非常階段の看護婦
病室の白い天井を見上げながら、雅也は深く息を吐いた。
「まさか自分が入院する羽目になるとはな……」
ベッド脇では、静が慣れた手つきでりんごを剝いている。その様子を、紫が面白そうに覗き込んでいた。
「あんたが入院って聞いて、びっくりしたわ。世話焼きもええけど、ええ加減、気ぃ付けや」
静がそう言うと、紫もすぐに続く。
「先生もいい歳なんだからさ。もうちょっと自分の体、大事にしなよ」
「……誰のせいでこうなった思てんねん」
雅也がぼやくと、紫は少し気まずそうに視線を逸らした。
「だから、ごめんって。あの時は私も必死だったし……」
「まぁええ機会やさかい、いろいろ診てもろうたらよろしいわ。ただでさえ不摂生な生活してるんやし」
静の言葉に、雅也は不満そうに剝かれたりんごを受け取り、黙って齧った。
そして夜。
病室は静まり返っているが、どうにも寝付けない。枕が違うせいか、天井の染みが妙に気になる。
「……あほらし」
雅也はそっとベッドを抜け出し、非常階段へ向かった。
煙草に火をつけ、肺に煙を流し込む。久しぶりの感覚に、わずかに肩の力が抜けた
らしくない。とは思った。ヤクザ時代に大けがをする事もあった入院する事もあった。しかし、ここまで気が滅入る事はなかった。やはり原因は「アレ」か。温泉で見た幻、みことの幻影が頭から離れない。
「俺もヤキが回ったのう」
紫煙を吐く共に静かに呟く。――その時。
ガチャリ。
非常階段のドアが開き、白衣の看護婦が入ってきた。
「……っ!」
驚いた雅也が弁解しようと口を開く前に、看護婦はにこりと笑い、胸ポケットから煙草の箱を取り出した。
「あんたもかいな」
「お互い、肩身が狭いですね」
二人は並んで煙草に火をつける。
しばらく沈黙が流れた後、看護婦がふと思い出したように言った。
「こんな話、ご存じですか?」
「なんの話や」
「この病院、入院患者の死亡率が日本一って噂」
雅也は興味なさそうに煙を吐いた。
「よくある与太話やろ」
「そうですね。与太話です」
看護婦はそう言って、少し間を置く。
「でも……亡くなる患者が多いのに、患者はひっきりなしに入院する。不思議じゃありません?」
「そないな病院あったら、普通は避けるやろ。どうせ終末医療の患者を受け入れてるとかちゃうんか」
「うちは普通の病院ですよ。どこにでもある普通の病院」
看護婦の笑みが、どこか歪んだ。
「世の中には、治ってほしい患者さんばかりじゃありませんからね」
「……病院が殺しを請け負ってる、とかか?」
雅也がつまらなそうに言うと、看護婦は嬉しそうに頷いた。
「ご名答。死んでほしい患者さんを受け入れて、それとなく殺す。それがこの病院の裏の顔……言ったら、信じますか?」
「与太にしてはおもろいわ。ええ暇つぶしになった」
雅也は煙草を揉み消し、踵を返す。
「ほな、そろそろお暇するかいのう」
「あら、残念。もう一つ、とっておきの話があったのに」
「またの機会にするわ」
しかし看護師は、無視するように話し始めた。背後から看護婦の声。
「この病院には、定期的に行方不明の患者さんが出るんです」
「それが俺ってオチか?」
背後から不気味な笑い声、看護婦は不気味な笑みを浮かべ、雅也の首筋に注射器を打とうと近づき――
その足元から、突如、火柱が噴き上がった。
「ぎぇぇぇぇぇ――!!」
この世のものとは思えない悲鳴が、夜の非常階段に響く。
燃え上がる看護師を眺めながら、雅也はつまらなそうに一言だけ漏らした。
「……しょうもないオチやのう」
次の瞬間、非常階段のドアが閉まる音がした。
その音は、闇夜の中に、静かに溶けていった。
後日、この病院について調べてみたが死亡率、日本一も、看護婦が患者を殺しているという情報は出てこなかった。あの看護婦はなんだったのか。今となっては分からない。
雅也曰く「あの闇医者、徳庵の紹介の病院やぞどうせろくな病院ちゃうわい」だそうだ。




