#18「暴走」
*アイリス ~アルドニア王国「ハーランド修道院・礼拝堂」にて~
私は焦っていた。一刻も早く知らせるべき出来事が起きてしまったからだ。
物音ひとつ聞こえない、人の気配がない夜。ヒュドラの町で感じたものと同じ感覚。私はこの感覚に覚えがあった。妙な胸騒ぎがして、ハクに話した。ハクと確認して、そして、今。
夜の修道院の廊下を、私とハクは駆けていた。
「ハク! ラルフは本当にこっちにいるの⁉」
「あぁ、そのはずだ……耳のいいニアが、ラルフの教えてくれているからね!」
「そうっ……なら、早くラルフを見つけないと!」
野生の勘が鋭く、そして耳もいいニア。ニアの言葉が分からない代わりに、ハクが私にニアが言っている事を伝えてくれた。
ニアの言っている事は間違いないようで、今私達が向かっている方向から、何やら言い争っているような声が聞こえてくる。
「これ、ラルフの声?」
「フィリアの声もするな。でも様子が何か……いや、それよりまずい。奇妙な男の声がする」
「ねぇ、それってもしかして大翼の獅子団の……」
「可能性が高い。……あそこだな、突撃するぞ!」
突き当たった先には大きな扉。金色の装飾であしらわれた豪勢な扉が、私達の行く手を塞いでいる。
ハクはその扉をものともせず、走っているその勢いで思いきり蹴りあげた。ドン!と大きな音を立てて扉が開け放たれる。
開け放たれた先は礼拝堂のようだった。私はハクが開けてくれた扉を走り抜け、そのまま目的の人物のもとへと走り寄った。
「ラルフ! 大丈夫⁉」
「っアイリス、ハク! おせーぞ! ……って、おい、待て!」
ラルフは飛び込んできた私の姿を見て戸惑ったような表情をする。
しかしすぐに目線を何もない方向へと向け、まるでそこにいた誰かに浴びせるように叫ぶ。
「ラルフ、一体何が……ッきゃああああああ‼」
私は荒れた礼拝堂を見渡し、そして、うなだれるソルトの足元に転がるものを見つけてしまった。それがグレイの頭部だということは、嫌でも理解が出来てしまった。
「う、……うそ……なんで…………なんでこんな…………」
「この匂い、血の……。……! グレイに、ソルトまで……。何があったんだ」
狼狽える私の隣に立つハクも、この惨状に戸惑っている。ソルト、と自分の名前を呼ばれてぴくりと反応したソルトが、ゆっくりと私達を見上げた。
「…………」
「! そ、ソルトくん!」
一瞬、笑ったのもつかの間。私達の事を目にとらえた瞬間、ソルトはぐらりと地面に倒れ込んでしまった。頭をぶつける前に、すんでのところで私はソルトを抱き抱えた。
刹那。
「……きゃっ!」
「っ‼」
突然、フィリアが私に向かって距離を詰めて切りかかってきた。すんでのところでハクが弓を剣がわりにして、フィリアの剣の刃を受け止めてくれた。
「ふぃ、フィリアさん……⁉ なんで……」
「何しているんだ、フィリア‼」
「そいつに何言っても無駄だ‼ 暴走してる‼」
「暴走っ⁉ なんでだ!」
「わかんねぇ! そいつ、シャドウからソルトとドロシーを守ろうとして斬り込んだんだよ! そしたらそっから様子がおかしいんだ!」
「シャドウ……⁉ まさか、さっきまで聞こえた奇妙な声はそいつのか……?」
「とにかく来てくれて助かった! こいつは俺がなんとかする! アイリスはソルトを! ハクは寮で寝ている子ども達を避難させてくれ!」
「っ! ラルフ、それが……きゃっ!」
「っ!」
ソルト、という言葉を聞いた途端、再びフィリアが私に剣を向ける。早い攻撃にハクは受け止めるのに一瞬反応が遅れ、無理やり受け止めたのか弓を持つ手が一瞬ぶれる。
「チッ……くそ、早いな!」
ハクが作ってくれた隙を利用して、私はソルトを抱えて何とか立ち上がり身構える。抱き抱えたまま杖を構えることは難しい。私はそのまま一歩、後ろに下がって距離を取る。
フィリアも剣を引いて構え直す。ハクが私とフィリアの間に入り、弓矢を装着して引き絞る。
フィリアの顔を見てぞっとした。表情こそ笑顔だが、その口はうっすらと弧を描いている。昼に見た笑顔とは全く違う笑み。温かな笑顔とは程遠い冷えた笑みに、私は背筋が凍る間隔を覚える。
何より異質なのはその目だ。瞳は静かな青色から、細長い瞳孔の人離れした赤色の瞳へと変化している。
「フィリア! お前の相手はこっちだ!」
ラルフがフィリアの気を引こうと叫ぶが、瞳はまっすぐソルトのことを見つめていた。その様子に、私は微かな違和感を覚える。
完全な暴走をしているわけではない。フィリアにもたしかな意思があって、攻撃する相手を選んでいるように思える。
もし、そうなのだとしたら。
「アイリス。フィリアはたぶんソルトを狙ってる」
ハクが背を向けたまま、私に小声で伝えてくる。きっとハクの言う通りだろう。でも、私の中にはもっと別の可能性があった。
もし私がフィリアの立場で、私が今庇っているのがミカエルだったなら?
助ける事だけを考えなくてはならない時にそんな場面を見たら、私達がソルトに危害を加えようとしているって、思ってしまうかも――。
「っフィリア!」
「……っ、アイリス⁉」
気付けば私は、守ってくれているハクの腕を掴んで身を乗り出していた。
「聞いてフィリア! こんなことをしている場合じゃないよ! 孤児院が大変なことになっているの!」
「いやおいっ! アイリス! 火に油を注ぐなって!」
ラルフの焦りより先に、きらりとフィリアの目が瞬く。身を乗り出した私に標準を合わせたフィリアに畳みかけるように、私は叫んだ。
「大変なの。孤児院の子ども達が全員どこにもいなくなっちゃったの!」
「……は⁉」
私の言葉に、フィリアに代わってラルフが驚愕の声を漏らす。剣を構え直していたフィリアも、半ば反射的かのようにぴくり、と静止した。
「おい、それは本当か……っておい! フィリア⁉」
そうなってからは早かった。
あっという間に身を翻すと、フィリアは礼拝堂の出口へと走り出す。人間離れした速さで、みるみるうちに廊下の向こうへと遠ざかっていってしまう。
「い、いっちまった……」
「ソルトに関する干渉を全て危害とみなしているからこそ、アイリスのその言葉が通るのか。それは読めなかったな」
「分析している場合か! おいアイリス、今の言葉は本当か⁉」
「う、うん。元々私とハクはそれをラルフに教えに来たんだよ」
「夜があまりにも静かすぎてね。妙だってニアが異変に気がついたんだ。それで孤児院内を徘徊したら、人の気配が全くもって消えている」
ハクのストールの中から丸まったニアが顔を出し、礼拝堂の出口に向かって『チィチィ』と鳴く。まるで『後を追え』とでも訴えているようだ。
「参ったな……目的と手段が逆転しているのは、思考能力が低下している証拠だ。攻撃は止められたが、あのままフィリアが暴走しないといいけれど」
「心配だな、俺達も追うか。行くぞ!」
気を失ったソルトをラルフが背負い、走り出す。私とハクはラルフにうなずくと、礼拝堂の外へと走り出した。
廊下の窓からは光が射しこむ。子ども達を夜に置き去りにしたまま、静かな朝が迎えられようとしていた。




