表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/24

スケッチブックの少女

挿絵(By みてみん)

「先生、この子……泊めてあげてもいい?」

紫が、少しおずおずしながらも期待に満ちた顔で玄関に立っていた。隣には、大きなスケッチブックを抱えた少女。どこか虚ろな瞳で、日焼けもない色白の顔がぼんやりと浮かんでいる。

「……なんやコイツは」

煙草をくわえた雅也が、露骨に眉をしかめた。

「公園でいつも絵を描いてる子なんだ。家に帰りたくないみたいで……ちょっとの間だけ、お願い!」

少女は小さく頭を下げた。

「……お願いします」

声は、消え入りそうなほど細い。

「アホか。俺ん家は学童保育ちゃうぞ」

「そんなこと言いながら先生、いつも助けてくれるじゃん」

「んなもん、なりゆきでそうなっとるだけで、本来はおかしいんやぞ。お前がここにずっとおるのも」

「じゃあ私がこの子を見つけたのもなりゆきでしょ? お願い、この子もすごく辛そうだし」

紫は一歩も引かない。雅也は煙草の煙を長く吐き出し、天井を仰いだ。沈黙が数秒流れる。

「……一晩だけやぞ。それ以上は知らん」

「やった! ありがとう先生!」

紫が少女の手を引いて家に上がる。雅也はその背中を見送りながら、小さく舌打ちした。


夜更け。

紫が風呂場で鼻歌を歌っている間に、雅也の書斎の襖がすっと開いた。

「眠れんのか」

振り返らずに問う雅也。机の上には灰皿と煙草の箱、それに読みかけの文庫本。

「……泊めていただいたことには感謝してます」

少女はスケッチブックを抱いたまま、静かに部屋へと入った。足音はほとんどしない。

「ふん。礼なら紫に言え」

雅也は興味なさげに煙を吐く。

「でも……私、人を見る目には自信があります」

「ほう。ええことやないか」

「あなた、やっぱり悪人ですよね」

雅也の手が止まった。煙草の煙だけが、ゆらゆらと昇っていく。

「……なるほど、なかなか鋭いで嬢ちゃん。当たらずとも遠からずや。けど人てな大抵、そういうもんちゃうか。聖人君子なんぞそうそうおらんやろ」

「詭弁ですね」

少女の声は平坦だった。

「でも、この家は素晴らしい。紫さんは優しい。だから――しばらくいたい」

「おもろい論法やのう。俺は近所にアパートでも借りて住めと?」

「いえ、そんな手間は取らせませんよ」

少女の目が、初めて光を帯びた。狂気の色を宿して。

「――あなたを殺します」

パサリとスケッチブックが開かれる。

ページから飛び出したのは、両腕が刀に変わった異形の獣。血走った目をギラつかせ、低い唸り声を上げながら雅也に襲いかかる。

雅也は煙草を指で弾いた。

火の部分が化け物の顔に触れるや否や、バシュッと炎が走り、獣は一瞬で紙くずに変わり、灰となって床に舞い落ちた。

「な……!」

「おもろい芸当や。それで食うてけるんちゃうか」

雅也は新しい煙草を取り出しながら、淡々と言った。

「お前の術式は紙を媒介にしとる。相性が悪かったな。俺のは火の術式や」

「くっ……!」

少女は歯ぎしりをし、必死で次のページを開いた。

同じタイミングで雅也が机を指で軽く叩く。カツン、という乾いた音。

次の瞬間、スケッチブックが燃え上がり、少女の手から滑り落ちて床に落ちる。

「あ……」

唖然とする少女。

「この家自体が俺の結界や。この家でその術式はそもそも使いもんにならん。残念やったな」

雅也は煙草に火をつけた。

「それにしても、いきなり殺りに来るとは。お前も大概ワルやのう」

「ヤクザのあなたなんかに言われたくない。私のことなんて何も知らないくせに!」

「『元』ヤクザや」

雅也は煙を吐いた。

「一週間前、隣の県で一家惨殺があったんは知っとるやろ。行方不明の娘が一人おって……お前やな」

少女の顔が一瞬ひきつり、次いで狂気に染まった。

「私は違う! 私はただ、ここにいたいだけ! 追い出さないで……!」

「やり直す気あるんなら、まだ遅くない。降参せえ。悪いようにはせん」

「嫌ァァァァ!」

少女は床に崩れ落ち、顔を両手で覆い跪く。嗚咽が響く。肩が震えている。

「……終わりや」

静かな声で雅也が言った。

「……みんな死んだの。パパもママもお兄ちゃんも。私が、私が殺した……」

「知っとる」

「なのに、なんで……なんで助けようとするの……」

「助けるとは言うとらん。せやけど――」

その時、襖が勢いよく開いた。

「先生ー? あの子どこ?」

風呂上がりの紫が書斎を覗いた。髪を拭いていたタオルが、床に散らばった灰を見て止まる。

「……何があったの」

「ちょっとした話し合いや」

雅也は短く答えた。

紫はすぐに状況を察したようで、少女の隣にしゃがみ込んだ。

「……帰りたくないんだよね」

「うん……」

「じゃあ、もうちょっとだけここにいなよ。先生は怖い顔してるけど、本当は優しいから」

「優しくなんかあらへん」

「はいはい」

紫はにっこり笑って、少女の手を取った。

「ほら、立って。部屋、案内するから」

少女はおぼつかない足取りで立ち上がり、紫に連れられて書斎を出た。

雅也は灰皿に煙草を押し付け、小さく呟いた。

「……ワシは優しくなんかない。ただのなりゆき……なりゆきなぁ」

窓の外では、月が静かに照らしていた。


翌朝。

「先生、あの子、警察に連れてくの?」

朝食の席で、紫が尋ねた。目玉焼きを箸でつついている。

「当たり前や。殺人犯やぞ」

と言ったものの、じゃあ俺はどうやねん、と雅也は心の中で苦笑した。

「でも……」

「とは言え、どうなるかな。絵から出てきた化け物が殺しましたなんて警察は信じんやろ」

雅也は味噌汁を啜った。

「せやけど、弁護士は紹介したる。うちの組でよくお世話になってた凄腕や。まぁ後は見守るしかないやろ。まだ15かそこらやろ、まだやり直せる」

紫は目を丸くした。

「……先生、やっぱり優しいじゃん」

「うるさい。飯食え」

雅也は煙草に火をつけ、窓の外を見た。

少女は庭で、朝日を浴びながらノートに何かを描いていた。

今度は怪物ではなく、花だった。小さな、名も知らぬ花が、一輪。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