無限回廊
甘味処「桜花」の窓から、秋風が渡ってくる。
水見桃花はフォークを止めた。目の前の和栗モンブランから、湯気がほんのり立ち上っている。
「……これ、やばい。うますぎる」
ひと口食べて、思わず目を細める。委員長として几帳面な彼女だが、甘いものには滅法弱い。今日のご褒美スイーツ。あとは帰って課題でも――
視界の端で、見慣れた後ろ姿が動いた。
「……あれ?」
同じクラスの、あの子。藤乃紫。ずっと学校に来ていない。
そして隣を歩いているのは――
「……え?」
背の高い男。いかつい人相。鋭い目つき。白いスーツに紫のネクタイ。明らかに一般人とは違う雰囲気。高校生と歩くような人種じゃない。
桃花の脳内に、最悪のシナリオが高速で流れる。
(援交? パパ活? いやいやいや、でも藤乃さん可愛いし、そういうこともあり得る?)
スイーツの甘さが一気に消し飛んだ。
「……これ、見過ごせないわね」
委員長の義務感50%。女子高生の好奇心50%。
桃花は財布から小銭を取り出すと、そっと席を立った。
「……入っちゃった!」
見知らぬ一軒家の前。紫は迷いなく玄関を開け、あの男も当然のように中へ消えた。
表札には「奥川」と書かれている。
桃花の背筋が粟立つ。息が浅くなる。
(なんかヤバイ。絶対ヤバイ)
手が震えた。でも――帰れなかった。
もし紫が助けを求めていたら? そうじゃなくても、不登校のクラスメイトがヤクザみたいな男と怪しい関係にある。委員長として、見過ごしていいのか?
……いや、正直それ以前に好奇心が止まらない。
「ちょっとだけ。ちょっとだけ見て、すぐ帰る」
そう自分に言い訳しながら、桃花は引き戸に手をかけた。
ガラ――
「……鍵、かかってない
むむ?」
不審な家なのに。ますます怪しい。
心臓が早鐘を打つ。深呼吸をひとつして、桃花は中へ足を踏み入れた。
廊下が続いていた。
やけに静かで、冷たい。壁の色も床も、どこか時代がかっている。
桃花は忍び足で進む。息を殺して、耳を澄ます。
「……広い。てか、長すぎひん?」
歩いても歩いても、同じ景色が続く。確かに広めの日本家屋に見えたが、ここまで広いことあるだろうか。段々呼吸が苦しくなる。
「ちょ、ちょっと待って。これ、おかしい。おかしいって……!」
来た道を戻る。走る。
――でも、廊下は終わらない。
「なんで……! なんでっ……!?」
心臓が跳ねた。息が切れる。涙が滲む。
「やばい。こんな……私、こんな得体の知れない人の家に無警戒に侵入する……馬鹿すぎる……っ」
廊下のライトが、ぼんやりとオレンジに変わった。
夕暮れの色だ。なのに窓は、ない。
「や、ややや……やめて……!」
走る。床を打つ自分の足音――
そこに、半拍遅れて別の足音が混じった。
ギッ……ギッ……床の軋む音が背後から。確実に近づいてくる。
「……っ!!」
恐怖が喉を塞ぐ。泣きながら振り向かず走る。でも廊下は終わらない。視界が揺れ、足がもつれ――膝をついた。
「もう無理……こわい……助けて……っ」
背後で、足音が止まる。
肩を――トン、と叩かれた。
ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは、狂気の形相で微笑む女の幽霊だった。
「――――ッッ!!!!」
桃花の悲鳴が、廊下に響き渡った。
「……なんや今の?」
台所で夕飯の準備をしていた雅也が振り返る。スマホをいじっていた紫も顔を上げた。
「……女の子の声だったね」
「どこからや」
「……うちの廊下じゃない?」
「またかい」
雅也はため息をつき、包丁を置いた。二人は廊下へ飛び出す。
そこには――気絶した桃花が転がっていた。
「……誰やこいつ」
「誰だろう。あれ、けどうちの学校の制服だ。うん? 委員長の……確か水見?」
「……なんでお前のクラス委員長がうちで倒れてんねん」
「知らないよ。先生に依頼があったんじゃない」
ひとまずリビングへ運び、気付けの香を焚く。しばらくすると、桃花がうっすらと目を開けた。
「あ……あれ……?」
視界に入ったのは――先程のヤクザ風の男の顔。
「ひっ……!? お願いします。か、帰して……! 家、帰らせて……!」
「落ち着かんかい! 開口一番どういう反応やねん」
「藤乃さんは!? 藤乃さんどこ!? 無事!?」
一瞬の間。雅也は紫の名字が藤乃だったことを思い出す。
「なんや、紫に用事かい」
「えっ私!?」
「あ……藤乃さん……!!」
紫を見ると色んな感情が溢れ、再び泣き始める桃花。
「なんか分からないけど落ち着きなよ水見さん」
紫が頭を掻きながら、少し困惑して言う。桃花はしばらくすると、ようやく息を整え始めた。
「あの……なんで廊下、あんな……!? ずっと続いて……夕方になって……足音して……幽霊出て……!」
「侵入者用に術かけてあるんや。この前、静に拵えてもらったわ」
雅也がバツの悪そうに言った。
「先生はこの家をビックリハウスかなんかにする気なの」
「お前がいろんなもんをここに連れてくるからやないか」
「あの藤乃さん!? この人とはどんな関係? 先生?」
「私と先生の関係? なんだろ」
「家主と居候やろ」
「相棒じゃない」
「相棒のう。しっくり来んのう」
桃花は頭を抱える。
「水見さんが見た幽霊って……」
「ああ、あれ前、お前を引っ掻いたやつや」
「ああっ……」
「わかるように言ってッ!」
叫ぶ桃花。しばらく混乱したが、最終的に桃花は泣きながら紫の手を握った。
「藤乃さん……こんなとこ……危ないよ……! 学校戻ろ? ちゃんと先生とも話して……私、手伝うし……!」
紫は少しだけ考えて、静かに首を横に振った。
「……私は、ここがいいよ」
「え……」
「少なくともあの学校は、私のいるべき場所じゃないから」
珍しく真顔で桃花を見据える紫。
桃花の表情がくしゃりと歪む。涙が頬を伝う。そして急に表情を正し、目に力強さが宿る。
「……じゃあ……じゃあね……! 私、また来るから! 定期的に顔出すから!! そして藤乃さんを絶対学校に来れるようにしてみせるから」
「ふーん。好きにすれば。無駄だと思うけど」
冷めた表情の紫。
「なんでお前が勝手に決めとんねん」
雅也のツッコミが響いた。
「だ、だって……藤乃さん心配だし……! あと……なんか凄い不健全な感じするし……!」
「勝手にせいや! あとお前失礼やな、いろいろと」
桃花は腕時計をちらりと見ると――
「……では私はこれで」
桃花は勢いよく立ち上がり、玄関へ。しかししっかり雅也に腕を掴まれた。
「えっ、あの私、そういうのは初めてでいきなりは――」
「なんの話やねん。また迷子になりたいんか」
雅也は桃花に札を渡す。
「それ持っといたら廊下も普通に通れる。忘れんなよ」
「は、はい……!」
礼儀正しく返して、桃花は帰っていった。
扉が閉まると、雅也はため息をついた。
「……まためんどいの増えたな」
「まぁ悪い人ではなさそうだよね、水見さん」
「それはええけど……」
紫の横顔を見て、雅也は口を閉じた。
ほんの少しだけ、紫が嬉しそうに見えたからだ。




