第八章:紅茶館の密談 ―宰相、来訪す―
雨上がりの夜は、音がよく響く。
静まり返った森に、**「コン、コン」**と控えめなノックが落ちた。
「……ずいぶん礼儀正しい泥棒ね。」
そう呟きながら扉を開けると、
月光を背負った黒い外套の男が、静かに立っていた。
レオン・シュタイン。
――私を追放した男。
「……紅茶亭へようこそ。
当店は裏切り者と元婚約者のご来店もお断りしておりませんの。」
皮肉をたっぷり添えて告げると、
彼はふっと笑った。
その笑い方が腹立たしいほど、昔のままだった。
「助かる。雨宿りに加えて、少し話をしたい。」
「話、ね。
この時間に宰相閣下が“話をしたい”なんて言い出すと、
たいてい国家の裏か恋愛の裏が絡んでいるわ。」
「……今回は、前者だ。」
「残念。紅茶は甘い方が得意なのだけれど。」
私は椅子を勧め、ポットに湯を注いだ。
紅茶の香りが立ちのぼり、静かな間が生まれる。
沈黙の中で、彼の視線が私の手元をじっと見つめていた。
「……変わらないな。手の動きも、仕草も。」
「ええ、あなたに追放されてもマナーまでは奪われませんでしたわ。」
「……それは、本当に俺が望んだことではなかった。」
私は一瞬、カップを持つ手を止めた。
けれど顔は上げない。
彼の言葉を、紅茶の湯気の向こうで軽くいなす。
「そう言う人ほど、よく“権限”を言い訳にしますわね。」
「……あの時、俺の命令ではなかった。」
「王の命? それとも……私が知りすぎたから?」
レオンは黙った。
そして、ゆっくりと懐から一枚の書簡を取り出す。
王印が封蝋に刻まれている。
けれど、その上には赤い線で“破棄”の印。
「これが、お前の追放命令の原本だ。
署名は王のものではない。枢機卿だ。」
「……枢機卿? 宗教庁の……!」
「そうだ。王室財務に関する調査で、彼らの金の流れを辿った。
だが、報告書の“半分”――お前の署名のある部分が消された。
そして、その責任を押し付ける形で、お前が追放された。」
紅茶の表面が揺れた。
わたくしの指も、わずかに震えた。
「つまり、あなたは――私を守るために追放を“演じた”?」
「……守るなんて、綺麗な言葉じゃない。
あの時、俺は何もできなかった。
だが、今は違う。」
彼の声が低く、熱を帯びていた。
けれど、私の胸に湧いたのは怒りではなく――
妙な、痛みに似た感情だった。
「……宰相閣下。貴方の後悔を慰めるために紅茶は淹れていませんの。」
「慰めはいらない。
だが協力がいる。」
「協力……?」
「枢機卿を落とすには、王都外の“安全な拠点”が要る。
この紅茶館を、密会と情報収集の場にしたい。」
「なるほど。
追放した女に、今度は密談の根城を頼むのね。」
「お前以外に適任はいない。」
静かに、しかし確信を持って言い切るその声。
ああ、ずるいわ――
言葉の端に、私をよく知る男の“計算”がある。
「報酬は?」
「好きなだけ紅茶を仕入れられるだけの金と、
“お前の名誉回復”だ。」
「……安い取引ね。」
「なら、値をつけてくれ。」
私は彼を見つめた。
カップの湯気が、二人の間を揺らす。
静寂。長い沈黙のあと、私は微笑んだ。
「ひとつ条件を。
私の紅茶は、嘘を飲む者には毒ですの。」
「構わない。……真実しか飲まない。」
カチリ、とカップが触れ合う音。
契約の合図のように、響いた。
その夜、紅茶館の灯りは消えなかった。
宰相と“悪役令嬢”。
二人の密約が、王国の闇を揺るがす最初の一滴となった。




