トンネルの怪異
「はぁ~……幸せ……」
後部座席で紫が伸びをする。甘い香りがまだ車内に残っている。
「本当に美味しかったですね……あのモンブラン」
桃花も満足げに微笑む。
「よう、あんな甘いもんばっかり食えるわ。俺は2つで胸焼けしそうや」
「先生が食べなさ過ぎなんだよ。あんなに美味しいのに」
「せっかく滋賀県まで来たのにもったいないですよ」
軽口を叩きながら山道へ。前方に口を開けたトンネル。
車が闇へ滑り込む。
空気が、変わる。
――ブォォォン!
爆音が背後から迫る。
「うわっ、何あれ」
バックミラーに蛇行するバイク。
「煽ってる?」
「アホやな……」
雅也は面倒くさそうに左へ寄せる。
「どうぞどうぞ、ってな」
バイクが追い抜く。
桃花が何気なく窓を見る。
そして凍りつく。
「……え?」
「どうした?」
「首……ない……」
紫も身を乗り出す。
「……マジだ」
ライダーに、頭がない。
その瞬間――
ぶしゅ、と湿った音。
首の断面から血が噴き出す。
「きゃっ!?」
バイクが転倒。金属音と共に路面を滑り、闇へ消える。
桃花の呼吸が荒い。
「どういうことですか!? 先生!」
「面倒やのう」
雅也は煙草に火をつける。
「怪異や、しかもかなり厄介そうなやつや」
「奥川さんなら、サクッと退治できますよね!?」
その時。
「……先生」
紫の声が低い。
「出口、ないよ」
前方の闇はどこまでも続いている。
ヒヒィィィン!
背後から馬のいななき。
バックミラーに映る、黒馬。
その上に――首なし騎士。
「首なし騎士!先生、首なし騎士だよ」
「デュラハンか。日本であないなもん出る事あるんか」
馬が車と並走する。
首のない騎士が、ゆっくりと剣を振りかぶる。
「先生!」
雅也がハンドルを切る。
「分かっとる。舐めんな」
ドンッ!
車体が馬に激突。馬が後退する。
「ちょっと何してるんですか!?」
「ほっといたら切られるやんけ」
「そうですけど!?」
再び反対側から並走。
今度は距離が近い。
近すぎる。
剣が振り下ろされる。
――ガギィンッ!
甲高い音。
後部座席の窓ガラスが粉々に砕け散る。
車内に冷たい風とガラス片が吹き込む。
桃花の頬を、何かが掠めた。
熱い。
触れると、指先に赤がつく。
「……血……?」
ほんの、薄く。
だが確かに切れている。
「しゃがめ!」
雅也が怒鳴る。
騎士が再び剣を一閃、後部座席に斬撃が横なぎされる。
あと数十センチずれていれば、首が飛んでいた。
「うわぁ……本物だ……」
紫の声が、わずかに興奮を帯びる。
「紫はこの状況でなんでそんなテンションなの!」
騎士がもう一度迫る。
その瞬間。
「邪魔」
紫が力任せにドアを蹴る。
轟音。
ドアが弾丸のように吹き飛び、騎士へ直撃。
騎士は落馬。
「よし!」
「車壊すなや!」
しかし馬は減速し、騎士が再び乗る。
ダメージは、ほぼないように見える。
蹄の音が迫る。
ドドドドド……
「埒が明かんのう」
雅也は助手席の背広から銃を取り出す。
「なんで持ってきてるんですか!?」
桃花の声が裏返る。
「最近物騒やからのう」
「背広に銃入れてる人が言う台詞じゃないですよ!」
騎士が真後ろへ。
「伏せとけ!」
急ブレーキ。
ハンドルを切る。
車体が180度回転。
バックしながら正対。
銃声が3発、轟音が轟く。
馬と騎士が撃ち抜かれ、影が裂ける。
桃花の悲鳴。
紫の歓声。
そして――
光。
*
車はトンネルを抜けた。
フロントガラスは消え、片側のドアはない。
夜風が吹き抜ける。
雅也が煙草を吸う。
「……なんとかなるもんやのう」
「これどうするの」
「こんな状態の車をロードサービス呼べんしな。神代に車回してもらうわ。面倒やのう」
紫が桃花を見る。
「ほら、もう大丈夫だから」
桃花は頭を抱えて震えている。
「……来ないで」
「え?」
「こっちに来ないで!」
紫、固まる。
数秒後、察する。
「あー……」
雅也が眉をひそめる。
「なんやねん」
紫が小声で言う。
「乙女の危機」
「言わないで!」
桃花が涙目で叫ぶ。
雅也は壊れた車を見渡し、深くため息。
「……車どうするかのう」
剣の傷が残るシート。
割れたガラス。
冷たい夜風。
さっきまでの甘い余韻は、もう消えていた。
夜は、何事もなかったかのように静かだった。




