第七章:紅茶亭の来訪者 ―影を連れて現れた男―
扉の前で、鈴が小さく鳴った。
「……ようやく来たのね。」
私はポットの火を弱め、カップをもう一つ並べる。
ドアの向こうから聞こえてくるのは、重い革靴の音。
ゆっくりとした歩幅、だが確実に“王都育ち”の足取り。
扉が開く。
冷たい風のあとに、懐かしい笑い声が続いた。
「――お久しぶりでございます、お嬢様。
いや、“店主殿”とお呼びすべきですかな?」
私は振り向かずに言う。
「その声、忘れようにも忘れられませんわ。
……まさか、あなたが生きていたなんてね。リュシアン。」
「ふふ、死ぬには惜しい性格でして。」
リュシアン・ド・ヴァルテール。
かつて私の家に仕えていた執事であり、実際は裏の情報網を仕切る密偵だった男。
三年前、侯爵家の陰謀に巻き込まれ――死んだと聞かされていた。
「本当に久しぶりね。紅茶はミルク? それとも……裏話の方がいいかしら。」
「両方でお願いいたします。……東の森に店とは、驚きました。」
「匿名の手紙に従っただけですわ。あなたではないのね?」
「残念ながら。けれど、その“匿名”を探している途中で貴女に辿り着いた。」
彼は椅子に腰を下ろし、懐から古びた紙を取り出した。
王室印章の断片――破り取られた“監査報告書”の一部。
私の署名が、かすかに残っていた。
「……それは、私が最後に提出した報告。」
「ええ。そしてその後、報告の“残り半分”が消えた。」
沈黙。
リュシアンの表情が、薄く笑うようで、しかし目は冷たい。
「王都では噂が立っています。貴女の追放は“政治的清算”ではなく、
“ある機密を隠すための口封じ”だと。」
「つまり、私は……邪魔だった。」
「ええ。ですが、お嬢様は簡単には消せません。
生きていれば、いつか戻る。誰もがそう思っていた。」
私は紅茶を注ぐ。
二つのカップから、香りが立ちのぼる。
外は夜。風が木々を鳴らす。
静かな中で、真実だけが重く響いた。
「リュシアン、あなたの狙いは何?」
「取引を。情報と安全を交換しましょう。
貴女がこの国を動かす力を取り戻すために――
私はその“裏側”を提供する。」
「……報酬は?」
「紅茶一杯と、“もう一度仕える資格”です。」
少し笑ってしまった。
皮肉と忠誠を混ぜたような言葉。
昔のまま。
「いいわ。あなたの紅茶代は、いずれ国庫から出してあげる。」
「それは楽しみだ。」
夜が更けるにつれ、彼は新しい話をしてくれた。
宰相レオンが動いていること。
枢機卿が軍資金を流していること。
そして、どこかの誰かが「紅茶館」を利用して秘密会談を計画していること。
「――つまり、ここはただの店ではなく、“戦場の前線”ってわけね。」
「その通り。
ですが、戦場に立つお嬢様はいつも優雅です。」
「褒めても紅茶は薄くなりませんわ。」
私たちは静かに笑った。
あの頃のように。
けれど、どこか違う――これは“再会”ではなく、“再開”だ。
リュシアンが帰る間際、彼は一言残した。
「最後に、宰相閣下からの伝言を預かっています。」
「……宰相? 私を追放した、あの男から?」
「ええ。“紅茶は、まだ冷めていない”と。」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
怒りでも、哀しみでもなく――
妙な温かさだった。
「ふふ……そう。じゃあ、冷める前に次の一杯を用意しておかなくちゃ。」
リュシアンは深く一礼し、夜の闇に溶けた。
扉が閉まる音と同時に、私は新しい茶葉を取り出す。
「紅茶と陰謀。どちらも、熱いうちに味わうのが礼儀ですもの。」




