白百合の呪い
「……で? 今日はなんの用や、神代……言うたか」
昼下がり。雅也の家の玄関に、スーツ姿の若い男が立っていた。
オールバックの髪、金のネックレス。それでも目だけは妙に澄んでいて、ヤクザのくせにどこか生真面目な印象だった。
「お久しぶりです、奥川さん。……新堂の件は残念でした。今後は僕が後任ということでよろしくお願いします」
「やかましいわ。どの口が言うとんねん。新堂の後任とかないねん。破門になったヤクザの家にちょろちょろと。お前をしばいて追い返したらしまいやんけ」
神代は頭をかきながら、困ったように笑った。
「僕なんか殴る価値ありませんよ。所詮、外若の使い走り。僕を追い返したところで違う人が来るだけですよ。それに今回の依頼は組長直々の依頼です。奥川さんも大恩ある組長の頼みを無下にはしないでしょう?」
「榊組長か……あの人が破門になった俺に依頼することをよしとはせんやろ」
「そこは天秤ですよ。組の存続に関わる話ってなれば話は別、苦渋の選択です」
「ええわい。話せ」
「ありがとうございます。話は若頭のシノギの話です」
「また仙道かい。あんまあいつの件には関わりとうないんやけどな」
「若頭が運営しているソープの件なんです」
「ソープがヤバいて。もともとヤバい商売やろ」
「いや、そういう"普通のヤバさ"じゃないんです」
神代は声を潜めた。
「近所の立ちんぼが、ほぼ全員その系列に吸い込まれてる。で、その店の嬢たちが……最近、次々と謎の変死を遂げてるんです。二人、三週間で」
雅也の目つきが変わった。
「……警察は?」
「動いてます。で、大事になる前に内部で処理したいってのが組長の意向で。雅也さんに、ちょっと見てもらいたいと」
煙草をくゆらせ、雅也は深いため息を吐いた。
「……すでに死人が出てて警察も動いていて、ヤクザの若頭が運営しているソープに調査に行く。気が進まんのう」
「まぁそう言わずに! 組長もそれなりに金も出すって言ってますし」
「金の問題ちゃうわ……」
雅也は天井を見上げた。とは言えここでゴネたところで何も解決しない。
「……ああもう、わかったわ。どこや?」
神代がメモを差し出す。そこには「私立白百合学園」と書かれていた。
「どういう名前や……仙道の趣味か」
「知りませんよ。受けがいいじゃないですか」
そのとき、部屋の襖が音を立てて開いた。
「先生〜、そろそろお昼にしよう――」
紫が顔を出し、ふと二人の会話に気づいて動きを止めた。そして、目を細める。
「……ソープ? 先生、風俗にでも行くの」
「そういうことは知っとるんかい。調査や」
「ふーん。まぁ先生も男だしたまにはいいんじゃない」
「いや、なんで俺が風俗行くの誤魔化してるみたいな空気なんや」
「"調査"って言いながらその店に行くのはまんざらでもない空気出てたし」
「どこがや。どっちかと言えば行きたないわい」
「じゃあ、私も行く」
「アホか。そんなとこ連れていけるか」
「やましいとこないなら私が付いて行っても問題ないでしょ」
神代は思わず吹き出した。
「……仲、良いっすね」
「笑うな。ややこしなるやろ」
その夜。
雅也と紫は「私立白百合学園」の前に立っていた。
煌々と輝くネオン、場末の喧騒、甘い香水と煙草の匂い。夜の街特有の、どこか腐った甘さが鼻を突く。
「これが風俗。初めて見たけどなんか、それっぽいよね」
「どんな感想や。お前はここで待っとれ。俺がちょっと見てくる」
「私も行く。先生なんかいやらしいことする気でしょ、調査にかこつけて」
「いろいろ言いたいが、どこの世界に子連れで風俗行くバカがおるねん」
「この子と風俗嬢と3Pしたいんですって言えばいいんじゃない」
「それやと俺が変態みたいやんけ。追い返されるか通報されるわ。分かった、分かった」
雅也は着ている上着を紫に被せ、指で上着を二回叩く。
「なにこれ」
「これで普通の人間はお前を認識できん。これなら一緒に入れるやろ」
「凄い。今私、透明人間なの」
