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針女 ~経費は青天井で~

挿絵(By みてみん)

金属が擦れるような甲高い悲鳴が、森の奥から響いた。

次の瞬間、闇の中から"針の奔流"が押し寄せる。白い髪が無数の針と化し、波濤のようにうねりながら襲いかかってきた。

「くっそ、洒落ならんぞこれは!」

「先生、前! 左左!」

雅也と紫は木々を縫うように走る。背後からは針の嵐。巻き込まれれば死は免れない。

死の気配に肺が潰れそうになる――

そこで雅也の思考に、つい数時間前の"依頼"がよぎった。


3日前:奥川雅也宅

「……今日はなんやねん」

玄関前。桃花が申し訳なさそうに立ち、その隣では満面の笑みの根地夕子が、ルイベのパック(いくら増量版)を紫に差し出していた。

「仲直りの品だよ。ほら藤乃さん、好きだろう?」

「うおおおおお……! ルイベじゃん、根地先輩、今日はどんな用件ですか!」

「どうでもええけどお前はそれでええんか」

「ええっなんで、ルイベ美味いじゃん」

「まぁお前がそれでええんならええわ」

「随分立ち直りが早いな……」

夕子は呆れたように笑い、紫の肩越しに雅也を見た。

「あいつはもともと精神的にはタフなんや。たまに情緒不安定になるだけで」

「ふーん。で、本題なんだけど――依頼、聞いてくれない?」

「なんで俺がガキのパシリやらなあかんねん」

「報酬も、ちゃんと出す」

「報酬の問題ちゃうねん。お前の依頼が嫌なんや」

「随分な言われようだ。普通、女の子が困って頼みごとをしてきたら聞いてあげるのが男だろ?」

「どこが女の子や。俺には目の前に災厄を運ぶ魔女にしか見えんわ」

「まぁまぁそう言うなよ。ここで蒸し返されるのは嫌だろう?」

ルイベで喜んでいる紫を指さし、悪い笑みの夕子。

「うっとおしいのう。今度からドアホンでも付けるかいのう」

「次は、ね。今日はひとつ一緒に踊ってくれたまえよ」

夕子の目は本気だった。

雅也は数秒考え、ニヤリと笑った。

「あえて乗ったるわ。話してみぃ」


山中にて

「というわけで、なんでお前はいつも通りの格好で来とるんや……!」

「先生って、Yシャツとスーツ以外の服着るんだ」

「当たり前やろ! どこの世界にスーツで山登るねん」

「こんなの着なくても登れるんじゃない」

初めて着るアウトドアジャケットやトレッキングシューズを嫌そうに着ている。

「山ではな、お前みたいな奴から死んでいくんやで」

紫に怒りながら、雅也は登山ブーツで道なき道を踏みしめる。紫が木の根に足を取られそうになるのを、何度も手を引いて助けた。

紫はふと立ち止まり、眉を寄せた。

「先生……ここ、なんかよくない」

「偶然やな俺もそう思う。刺すような霊気やな……」

その時だった。

木々がざわめき、空気が凍る。

白髪の着物女が、霧の向こうに"立っていた"。

顔は伏せられ、地面すれすれに長い白髪が垂れている。美しいはずのその姿は、ただ異様だった。

――次の瞬間、その髪が膨れ上がり、波濤のように迫る。

脳が理解するより早く、死が迫った。

「逃げろ! 息が続く限りなぁ!」

「嘘でしょ!」

二人は同時に反転し、森の中を駆け抜けた――。


森を抜けると、小さな広場に出た。紫は軽く汗をかいた程度だが、雅也は膝に手を付き、息も絶え絶え。

「お前なんで全然疲れてへんねん。化け物かお前も」

「先生がスタミナなさすぎるんだよ。タバコやめたら?」

「やかましいわ」

深呼吸しながら煙草に火をつけ一服する。

「どうするの先生? 根地に報告する?」

「ほんまは……」雅也は息を整えながら言った。「あの怪異をラッピングして、あのクソ女の家に送りつけたいんやけどな」

