ファミレス・ロマンティック
「魔法をかけてあげる」
魔法、と男の子はきょとんとした表情になる。私はその顔に微笑かけた。
「そう、魔法」
断言しよう。この時の私のテンションは非常におかしかった。今までたったことの無い大きさの箱で、お客さんの入りも過去一。その本番前だ。変にクサイ言葉のひとつやふたつ浮かんでもおかしくはない。
けど、その時の私は素直にこう思っていたのだ。
「わからず屋にはわからない、飛びっきりの魔法。君に見せてあげる」
あの男の子も混乱しただろう。だから今の私はひょっとしたら自業自得なのかもしれない。
光が私を包み込む。私は男の子を見つけた。彼の目が見開かれる。
再度私はその瞳に笑いかける。
音が背中を押す。
自分の中の音を。熱を。
たった一人の大勢の君たちの前で勝手に歌いあげるから。
その夜、確かに私の音楽は世界は救わなかったけれど、一人の人生を変えてしまったのだろう。
◆
「だから、絶対に付き合わないって言ってるでしょ!」
深夜のファミリーレストランは、心地良いくらいに他人に無関心だ。だから、私が少々声をあらげたところで誰も気にしない。
「さっき俺に目立つようなことしないで、って怒ったのは君でしょ。 ほらほら、落ち着きなって」
あんたのせいだ、あんたのせい。
ふわふわと軽くパーマをかけて茶色に染めた髪。顔立ちは悪くはないけど、別段周囲の目を引くほどではない。けれど彼は、屋内だってのにサングラスをかけている。
私がそうしろ、と言ったのだ。
あの夜、私の──私のせいとは思いたくない──歌で勝手に救われて勝手に人生を変えた男の子は立派に成長し、その才能を存分に発揮して今をときめくシンガーソングライターに成長してしまった。そしてついでに、大学の後輩でもある。
「どうするのよ、有名人なのにこんなところにいるってばれたら」
「そういう売り方してないから、全然問題ないし、俺が君と付き合えないことの方が大きな問題」
それに、と彼は続ける。
「俺が、俺の人生を変えた女の子を一途に思い続けてたって事実はみんなにきっと喜ばれるし」
「なんで」
「だって、ロマンティックじゃん」
「私はそういうのきらい」
ロマンティックなんてものは、観客の一人だから楽しめるのであって、いざ自分に向かってくるとたまったもんじゃない。
「私は色々と弁えてるの」
さっき取ってきたホットコーヒーが入った白いカップに、砂糖を三袋入れる。カチャカチャとスプーンが音を立てて、渦ができていく。
彼はそれを見て、うげっという顔をした。
「それだけ砂糖いれたら甘すぎない?」
「これくらいが丁度良い」
一口含む。甘くて、苦くて。これが私にはベストなのだ。人になんて言われようとも。
「大体、いつもいつも、私に付き合って欲しい、なんてこと言うけどそれは勘違いだよ多分」
彼はすごい人間で、私はごくごく普通の人間だ。だからきっと、あの夜に見た私の姿は幻に過ぎないのだ。
なのに。
「勘違いから始まっても、一年も二年も、ずっと君のこと見てて気持ちが変わってないから、それはもう本当のことになってるよ」
ああいえばこういう。
「例えるなら、うん。あの夜に確かに俺は君の瞳に見惚れたかもしれないけど。今は違う。もう、それだけじゃない」
「…………恥ずかしげもなくそんなこと、良く言えるね」
「恥じることなんてなにもないし、そんなこと言ったら君が書く歌詞も、こんなもんじゃん」
音楽があるのと無いのとでは、全く違う。音楽があれば、私は主役になれるし、音楽があるから、どんなことでも言えてしまう。
けれど、今は違う。ギターの音色が、どうしようもなく恋しかった。
私は、一観客で居たいのだ。大勢の中の一人で居たいのだ。
けれど、彼は私を、彼のステージの主役に無理矢理にでも引きずり出そうとしてくる。
「……………このままじゃ、ダメなの?」
先輩と後輩。仲の良い異性。音楽仲間。私たちを定義付ける関係性は幾つもある。
「本当に、嫌なら言って欲しい。好きな子を傷つけたい訳じゃないから。でも、出来ることなら、君に何かあったときに手を差しのべることが許される立場が欲しいし、困ったことがあったら一番にそれが知れる権利も欲しい」
「………………」
本気なのだろう。彼は本当に本気。
これから、彼の音楽はますます世に広まっていく。そんな彼はきっとこれから、私なんかよりもずっと輝いている人と出逢うだろう。
「私で、いいの?」
「君が、いいの。というか、あの日に俺に魔法をかけた罪を償って欲しい」
「罪」
「いたいけな俺に、音楽を。音楽のすごさを。音楽の力を教え込んだ罪」
「罪かあ」
本当は、とっくに気づいていた。とっくに、彼は私の世界の大事なところを占めていた。
うん。
私は、あえぐように息を吸う。
しょうがない。嘘。しょうがなくない。
「良いよ」
「え?」
「罪を償えば良いんでしょ。私の歌が上手かったばっかりに、君がこうなったんだから」
サングラスの下の目が丸くなっている。プロのシンガーの声量で叫ぼうとしたのは、ぎりぎりで防いだ。
「ええと、よろしくお願いします。できれば、俺たちが天国か地獄に行くその日までお付き合い願えますと幸いです」
「こちらこそよろしくお願いします」
しどろもどろになっている彼から差し伸ばされた右手を、私は手に取る。冷静に考えたら、告白のあとに握手をするというのは少し変だし、大体天国はともかく地獄っていうの変だと思うのだが、そこまで頭が回らない。
「それと、あの日の歌の上手さは普通だったかなって」
「おい」