鎧武者の殺し方
夜の住宅街は、虫の声さえ潜めたように静寂に包まれていた。
藤乃紫は荒い息を吐きながら路地を駆け抜ける。足音は一つだけじゃない。背後で重い鉄の音が規則正しく響いていた。
振り返った瞬間、月明かりに浮かび上がったのは甲冑をまとった巨大な影。面頬に隠された顔は一切の表情を読ませず、ただ刀を抜き放っている。
「は、はぁ……! な、なんで私ばっかり……っ!」
紫は身を翻すと、思い切り拳を突き出した。
空手仕込みの正拳突き。拳は鎧の胸部を捉えるも、まるで鉄の壁に打ちつけたように弾かれ、骨まで震えるような痛みが返ってくる。
「いてっ……まあですよね」
蹴りも、膝蹴りも同じ。手応えはなく、ただ虚しさだけが残る。
刀が振り下ろされた。間一髪で飛び退くと、地面に火花が散る。
「しっ」
瞬間、紫はカウンターを放つ。今度は拳ではなく貫手。鎧のない喉元への決死の一撃。並みの人間なら息をするのもままならなくなる一撃だが——相手が生者であればの話だ。
妙な手応えに驚いた瞬間、刀による横薙ぎの一閃。紙一重で避けるも、Tシャツに横一文字の切れ目が入る。
「やばい、こりゃ無理だ……!」
足をもつれさせそうになりながら、紫は踵を返し必死に走った。
古びた一軒家の前で立ち止まると、紫は全力でチャイムを鳴らす。
「先生! 開けて! ヤバいの来てるから!」
中から沈黙。やがて、ガチャリと引き戸が開いた。
現れたのは、乱れたYシャツ姿で煙草をくわえた男。鋭い目つきと雰囲気は、どう見ても堅気の人間ではない。
「……なんやねん、またお前か」
「またって何よ! 今度のは本当にヤバいの! 鎧着た幽霊が刀持って追っかけてきて——」
「アホか。深夜徘徊のコスプレおっさんやろ」
「もしコスプレのおっさんだったら、相手は多分2回は死んでるよ!」
「お前も大概やのう」
雅也は眉をひそめたが、彼女の顔が真剣そのものだと分かると、小さく舌打ちする。
「……しゃあない。ほな、上がれ」
紫が家に転がり込むと同時に、雅也は玄関に置いてある護符を一枚手に取り、引き戸に貼った。
雅也と紫は居間へと向かおうとする。
バリィッ! 轟音とともに護符が破れ飛んだ。
「ほう、やるやんけ」
結界が、まるで紙切れのように破られていた。
そして蹴破られる引き戸。玄関口に、鎧武者が無言で立っている。
「来たぁぁあ!」
紫が叫んだ。
「……厄介やのう」
雅也は紫の手を引き、奥へと逃げる。振り向きざまに鎧武者へ向けて咥えていた煙草を飛ばした。火の付いた部分が胴当てに着弾すると同時に、煙草とは思えない炎が上がる。しかし鎧武者は意にも介さず前進してくる。
「え、効いてないじゃん!」
「あの手のタイプには効きが悪いんや!」
「もっと凄い術とかないの?」
「うるさい! ごちゃごちゃ抜かすな!」
そう言いながら居間へ入ると同時に床を叩く。鎧武者の足元から火柱が上がった。
「これって火事にならないの?」
「なんでお前、そこは冷静やねん。霊体の火やから火事にはならんが、問題は——」
鎧武者は怯むことなく歩を進める。
「ダメじゃん」
「あかんな」
「ど、どうするの!? 110番!」
「どう説明すんねん。それに元ヤクザが警察に通報って沽券に係わるわ。しゃあない」
雅也は居間の扉を急いで閉めると、ポケットの護符を取り出し扉に貼る。そして台所へ入っていく。後を追う紫。
「あれ効くの?」
「玄関のと同じや。効くわけがない」
「あっさり、言うね」
「とりあえず、時間稼ぎや。こういうのはな、慌てた方が負けなんや」
雅也は台所の下から何かを取り出すと同時に、扉が破られる音が響いた。身構える紫。鎧武者がゆっくりとこちらを向く。じりじりと間合いを詰めながら刀を上段に構える。
間合いとタイミングを計り、雅也が急に踏み込んだ。鎧武者はとっさに迫る雅也へ一閃——だがその凶刃は雅也に届く前に止まる。刀が居間と台所の境目にある鴨居に食い込んでいた。
迫る刀をかわし、雅也は懐から黒光りする拳銃を抜き鎧武者の首へ突きつける。
紫の目が見開かれる。
「ちょ、なんで家にそんなもん……!」
「うっさい。元ヤクザ舐めんな」
引き金を絞った瞬間、轟音が居間を揺らした。まるで時が止まったような静寂が広がる。鎧武者は糸が切れたように膝から崩れ、雅也へ覆いかぶさろうとしたのをいなす。鎧武者は倒れると同時に霧散した。
残されたのは、汗だくの雅也と、呆然とする紫だけだった。
雅也は肩で荒い息をしながら、タバコをくわえる。
「……はぁ。しんど。二度と連れてくんな、こんなん。近隣住人に通報されたらどう説明すんねん」
「クラッカーでしたって言っとけば。それより、この時間に女子高生がおっさんの家にいることの方が説明に困るかも」
「どでかいクラッカーやのう。分かっとるんやったら、さっさと帰れや」
紫は思わず笑った。
「でも、やっぱすごいじゃん。さすが元ヤクザ」
「うっさいわボケ」
「幽霊って銃効くんの?」
「銀の弾丸やしかも退魔仕様のな。まぁこれなら大概の怪奇は払える」
「今日は遅いし、泊まっていこうかな」
「帰れや」
雅也は悪態をつきつつ、震える手を隠すように火をつけた。
紫はその横顔を見ながら、不思議と安心している自分に気づいていた。騒がしい夜の後の静寂は、悪い気がしなかった。




