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appassionato

「やだもう信じらんない。そこの自販機でジュース買おうとしたら、ぜーんぶ売り切れになってるのよ」

 シャッターの下りた酒屋の前から、月子がふくれっ面で駆け戻ってきた。時刻は、そろそろ午後二時になろうとしている。強い陽ざしのせいで、埃っぽい路面に投じられた家々の影が、やたらとその輪郭をくっきり見せていた。あたしは、まつ毛に絡みつく光の粒子の眩しさに耐えかねて、ベースボールキャップを目深にかぶり直した。

「で……? その親戚のお婆ちゃんが住んでた家ってのは、どこにあるの?」

「うん……」

 あたしの記憶では、このメインストリートを少し北に行くと、古びた小さな小学校が見えてくるはずだ。親戚の家は、そのすぐ近くにあった。

「たぶん……、こっち」

「なんだか頼りないわねえ」

 苦笑する月子をともない、あたしはとりあえず北へ向かって歩きはじめた。

 『ようこそ大紀町阿曽へ』と書かれた看板が目にとまる。ママから聞いていた町名は、確か大宮町阿曽だったはずだ。市町村の統廃合で町名も変わってしまったのだろう。日本全国、過疎地(かそち)なんて呼ばれてる自治体は、みなそういう運命をたどっている。

「やだ……、学校、なくなってる」

 かつて小学校だった建物は、今では町営の温泉に生まれ変わっていた。観光客を当てこんだものであろう、派手な幟を立てた土産物屋が隣接している。しかしお客様専用駐車場と表示された空き地には、地元ナンバーの車がまばらに駐まっているだけだった。

「ふーん……、市町村の合併で、ここにあった小学校も廃校になっちゃったんだ」

 月子が、妙に感慨深げに言った。なぜだか淋しそうな顔をしている。

「そうだね……。でも、この辺に住んでる子供たちって可哀相。だって、毎日わざわざ隣町にある小学校まで通わなくちゃならないんだもん」

 温泉になった建物は、それでもまだ小学校だった頃の面影をよく残していた。町の歴史ある建造物を保存しようと、意図的にそういう造り方をしたに違いない。しかし、おぼろげながらも昔の姿を知るあたしにとって、それは返って淋しく感じられた。

「ねえ、里沙……」

 月子が、あたしの肩にそっと手を置いた。

「――何か思い出せた?」

「……ううん、分かんない。この町に来たとき、なんか懐かしいような、悲しいような複雑な気持ちが込み上げてきて、ちょっと辛かったけど、でも具体的なことは一つも思い出せないの」

「そう……」

 月子の顔が少し怒っているように見えた。あたりまえだ。わざわざこんな遠くまで、あたしのために付き合ってくれているのに。なのに、かんじんのあたしが何も思い出せないなんて……。

 とてもすまない気持ちになりあたしが目を伏せていると、月子が急にはずんだ声を出した。

「あっ、見て見て、そこの売店でアイス売ってる。ちょっと待ってて、あたし買ってくるから」

 ふわりと黒髪を揺らし、月子が土産物屋の方へ駆けてゆく。よく気分のコロコロ変わる人だなあと、あたしは思わず苦笑してしまった。

 でも、その時――。

 なぜだか稲妻のように閃くものがあって、はっと息をのんだ。あれ、なんだろう? 以前にもこんなことがあったような……。


 うち、ばあちゃんから小遣いもろたんや、里沙にアイスきばったんな、ほやからちょっと待っとって


 もどかしいような記憶の狭間に引っ掛かり懸命に頭を捻っていると、不意に後ろから声を掛けられ飛び上がるほどびっくりした。

「あんたら観光客やんね?」

 ふり向くと、腰の曲がったお婆さんがにこにこと笑いかけていた。地元のお年寄りだろう、よく日に焼けた優しそうな顔をしている。あたしはぶざまに驚いてしまったことに赤面し、照れ隠しのため、思いきり愛想良くぺこりと頭を下げた。

