人魚は嗤う
旅館に着くなり、三人は荷物を放り出して一服した。
「……今回は、何も出ないよね?」
紫がじっと静を睨む。
「そないな幽霊の出る旅館、そうそうありゃしません。」
涼しい顔で静が返す。
「それより温泉行きましょ。ほら、早よ」
言いながら、静はやけに嬉しそうだ。
「ちょ、あんまり近づかないで。静さん距離近い」
「お前ら相変わらずやな……」
雅也は煙草をくわえ、ため息混じりに呟いた。
◆
風呂上がり、浴場横の喫煙所で雅也は煙草を吸っていた。
湯気の残る夜風が、妙に生温かい。
「先生! ゲーセンあるよ、ゲーセン!」
廊下の向こうから、紫のはしゃいだ声。
「……やれやれ、しょうがないのう」
そう言いながらも、まんざらでもない表情で雅也は煙草を揉み消した。
「何気に先生、こういうの好きでしょ?」
「まぁ……悪ないな」
憮然とした返事に、紫は満足そうに笑う。
それを少し離れたところから、静が面白そうに眺めていた。
◆
夕食は豪勢だった。
焼き魚、煮付け、刺身、椀物。
どれも魚が主役だ。
「うわ、これ美味しい!」
紫が目を輝かせる。
「……確かに、これはなかなか」
雅也も思わず機嫌よく箸が進む。
「口に合うて良かったわ。ここは魚料理絶品なんよ。連れてきた甲斐があったわ」
静が、どこか誇らしげに微笑む。
◆
食後、再びゲームセンターから戻ってきた二人。
「先生も、めっちゃヌイグルミ取るんだよ」
紫が楽しそうに静へ報告する。
「お前が、あれもこれも言うからやないか」
「男はいくつになっても、子供っぽい部分があるさかい。あんたは昔からクレーンゲーム上手かったな」
静はくすりと笑った。
◆
夜。
三人はそれぞれ布団に入る。
……はずだった。
「紫ちゃん、お姉さんと一緒に寝えへん?」
「無理」
即答で拒否られる静。
「あらあら振られてもうた。じゃあ雅也さん……」
と振り返ると雅也はすでに寝息を立てている。
「もう、いけずやなぁ」
静も不機嫌そうに布団に入る。
やがて、夜は更ける。
雅也の布団に、誰かが入り込んできた。
「……外ではやめろ言うたやろ」
寝ぼけて呟いた瞬間、違和感。
「……紫?」
布団の中をのぞくとそこにはいたのは静だった。
「……っ!? なんでお前や!」
「へぇ……」
静は怖いくらい穏やかな笑みを浮かべる。
「あんた、普段紫ちゃんと一緒に寝てるん?」
「どうでもええやろ。なんや、こんな夜中に」
声を潜める雅也。
「ちょっと外、歩かへん?」
◆
旅館の外。
夜気はひやりとして、虫の声だけが響いていた。
「夜気冷とうて気持ちええね」
雅也は煙草に火をつけ、一息つく。
「お前はこういうの好きやのう。夜中に旅先をぶらぶらするの」
「知らん土地の夜ってなんかわくわくしいひん?」
「まぁ分からんくもないな」
「今日食べた魚、えらい美味しかったでしょ」
「まぁ、美味かったのう。こないな寂れた旅館にしてはええ味しとった」
「……あれ、何の魚やと思う?」
静は不敵にそしてイタズラっぽく微笑み、聞く。
「鯛か、タラか……白身系のなんかやろ。さっぱりしていたが妙に旨味の濃い、不思議な味やったな」
静は、くすっと笑う。
「人魚の肉言うたら、どう思います?」
「ほぅ、おもろい話やな。ほんまか」
「そういう反応もあんたらしいわ。この旅館ね、養殖した人魚を客に出してる、世にも珍しい旅館なんよ」
「ほな、俺ら今日から不老不死か」
雅也は鼻で笑う。
「残念。養殖やからか知らんけど、そういう効用はあらへん」
「そら残念や。100年くらい作家やっとったらそのうち芥川賞取れるかもしれへんのにな」
「それは1000年生きても無理やと思うわ」
「辛口やな」
「……意外と嫌がらへんのやね」
「ん……人魚の肉の話か。蝦蛄かてあんこうかて、見た目はきもい。今更、人魚やったから言うて、うげぇってなるほど繊細ちゃうわ」
◆
旅館へ戻る途中、静が追いつく。
「変わったわね。昔のあんたやったら、こういうネタ、絶対シノギにしてたのに」
「今はカタギや。それに……美味かったし、別にええやろ」
「そら、そうや」
「よっしゃ、与太話はここいらで仕舞にして部屋、帰るか。冷えてもうたわ。もう一回温泉にでも入ろうかいの」
「そら名案や。その後、飲みなおしましょ」
「どんどん寝る時間が遅なるのう」
「ああ、そうそう、与太のついでや。さっき言うてた人魚の肉な、食べてたんは全部魚の部分や。「人」の部分はまた違った味がするそうや。今日の夕食には出てへんかったけどどんな味がしたんやろうね」
怪訝な顔をする雅也。静はそれ以上、何も言わなかった。
◆
後日。
自宅の朝食。
「先生、これ、旅館で買ったやつ!」
紫が肉のしぐれ煮の缶詰を開け、ご飯に乗せる。
「……美味しい!なんだろこれあんまり食べた事ない味!」
満面の笑み。
雅也と静は顔を見合わせる。
「……知らぬが仏やな」
「ほんま、それ」
二人はそう言って、何も説明しなかった。
「二人は食べないの?」
「やめとくわ」「遠慮しとくわ」
揃う二人の声。
紫の箸は、最後まで止まることはなかった。




