反逆者サザーランド卿
「サザーランド卿です」
「サザーランド卿?」
サザーランド卿は、ローリング帝国の三大公爵家の筆頭。現在の当主は、すこし前までは宰相の地位にあってすべてを牛耳っていたけれど、いまは政界を追われて領地に追われてしまったと記憶している。
そのサザーランド卿が?
そういえば、サザーランド卿の弟は軍の将軍だったかしら。
兄弟ともに謁見の間で見かけたことがあるけれど、まるで書物に出てくるような野心的な貴族という感じだった。
(思い出したわ)
謁見の間の大理石の床を磨いているとき、当時はまだ官僚の一人だった現宰相とお父様がサザーランド卿のことを話していた。
他のだれかにきかれたらマズイ内容だったから、執務室のようなところで話をした方がいいのにと大理石の床をキュッキュと磨きながら思っていた。
なにより、兄弟の容姿が印象的だった。
髪と瞳の色が、わたしと同じ黒色なのである。
「ケイ様。前置きが長くなりましたが、諜報員によりますと、サザーランド卿とその弟が謀反を起こし、成功したそうです」
「なんてこと……」
「皇帝と皇妃や多くの官僚たちは囚われ、投獄されました。皇太子や皇子や皇女たちは、ともに捕らえられたり、逃げたりしています。当然、サザーランド卿たちは捜索隊を出しています。それ以外にも、懸賞金をかけています。早急に決着をつけたいのでしょう。見つけ次第、捕まえても殺してもいいし、密告してもいい。皇族の生き残りを一掃する為に必死のようです。この情報は、すでに王都にもたらされるているはずです。あなたの存在がわかれば、王都から使者がくるでしょう。それから、サザーランド卿があなたのことを知れば、殺しにくるか捕まえにくるか、とにかく平和的なことを望まない連中がやってきます」
それだと、ドミニク様に迷惑がかかってしまう。ドミニク様の精神に負担をかけてしまうことになる。
自分の正体がバレることや、ましてや自分自身がどうなるかは二の次だった。
とにかく、ドミニク様のことが心配でならない。
「出て行かなくては。ここから、ここから出て行かなくては……」
結論は、当然そうなる。
決断すると、いてもたってもいられない。
長椅子から立ち上がり、パーシヴァルさんに挨拶することなどまったく思いつかず、扉に向って歩き始めていた。
「ケイ様、お待ちください。いったいどこへ」
「パーシヴァルさん、ごめんなさい。わたし、わたし、ここにはいられません。わたしを捜しにだれかが来るのなら、わたしがここにいてはドミニク様に迷惑をかけてしまいます」
「ケイ様……。あなたは、ドミニク様のことを……」
「まだ起きているんですか?」
パーシヴァルさんがなにか言いかけた瞬間、居間の扉が勢いよく開いたので驚いてしまった。
ステイシーである。自分でウサギを刺繍したという夜着姿で現れた。
「ミルクを飲もうと通りかかったら、灯りが漏れていたから……。どうしたの、ケイ。泣いたりなんかして。あぁもしかして、パーシヴァルさんに虐められたとか? いやだわ、パーシヴァルさん。レディを虐めるなんてひどすぎる」
(泣いているですって?)
ステイシーに指摘され、驚きつつ指先で頬をなぞってみた。
そこで初めて、自分が泣いていることに気がついた。泣いている、というよりかは涙を流していることに。
「ステイシー、違うの」
「行きましょう、ケイ。パーシヴァルさんは、明日の朝あらためてとっちめてあげるから。ホットチョコレートでも飲んで、寝た方がいいわ」
ステイシーは、わたしに駆け寄るなりわたしの肩を抱いた。そして、わたしを無理矢理歩かせた。
肩越しにパーシヴァルさんの方を見ると、彼は困ったように頷いている。
彼もステイシーにはかなわない。というか、諦めている。
結局、彼女が作ってくれたホットチョコレートを飲んだ。彼女の慰めの言葉をききながら。
パーシヴァルさんに申し訳ないことをしてしまった。
だけど、ステイシーになにがあったのかほんとうのことは言えなかった。
部屋に戻り、借りている制服のまま寝台の上に寝転がった。
カーテンを閉めていない窓から、月光が燦燦と降り注いでいる。
いまにもだれかがわたしを捜しにやってくるかもしれない。
レストン王国の使者だったら、すぐにでもわたしをローリング帝国に帰らせろと言うかしら。それとも、捕まえてサザーランド卿に引き渡すかしら。
ローリング帝国の反乱軍や懸賞金目当ての人たちがやってきたら、手荒なことをするかしら。ドミニク様とパーシヴァルさんとステイシーとウインストンさんとトーマスを傷つけるかしら。
あらゆる可能性は、どれも悪いことばかり。
とてもではないけれど、平和的な内容は浮かんでこない。
これだけは断言できる。
ぜったいに大丈夫な状況ではない、ということを。