31話 「雷光再び」
夜の宿。
卓上のランプが小さく揺れ、広げた地図の上で、風と水の線が交差していた。
外では谷風が低く鳴り、井戸桶がからん、と涼やかな音を立てる。
「水の理力か。それならば
目指すのは雨の古都セイリスだな」
カリナが指先で地図を軽く叩き、青い大河をなぞる。
僕は写し取った封律文字を広げ、皆に示した。
「『流れに従え、澱まず、逸れず』
このあたりで水に繋がりがある場所。
やっぱり導きは、セイリスを指してる気がする」
視線が地図に集まる中、胸の奥に影が差す。
(次は水……。水に対して有利って言われるのは『雷』。でも僕らには【雷の適性者】がいない。もし仮にボスが出てきたとしたら...)
脳裏によみがえる、ルーナの洞窟と【蒼殻竜】。
鱗の水膜に剣も矢も弾かれ、火は蒸発し、光すら呑まれた。
雷だけが唯一の有効打。
それ以外は全て無効化される場違いだったボス。
あのときの僕らには、その一手がなく打つ手がなかった。
結界で必死に守っても、爪に裂かれ、砕かれ全滅寸前。
そこに、ヴァルディアの黒騎士....ロイが現れた。
稲妻の一閃で【蒼殻竜】を貫いた彼の背中が、今でも目に焼きついている。
あの一撃がなければ、僕たちは今ここにいない。
けれど、”おちこぼれ”と呼ばれて剣を落とした彼も、あの場所にはいなかった。
「水か……正直、僕はトラウマだな」
気づけば口に出していた。
ラピスが不安そうに僕を見る。
「フィオル……?」
セレナが静かに続ける。
「雷しか通さぬ怪異。
あの窮地は、確かに忘れがたいですね」
「フィオル殿。あなたは既に【三理魔導士】。道を切り拓けるのは、もはやあなたにしかできません」
カリナは短く笑い、肩をすくめる。
「大丈夫だ。やばかったら無理せず退く。あの時みたいに突っ込んで全滅コースは二度とやらない。退路を用意するのも立派な戦い方だ」
僕は深く息を吸い、胸にこびりついた雷光の残像を振り払うように拳を握った。
「……そうだね。同じ誤算はもうしない。みんなで気をつけていこう」
「うん。頑張ろうね」
ラピスの羽が小さく揺れる。
窓の外から湿った風が流れ込み、ランプの火がゆらりと細くなった。
近くを流れる川の音に、自然と全員の視線が向く。
「雨の古都セイリス。明日の朝、出発だ」
そう告げながら、心の底で小さく頷く。
芯を絞られた炎は、細く、それでも確かな光となって夜へ溶けた。
◇
皆が寝静まったころ。
甲冑の擦れる音で目が覚めた。
部屋を見回すが、皆は静かに眠っている。
耳に残るのは、かすかな金属音だけ。
夢か現実か分からないまま、眠りに戻る感覚を失っていた。
胸のざわつきを抱えたまま、そっと外へ出る。
月明かりが川面を照らし、揺れる銀の光が水面に散っていた。
靴を脱ぎ、ローブの裾をつまみ上げて素足を浸す。
冷たさが意識を研ぎ澄ませる。
月を映す水を見ていると、別の光景が浮かぶ。
【大歪み戦線】。
黒い奔流に呑まれる戦場。
漆黒の鎧を纏ったロイが、僕の前に立っていた。
胸の前に剣を立て、礼を取る。
兜の奥から漏れた声は、かすかに震えていた。
『フィオル。君だけは生き延びろ。
俺は王命を果たす。
だが本心では、君を傷つけたくない』
兜を深くかぶり直し、踵を返す。
振り向かず、一言だけ。
『……また会おう』
川音に重なるように、二つの金属音が近づいてくる。
「だれっ?」
振り返った先に、ロイがいた。
その隣には、見知らぬ女騎士。
伸ばしかけた手が宙で止まる。
名前を呼びたい。声をかけたい。
けれど、何から言えばいいのか分からない。
「……フィオル」
夜風を裂く声は、昔のままの澄んだ響き。
兜の隙間の瞳に、幼馴染の面影を探してしまう。
隣の女騎士が兜を外した。
月光をはね返す黒髪。
きりりと結い上げた、美しくも鋭い顔立ち。
「……あーあ。せっかくロイと
抜け駆けデート気分だったのに」
いたずらっぽい笑みを浮かべたまま、細めた目で僕を射抜く。
「あれ? 知り合い?
でもイリシアの魔導士くんだよね。
勤務時間外だけど、やっつけちゃう?」
軽口と同時に、柄へ伸びる手。
その刹那、ロイが一歩前に出て、右手を差し出した。
「やめろ、イザリア」
短い声に、イザリアと呼ばれた女騎士は舌打ちして手を離す。
視線だけは鋭く、僕を射抜いたまま。
ロイは真正面から僕を見る。
「……俺は、ヴァルディアの騎士だ。
つまり、君にとっては『敵』だ」
震えのない声。
なのに、胸の奥で何かが軋む音がした。
「だが」
胸の前に剣を立て、柄に手を添える。
「前にも言ったが、君を傷つけたくない。
だから頼む。戦線から身を引いてくれ」
心臓が強く鳴る。
言葉にならない何かが、喉元まで込み上げる。
ロイは続ける。
「このままだと、いずれ俺の剣と、君の紡ぐ魔法がぶつかる日が来る。望まなくても...その時は来る」
夜風が二人の間を抜ける。
川面の月が揺れ、空気がぴんと張りつめた。
喉が渇く。それでも目は逸らさない。
(逃げない。僕は。)




