深夜の来客
午前一時過ぎ。玄関のチャイムが鳴った。
締め切り間近の原稿と格闘していた雅也は、眉間に皺を寄せてタバコをもみ消す。
「……誰やねん、こんな時間に」
のっそりと立ち上がってドアを開けると、紫がやけに申し訳なさそうな顔で立っていた。
「……先生、こんばんは」
「こんばんはやあらへんわ。さっき送ったばっかりやろ。なんで戻ってくるねん」
数時間前に彼女を家まで送り届けたばかりだ。それなのに、もう戻ってきている。
「いや、その……ちょっと事情が」
「また何か厄介事か。入れ」
雅也はため息をつきながらドアを開ける。紫は小動物のようにおずおずと靴を脱ぎ、居間の座布団に腰を下ろした。
「で、今度は何や」
「……あのね、眠れなくて。夜に散歩してたの」
「夜中の一時に散歩。お前、今まで結構怖い目に遭っているのに懲りんのう」
「そんなつもりじゃなかったんだけど……通りがかった神社の方から変な音が聞こえてきて、なんていうか、釘を打つみたいな」
紫は両手を膝の上でぎゅっと握る。
「行ったんやな。音のする方へ。普通にそんなん、回れ右せえよ」
「なんか気になっちゃって。カンカンって、金槌みたいな音。恐る恐る近づいたら……」
言い淀む紫。雅也は嫌な予感しかしない。
「丑の刻参りしてる男がいたの」
雅也の目が細くなった。神社で丑の刻参りの男——ろくな展開にならない流れだ。
「で、見つかって逃げたと」
「逃げようとしたんだけど、音立てちゃって……バレて」
「……で?」
「こっちに向かって来たから、仕方なく」
「仕方なく?」
「ぼこぼこにしたら動かなくなっちゃった」
小声で言う紫。
「は?」
「で、怖くなって……とりあえず引きずってきた」
雅也は顔を覆った。
「加減せえ言うたやろが!!」
「だって向こうが先に襲ってきたんだもん!」
玄関に戻って外を見回すと、確かにそこに血まみれの男が横たわっていた。顔は何発か殴られたらしく、全体的に腫れて凹凸がなくなっている。意識はない。
「……死んどらんやろな」
「たぶん、生きてる。ちょっとしか殴ってないし」
「おまえの『ちょっと』ほど信用できへん言葉はないわ。ぼろぼろやんけ」
雅也は頭をかきながらスマホを取り出し、連絡先の「闇医者・徳庵」に電話をかけた。
「——ああ、徳庵先生? 夜分遅くにすんません、今からちょっとお願いしたいんですわ。いや俺じゃなくて意識不明。息はある……たぶん。すぐ連れて行くんで頼んます」
通話を終えると、紫を睨む。
「ええか。次から絶対に連れてくるな。死んでたらこっちまで事件や」
「119番しないの?」
「してもええけど、お前は警察行きやぞ」
「ええっ、正当防衛じゃん」
「過剰防衛や」
雅也は車に男を積み込むと、闇医者の所へ行った。静かな夜が戻ると、雅也は机に向かい、再び原稿を打ち始めた。
翌朝、結局泊まった紫がまた顔を出した。いつも通り勝手に冷蔵庫からプリンを取り出しながら、さらっと尋ねる。
「おい、朝飯前にそんなもん食うなや」
「先生、あの男どうなったの?」
「治療した後、ちょっと脅して帰した」
「……珍しく優しいね」
「いや……」
その瞬間——家がかすかに震えた。机の上のペンがカタリと揺れる。
「え? 今の地震?」
「ちゃう。あの男が呪い飛ばしてきよった」
「はあ!?」
「まぁ多分そうしてくるやろと思っとったら案の定や。でも、うちの結界が弾いたみたいや。この前、静により強い結界に張り直してもらったからのう」
「いやいやいや、そんな軽く言わないでよ!」
「多分もう大丈夫や。……多分な」
「"多分"とか言わないで!」
ぷんすか怒る紫の横で、雅也は平然とコーヒーをすする。
「心配せんでもええ。呪いが弾かれたという事は、あいつに帰っていったって事や。人を呪わば穴二つや」
「なにそれ」
「お前はもうちょっと勉強せえ。いろんな意味で」
雅也はあきれながら煙草に火をつけ、パソコンの画面に向き直る。
「ま、死にはせん。もうちょっとで朝飯も出来る。プリンはその後にせえ」
「はーい……」
紫は渋々プリンを冷蔵庫に戻しながら、ちらっと彼を見た。
この人は、何が起きても動じない。そんな先生の背中を見ていると、不思議と安心する。
数日後。
新聞の片隅に、小さな記事が載った。
『市内の神社裏手にて、男性変死体発見』
雅也は記事を見つめ、ぼそりと呟いた。
「……やっぱり、死んだか」
紫は湯呑みを置き、そっと顔をしかめる。
「ねえ先生、私たち、ほんとに普通の生活してるよね……?」
「原稿の締め切りと幽霊に追われる生活が"普通"ならな」
二人のため息が、静かな夜に溶けていった。