「名案だけど倒すより難しいと思うよ?」

「まぁここまでは根地の計算通りやろ。俺が尻尾巻いて帰ってくると思っとる」

雅也は不敵に笑った。

「けどな――ここで『無理でした』じゃ、奥川先生の名が廃るんや」

彼はスマホを取り出し、画面を紫に見せた。

「あいつのミスは"経費別途"って書いたことや」

契約書のスクリーンショット。そこには確かに『経費は実費精算』と書かれていた。

「経費使い放題なら、打てる手はいくらでもある」

「……なんか今日は妙にやる気だね」

「俺はな、裏側でしたり顔してる黒幕気取りのアホに吠え面かかせるのが好きなんや」

紫が嫌な予感を覚えた瞬間――雅也はすでに電話をかけ始めていた。


怪異視点:針女

再び、人間の気配。

また戻ってくるとは思わなかった。あの攻撃から逃げ切っただけでも賞賛に値する。それなのに再び来るとは珍しい。

針女は髪を全方位に広げ、繭状の完全防御を形成した。幾重にも重なった針の球体。これを破れる者はいない。

まだ攻撃範囲には入ってこないが、次に来れば即座に包囲し、全方位から攻撃してやる。

仮に奴らが超長距離攻撃を持っていたとしても、この球体を貫くことは――

聞いたことのない凄まじい轟音。

世界が揺れた。

意識が飛ぶ。

『なに……いま……?』

思考が途切れ、闇がすべてを飲んだ。


着弾確認

森の入り口。

地面に固定された巨大な対物ライフル――バレットM82。

雅也が引き金から手を離し、耳栓を外す。

「よっしゃ。さすがM82や、威力が桁違いやな」

「標的消滅確認。周囲に敵影なし」

望遠鏡を覗いているのは、眼帯を付けた女だった。黒のタイトスーツに身を包み、プロの狙撃手のような佇まい。

「しかし久々に呼ばれたと思ったら"バレット貸してくれ"だなんて、何事かと思ったよ」

「日本でこんなん貸してくれるんは、あんたくらいや」

「たまにはうちの店にも顔出しなよ。婆さんも喜ぶ」

「お前んとこ高いねん」

「先生、また風俗の話してない?」

いつの間にか背後に紫が来ていた。

「失礼だな。そんな下品な店じゃないよ」眼帯の女が笑った。「……そんな高尚なもんでもないけど」

「やっぱりいやらしい感じするんだけど」

眼帯の女が呆れたように言う。

「それはさておき、雅也。銃のレンタル代、特殊徹甲弾、重機運搬費、それに遊女の"出張サービス"……」

「遊女?」紫が首を傾げる。

「これ、遊女のデリバリーになるんかい」

「そりゃそうだろ、私は一応、遊郭『夢桜楼』の遊女なんだから」

「……結構な額になるけど?」眼帯の女が続けた。

「これや。請求はここに回しといてくれ」

雅也は一枚の紙を渡した。

眼帯の女は目を細め、それを読んだ。

「……正気か?」

「依頼主の希望や」


旧校舎・部室

書類にペンを走らせていた夕子の前に、眼鏡で三つ編みの少女が請求書を放り出す。

「夕子。変な請求書が届いてるけど……どうせあんたでしょ? こんなの部費で落ちないからあんたのとこで処理してよ」

「えぇ? なんのこと――」

夕子は請求書に目を落とした。

バレットM82レンタル代     ¥300,000

特殊徹甲弾           ¥150,000

重機運搬費           ¥200,000

遊女"出張"サービス       ¥800,000

現地調整費            ¥50,000

───────────────────────

合計            ¥1,500,000

夕子の目が大きく開く。

「…………は?」

次の瞬間、額を押さえながら呟いた。

「……やってくれたな、奥川雅也」


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