

「うん。

 星の明るさや揺れ方が変わるでしょ?

 あれが星の呼吸のリズムなの。

 遠いから、ゆっくりに見えるけれどね」

天野は目を丸くした。

恵子は星の話になると、声がわずかに柔らいだ。

まるで遠い空の向こうに、誰か親しい人がいるかのように──

そっと語りかけるような声音だった。

「玲司、星が動いて見えるのはどうしてか分かる?」

「地球が回ってるから?」

「それも正解。でも……もうひとつあるのよ」

恵子は北の空を指した。

「星にもね、“宇宙の風”が吹いているの。

 光の粒が集まってできた銀河の流れに乗って、

 星たちはみんな旅をしてるのよ」

「宇宙に……風があるの?」

「あるわよ。

 地球の風よりずっと静かで、ずっと大きな、

 時間の流れみたいな風」


その説明は子どもには難しい。

けれど――天野は確かに“感じた”。

父が教えた 地球の呼吸 に対し、

母は 宇宙の呼吸 を教えてくれている。

二つはとても自然につながっていった。

「地球にはね、光の届かない“影”があるのよ。

 空も海も山も、みんな太陽に照らされて動いているけれど、

 そのどこかには必ず、 風が眠ってしまう場所ができるの。

 そこを、昔の人は“地球の影”って呼んだのよ。」

「地球の影?」

「そう。

 地球が息を吸ったり吐いたりする途中で、

 ほんの少しだけ呼吸を止める場所。

 目に見えないけれど、 たしかにある“静かな空気の溜まり場”のこと。

 太陽の光を遮って宇宙に伸びる、地球自身の“もうひとつのかたち”よ」

恵子は続けた。

「地球は影を持っているけれど、

 その影のまわりで、海も空気も星の光も全部動いている。

 つまり地球だって――呼吸してるってこと

 影があるってことは、また光と風が戻ってくるってことでもあるのよ。」

天野は息を呑んだ。

父と歩いた火山帯の地面の鼓動。

母と寝転んだ夜空の光の脈動。

その二つが重なって、

ひとつの「世界の呼吸」として理解されていく。

挿絵(By みてみん)


 ♢風の庭


実家は父の研究の関係で山あいの町に移った。

春になると、家の裏の畑に菜の花が一面に咲き、

母はいつもその中で洗濯物を干していた。

白いシーツが風にはためくたび、

母は笑って言った。

「風ってね、目に見えないけど、世界でいちばん“優しい手”なのよ。」

父は乞われて地元の中学校で理科を教えていた。

夜になると、玲司を外に連れ出し、

星空を指差して話した。

「人間が吐いた息の一部は、いつか空に届く。

 それが風になって、どこかの命を育てるんだ。」

「じゃあ、パパの息も?」

「ああ。お前の中にも、きっと入ってる。」

その夜、天野は初めて“空気”というものに神秘を感じた。

ただの気体ではなく、命と命をつなぐ“見えない橋”。

「地球は眠らないの?」と幼い玲司が尋ねたとき、

母は笑って言った。

「眠ってるように見えるだけ。でも、しっかり息をしてるの。」

朝の台所にはいつも“音”があった。

湯気の立つ鍋の音、

湯飲みを置く小さな音、そして、母が鼻歌まじりに息を整える音――。

「おはよう、玲司。」

母はいつも言った。

「眠る前より、朝の息は軽いのよ。 だからね、朝の空気は“新しい”の。」

「空気って、新しくなるの?」

「なるわよ。 夜の間に、世界中の木や海が“明日のための息”をつくるの。」


夕食後、窓を開けると、山の風が静かに吹き込んだ。

父・康弘は湯呑を手にしながら、ふと外を見た。

「今日は風が軽い。

 地下の圧が抜けたばかりかもしれんな。」

母・恵子が笑って振り返った。

「あなたはすぐ“地球の中の話”に持っていくわね。」

「そりゃあ、私の専門だ。

 地球は腹の底でガスを動かして、こうして風の質まで変えている。

 大地の呼吸だよ。」

恵子は、窓の外に浮かぶ月を指した。

「私は、外側の呼吸を研究してるの。

 惑星がどう光を受けて、どう大気を巡らせるか──

 宇宙の“呼吸の形”を見る学問。」

康弘は興味深げに眉を上げた。

「地球の外の風ってことか?」

「ええ。

 たとえば火星は薄い大気しかなくて、ほとんど“息”をしていない星。

 金星は逆に、厚すぎて息苦しさしかない。

 どの星にも、“影”と“光”の呼吸があるの。」


天野少年は二人の話を聞きながら、

胸を躍らせていた。

父が語るのは

地球の 内側から生まれる呼吸。

母が語るのは

地球の 外側に広がる呼吸。

康弘は、少年の頭を軽く撫でながら言った。

「地球の呼吸を知るには、

 地中の動きと、空の動きを両方見ないといかん。

 大地がどれだけ熱をため込むか……

 それが風の生まれ方を決める。」

恵子は続けた。

「そして、その風がどこへ流れるかは、

 太陽の光と宇宙の影が決める。

 地球は宇宙に浮かぶひとつの“呼吸する球体”なのよ。」

二人が見つめ合い、少年に向かって微笑む。

「いつか、あなたも知るわ。

 大地の息と、空の息がつながる瞬間を。」

挿絵(By みてみん)


夜の散歩

父からよく夜の散歩に誘われた。

住宅地の街灯の下、

父は空を見上げ、ゆっくり歩いた。

「玲司、星は遠い。 でも、僕らの息の一部はいつか空に届く。」

「全部混ざっちゃうの?」

「そうだ。 それが生命の連鎖だ。

 だから、息を粗末にしちゃいけない。」

父の手は温かかった。

母が洗濯物を揺らす“風の庭”と同じ温度だった。

季節が巡るたびに、風の記憶も増えていった。



 ♢夏の縁側 ― 三人の沈黙


夏の午後。

縁側には、昼寝から覚めたばかりの玲司と、麦茶のグラスを持った母と、

新聞を畳んだ父が並んで座っていた。

庭の草は陽炎のように揺れている。

セミの鳴き声が、空気の厚みにへばりついているようだ。

三人はほとんどしゃべらなかった。

ただ、時折、山から吹き下ろしてくる風に耳を澄ませていた。

風が通り過ぎるたび、 縁側の簾がふわりと持ち上がる。

そのたびに、外の光と影の濃さが変わった。

夏の光は、風のたびに色を変える。

黄色にも、白にも、時には青みを帯びて見えた。


ふいに母が、静かに言った。

「玲司。

 風が一瞬止まるときって、どんな音がするか分かる?」

玲司は首を傾けた。

庭を吹き抜ける風が、一瞬途切れる。

セミの声だけが残る。

「……なにも、きこえない」

「それがね、世界が“息を吸い込む前”の音よ」

父が笑った。

「お母さんは時々、詩人のようなことを言うね」

母は微笑み、 もう一度、庭を見た。

「でも本当にそう感じるの。

 風が静まった瞬間、世界が次の息を準備しているみたいでしょ」

玲司はよく分からなかった。

静けさが、妙に印象に残った。

後に地球が“本当に息を止める日”が来たとき、彼の脳裏にこの沈黙の縁側が蘇ることになる。

挿絵(By みてみん)


 (Part 2に続く)


 

まだ「始まって」いませんが、愛おしい情景は是非とも描きたかったです。もっとあったのですが、泣く泣く削りました。

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