はしゃぐ紫。
「喋んなや」
店内に入ると、案内の男が無表情で言った。
「指名、ありますか?」
「お任せでええわ。美人さんを頼むで」
「かしこまりました。こちらでお待ちください」
男はそう言うと奥へ消える。
数秒の沈黙。
「……なぁ紫」
「うん」
「この空気、もうおかしいわ」
「なんか、嫌な臭いがする。ずっといたら吐きそう」
部屋に案内され、風俗嬢が入ってくる。朱里という女は確かに美人だが、表情に乏しい。
「悪いな。今日は抜きの気分ちゃうんや。少し喋らへんか」
「そう……」
反応が薄い。おそらくこういう客はそうおらんから反応が悪いのだろう。
「こらあかんな……」
雅也は煙草を取り出し、火をつける。白い煙がゆらりと立ち上り、室内の空気が微かに震えた。
「先生、この人、死んでるの? 全く生気がないんだけど」
「半死半生ってとこやろ。術で意思を縛っとる。まぁこのままやと長くは持たんやろ」
「先生は解除できないの?」
「俺は解呪は専門外や。面倒やし術師ぶちのめした方が早い」
「どうやって捜すの?」
「まぁ、聞くしかないやろ」
雅也は態度を変え、迷惑客を装い始めた。大声で無理難題を吹っかける。すると奥から、いかつい若い衆が一人やってきた。とりあえず無言の前蹴りが腹部にめり込む。膝をつくチンピラ。襟首を掴み、雅也は低い声で囁いた。
「ちょっとお話したいんやけど、聞いてくれるかの」
「誰だか知らねぇが、ここが誰の店か知ってんのか」
「知っててやっとるんや。悪いな」
若い衆の顔色が変わった。目の前に火のついた煙草。
「灰皿、ちょうど探しとったんや。ちょうどええ」
「まっ、待って。何が知りたい」
「最初からそう言わんかい。人間素直が一番やぞ」
「えげつな」
「うるさい」
「女仕入れてる奴、おるやろ。どこや」
とある事務所。小汚く雑然としている。事務所のドアが開いた。
痩せた中年男が、煙草をくわえて入ってくる。目が虚ろで、手には数珠のようなものを巻きつけていた。首筋には、黒い痣のようなものが這っている。
「誰だお前……」
雅也は口の端を上げた。
「やっとお出ましか。待ちくたびれたがな」
その瞬間、術師らしき男の背後に強い衝撃。鈍い音が響く。
男はまるで糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
数日後。
神代がやってきた。紫はテーブルの向こうで不安そうな視線を雅也に送っている。
「で、先生。あの後どうなったんですか?」
雅也は煙を吐き出しながら、肩をすくめた。
「術師は魚の餌や。嬢らは元に戻ったらしい」
「"魚の餌"って、まさか先生が――」
「いや、俺ちゃう。とは言え、あんなん野に放つわけにもいかんやろ。組も余計な証拠残したないやろし」
紫は目を伏せ、ため息をつく。
「先生、これは正しいことなの? 女の人たちが助かったのはいいことだし、あいつは悪いことしてたのは確かだけど、なんかもやもやする」
「善悪の話かい。まぁいい話ではないな。が、綺麗事では収まらん話もある。これに懲りたら、あんまり関わらんこっちゃ」
「ふーん……」
神代が笑って頭を下げる。
「助かりました。若頭は上が抑えてくれるでしょうし、警察にもうまいこと知らん存ぜぬでいきますし、大体事態は収拾つきそうです」
「そら、良かったのう。二度と来んなや」
「じゃ、俺、帰ります。お二人ともお元気で」
玄関を閉めたあと、紫がぽつりと呟いた。
「……先生」
「なんや」
「先生は平気なの? 人の生き死にが飛び交う日常って」
「平気ではないな。まぁそうは言うても前の稼業がアレなだけに避けて通れん部分もある。そこで折り合いをつけるのが大人や」
「そんなもん?」
「そんなもんや」
雅也は小さく笑って、原稿に手を伸ばした。
「ほら、仕事するぞ。ネタができたんやからな」
「ほんとにその精神、怪異よりタチ悪いよ……先生」
煙草の煙が、夕暮れの部屋に静かに流れていった。




