落下したらドミニク様に受け止められて
「ケイ、どこかぶつけたのか? ケイ、ケイ?」
ドミニク様の胸の中で、心身ともにかたまってしまっている。彼の声は両耳でしっかり捉えているものの、それに応じることが出来ない。というよりか、応じたいという意志はあるのに頭も心も体もついていかない。
もしかして、いま完全にお姫様抱っこされているのではないかしら?
しだいに状況を把握するにつれ、自分が完全に宙に浮かびあがっていることに嫌でも気がつく。
すると、今度は焦ってきた。焦燥が全身をジワジワと侵食していくのを感じる。
「わ、わたし、い、いえ、ドミニク様、申し訳ありません」
「ケイ、どこもぶつけていないか?」
「だ、大丈夫、大丈夫です。ドミニク様、どうかおろしてください」
「おおっと、すまない」
ドミニク様は、お願いするとすぐにおろしてくれた。が、ドミニク様にお姫様抱っこされたショックで、足許がふらついてしまった。
「おっと。ケイ、やはりどこかぶつけたのでは……」
またしても彼に抱きとめてもらわねばならなかった。
「いえ、ほんとうに大丈夫です」
ドミニク様に申し訳なさすぎるのと、失礼すぎるという思いがせめぎあっている。
ドキドキばくばくは激しくなりすぎていて、目がくらんできた。
それでも、このままの状態では失礼すぎる。
彼の腕から逃れるようにして離れた。
「ケイ、そうだな。おれのような傷があって粗暴な男に触れられて不愉快だよな」
ドミニク様がなにかつぶやいた。しかし、まったく余裕のないわたしは、彼がなにかをつぶやいたということしかわからなかった。
「ほんとうに申し訳ありませんでした」
いまの一連の出来事をなくすことは出来ない。ごまかしようもない。
(いっそ開き直って『てへっ』ってする?)
それは、ステイシーの十八番。
彼女はパーシヴァルさんに叱られるとき、いつも「てへっ」という感じでごまかしている。
毎回それを見ながら、すごいスキルだと感心してしまう。
わたしも出来ればいいけれど……。
だけど、いまだ一度も試す機会がない。
というよりか、「てへっ」とする勇気を持てないでいる。
「ケガがなくてよかった」
彼はわたしから視線をそらせ、腰をかがめて倒れた脚立をちゃんと立たせた。
「高いところは、おれやトーマスがやるよ。いつでも言って欲しい」
まさかドミニク様にガラス拭きなどさせるわけにはいかない。
「ピカピカだ」
黙っていると、彼は磨き上げたばかりの執務室の窓ガラスに視線を向けて言った。
「輝いている。ケイ、いつもありがとう。きみがこうしていろいろなところを磨いてくれて、それを見るとおおいに慰めになるよ」
ドミニク様の笑みに心臓が飛び跳ねた。
それほどはかなくて寂しすぎる笑みだった。
「ドミニク様……」
「きみがこうしていろいろなところを磨いてくれたり掃いたり拭いたりしてくれると、不思議と心が洗われる気がするんだ。いや、、実際心が洗われている。ケイ、おれは……」
ドミニク様は、周囲を見まわした。見まわしながら脚立を壁際に移動させ、わたしに向き直った。
その美貌と背の高さに、あらためて自分が「残りカス皇女」であることを思い出させた。
「おれは、大勢の人々を殺し、傷つけてきた。あるいは、そうするよう命じてきた。おかしな話だろう? そんなことをしておいて、怖くて怖くてどうしようもなくなっている。いまさらながら、だが」
彼は、視線をそらすと小さな溜息をついた。
「不安で不安でたまらないし、情けなさすぎる。そんなおれが、王太子としてやっていけるのか? やっていいのか、と。もっと多くの人々を殺め、傷つけることになるのではないのか? そんなことを考えると、夜も眠れなかった。そういう日々がずっと続いていて、ずっと続くのかと思っていた。しかし、きみがここに来てくれて、床や窓ガラスなどあらゆるところをピカピカにしてくれたそれらを見ると、そういうどうしていいかたまらない思いが、じょじょに晴れてきたのだ。まるで霧が晴れていくようにな。そう。心が元気になってきている。そうはっきりと自覚出来る」
ドミニク様の心は、戦争や政争によって傷つきボロボロになっている。
彼は、やさしすぎる。そして、他人の痛みをわかりすぎている。
だからこそ、こうして傷つき疲れてしまう。
「ケイ、笑ってくれ。おれは、こんな情けない男だ。『氷の剣士』と名高い男の正体は、臆病でわがままな愚か者だ」
「そのようなことはありません」
おもわず、そう力いっぱい叫んでいた。