山寺の影
山あいの空気は冷たかった。杉林の合間から鳥の声が鋭く落ちる。
雅也は伸びをしながら、荷物を肩に掛け直した。
「えらい歩くな。寺っていうのはなんでこうやたら山奥にあるねん」
「まだそんな歩いてないでしょ。先生やっぱり体力なさ過ぎ」
紫は呆れた声で返す。
「せっかくの旅行やのに付きあわして悪いなあ」
静は笑った。
「親戚の寺やったか。前にも一回、寄ったな」
「せや、世話のかかる人やさかい、近くに行ったら寄ったって母言うてたんよ」
「そう言えばそうやったのう。少し話したが女とギャンブルの話ばっかしとったわ」
「そないなんやさかい定期的に見てあげなある日、死体でゴロリってなっても世間体に悪いやろ」
「その人じゃなくて、『せけんてい』が心配なの?」
「静はともかく、中禅寺の『家』はそういう事や」
「親戚の命よりも世間体。恥ずかしい話やわ」
静の目にはどこか侮蔑と嘲笑の入り混じった表情をしていた。
石段を踏みしめ、上がり切ると寺らしい立派な門に辿りつく。
寺は意外なほど手入れが行き届き、砂利の白さが目に痛い。
庫裏から住職が現れた。
「おお、静ちゃん。久しいなあ! 入って、茶でも飲みぃ!」
元気すぎる声。人懐っこい笑顔。
静は座敷に通されながら、首を傾げた。
「……ここも久々やね。おじさんも元気そうでよかったわ」
「それだけが取り柄やさかいな」
住職は茶菓子とお茶を雅也たちの前に置く。
「お寺もなんか綺麗になって、雰囲気も変わったなぁ」
「坊主が丸儲けも昔の話や。いつまでも小汚い寺では檀家も離れるしな」
どこかぎこちない笑顔。その背筋は妙に伸びすぎてるような気がする。
紫が、雅也の袖を引っ張る。
「なんや?飯か、この後に寿司か天ぷらでも……」
「違うよ。ちょっと来て」
紫は雅也を座敷の外へ連れて行く。そして小声で雅也に耳うつ。
「あのお坊さん、前廃屋にいた忍者じゃない」
「ああ?ほんまか!?全然分からんぞ」
「私は雰囲気で人を識別できるから全然違う見た目でも同じ人なら分かるんだ」
「ほう、おもろい技能やな。しかし、どうしたもんかのう」
「なんか適当にカマかけてみて反応見たら?」
座敷に戻ると雅也は湯飲みに口をつけつつ、さりげなく聞いてみる、奥川雅也ではない。
「おいこら、忍者どういうつもりや、今度は坊主に化けて住職の真似事か。ええ加減にせえよ」
目を丸くする住職。
「いやいや、いきなりなんですか不躾に。失礼な」
「まぁそうやろうな」
驚いた風もなく茶を啜る静。
「気づいとったんかい」
「よう化けてるけどさすがに親類やと分かるわ。細かな所作や言動が違いすぎます」
「分かっとたんならさっさっと言わんかい」
「座興ですわ。よう化けてるしもうちょっと付き合ってあげようと思てたんやけど。案外鋭いね紫ちゃん」
「どうも」
ちょっと含みのある物言いに少し憮然とする紫。
立ち上がり、逃げるように襖へ向かう——が、
雅也が容赦なく座敷机を蹴り飛ばした。
ガンッ!
「ぎえっっ!!」
机が住職の脛を直撃。畳に転がり、悶絶する。
「うわ、痛そう」
「あら、せっかくの茶菓子がわややわ」
「話聞かせてもらおか。ホンマの住職はどこや?」
雅也が胸ぐらを掴む。
にせ住職は観念したようにため息をつく。
「降参です。あなた達は本当、乱暴だなぁ。本当の住職は今頃愛人とマカオですよ。俺はその替え玉になるかわりにここに住まわせてもらってるってわけ!」
「マカオ……」
あきれる雅也。
「まぁそんなとこでしょうね。あの生臭坊主がこないなとこに3日もじっとしてるとは思えんしな」
「どうすんの、この状況」
「——ただいま戻りましたえ」
背後から声がした。
三人と偽住職が同時に振り返る。
そこに立っていたのは——本物の住職と、その腕に絡みつく派手な愛人。
「静ちゃん、なんで……来るなら連絡くれたら、まずいとこ見られてもうたな」
「あんた、連絡したらどっか行くやろ。それにこんなんは想定内です。恥ずかしい事ありゃしません」
静は落ち着いて、凛と言い放つ。
「先生、これって一件落着でいいの?」
「まぁなんとも言えんオチやな」
部屋に沈む気まずい沈黙。
本物の住職は穏やかな笑みで言う。
「ところで……さっき机蹴った音したけど、何かあったんか?」
「今、あんたのとこの替え玉を詰問するとこやったんや」
「よう分かりましたな。この人の変装は見破れる人はそうそう……まぁ静ちゃんにはばれるか」
「私の目を騙すには修業が足りませんね」
「最初に見破ったのは私なのに」
紫は隣で主張する。
「せっかく、いい場所だと思ったのについてないなぁ。これでまたホームレスかぁ」
「いやいや、ここまで迷惑かけてもうたんや。しばらくは陣さん、いてくださいよ」
住職は本当に申し訳なさそうに忍者に言う。
「お前、陣って名前なんか」
「あれ、言ってませんでしたっけ。風針 陣。俺の名前です」
「どうせ偽名やろ」
ベッと舌を出す陣。
「こいつ」
「まぁ寺の手入れも行き届いてるし、しばらく小間使いで雇ったらええんやないですか。あんたに任したら寺は朽ちていく一方やし」
「まっそれも悪くないかもね」
そう言いながらにせの住職は肩をすくめる。
寺の奥では廊下がきしみ、風鈴が鳴る。
それがまるで——誰かが笑っているように聞こえた。
坂道を下りながら、三人は旅館へと歩く。
山風は冷たく、どこか湿り気を帯びていた。夕暮れのせいか、遠くに見える寺はまるで影絵のよう。
紫はふと、あの本物の住職——愛人と共に帰ってきた男の方を思い返す。
——あれ? と違和感が胸の裏をかすめた。
住職と偽住職。
二人が並んだ時、夕日の逆光で伸びた影を見た気がする。
忍者の影は人の形。
本物の住職の影だけ——耳が尖り、尾のようなものが揺れていた。
狐か、はたまた狸か。
気づいた瞬間ゾワリと背筋が冷えたが、紫は小さく笑って肩をすくめた。
「……まあ、いいか。余計な詮索はやめとこう」
呟いた声は、山道に吸い込まれるように溶けていった。
その背後、寺の方角から——鈴の音とも、獣の鳴き声ともつかぬ、短い音が一つ響いた。
風がやむ。鳥も鳴かない。
世界が息を潜めるような静寂だけが、三人の背中について来ていた。