「あっ、えと、東京から来ましたー」

「ほう、東京ね……。そらまあ遠いとこようおいでなして。山田へ登らはった帰りなん? 電車つんどったやろ」

「つ、つんどった……?」

 言葉がよく分からなくておろおろしていると、いつの間にか月子があたしの横に並んでいた。

「ううん、私たちお伊勢参りに来たわけじゃあないのよ。この子の親戚が、昔この辺りに住んでたって言うから、どんな町かなあと思って訪ねてみただけなの」

「親戚ね? ほうなん……。何て家?」

「……実はとっくの昔に亡くなってしまっていて、もうこの町には住んでいないんです」

「ほんなか……」

 感慨深げにそうつぶやいてから、お婆さんは眩しそうに目をしょぼしょぼさせて、あたしたを見た。もしかしたら、子供の頃に会ったことがある人なのかもしれない。そう思い、懸命に記憶の糸をたぐり寄せていると、お婆さんはふたたび月子に視線をもどし、そして――あれっ? という顔をした。

「……おや、あんたもしかして」

 お婆さんの枯れ枝のような指がのろのろと月子をさす。あたしはその時、たしかに月子がはっと息をのむのを聞いた。

「そ、そうだわ――、ねえねえ、お婆ちゃん、この辺りに神社ってありますか?」

 月子が、急にお婆さんの言葉をさえぎってそう尋ねた。なにを慌てているんだろう? しかし見るからに人の良さそうなそのお婆さんは、何事もなかったように穏やかな顔で神社の場所を教えてくれた。

「ああ、ほなら、そこの路地(せこ)入って、どんつきの道をかみへんに向かってどんどこ行くと見えてくるやに。上り坂やで、まあ、ひまひま行ったらええわ」

「ありがとうございます」

 丁寧にお辞儀をすると、月子はあたしをうながしてどんどん先を歩き始めた。あたしは、お婆さんへの挨拶もそこそこに慌てて彼女の後を追う。

「ねえ、待ってよー」

 ひょっとして、何か怒っているのだろうかと、恐る恐る顔色をうかがうと、予想に反して彼女は上機嫌のようで、顔がほのかに上気しているのが分かった。ほっと胸を撫で下ろす。

「もう、どんどん先に行っちゃうんだからあ」

「ごめんごめん。ほい、里沙のぶん」

 彼女が、両手に持っていたアイスの片方をあたしに差し出した。実は、さっきからこのアイスのことが気になって気になって仕方なかったのだ。細長いコーンに乗せられたアイスは、半球状のフラッペとクリームの部分が半々にミックスされていて、その上に緑色のシロップがたっぷりとかけられている。見るからに女心をくすぐるキュートな外観だ。

「さんきゅ! もう喉からからだったの……」

 あたしは、今にもとけて指の上にたれてきそうなアイスを、すくい上げるようにひとくち舐めた。想像していたとおり抹茶のやわらかな風味が口の中いっぱいに拡がる。その独特の食感に、あたしは思わず感動の声をあげてしまった。

「うーん美味しい、美味しいよ、これ!」

 なにか特別なフレーバーでも使われているのだろう、舌の上でとろけるアイスからは乳脂肪とは別の、なんともいえない清涼感あふれる香りが伝わってくる。

 この暑さでとける前に早く食べてしまわねば、と思い必死になってアイスにぱくついていると、舌の先がお餅のつるっとした食感を探り当てた。

「あれ? このアイスって変わってる、中にお餅が入ってるよ」

「きっと赤福(あかふく)氷を真似たのね、三重の名物だもん」

「へえ、月子って何でも知ってるんだね、そんけー。さっきだって地元のお年寄りと、あんなに違和感なく喋ってたもんね」

「…………まあね」

 とけかかったアイスを四苦八苦しながら食べているうちに、自分がどこをどう歩いているんだか分からなくなってきた。まあいいや、すべて月子に任せてしまおう……。そう無責任に開き直り、緩めの坂をのろのろと登っていると、やがて鬱蒼と杉の古木が生い茂る平坦な場所に出た。すぐそばを流れる奥河内川の淙々とした水音が、耳に心地良い。

 しかし、薄暗い木の下闇に、森厳とそびえる神社の鳥居を見つけた瞬間、あたしは軽い目眩を感じて立ちすくんだ。

 あれ、ここってもしかして――。

 熱風を吸い込んでしまったみたいに息苦しくなり、あたしはすくい上げられた金魚のように喘いだ。そして耳奥に、またあの幻聴が甦る……。


 もういいかい

 まあだだよ


 ああ、あたし来てしまった、とうとう、ここまで来ちゃったんだ……。

 さっきまでの楽しい気分が、跡形もなく吹き飛んでいた。

 

 


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