激動編 4 ~天地鳴動~
西暦六四五年六月十二日、周到に計画された蘇我入鹿暗殺はついに実行された。後の人々はこのクーデターを歴史的快挙として賞賛した。これによって大和朝廷による中央集権体制が確立し、唐、新羅の侵略に備えることができたのだ、と評価する歴史家が多い。
確かに当時の人々の多くも、これは蘇我氏の専横が自ら招いた結果であり、中大兄皇子と中臣鎌足は巨大な悪を打ち倒した英雄と見ていた。
しかし、極の見方は違っていた。
当時の日本は、とても国と呼べるようなものではなく、豪族集団の緩やかな共同体とでもいうべきものであった。外国からの侵略を受ければひとたまりもなかったであろう。極は南淵靖安や僧旻の私塾で、そのことをひしひしと肌で感じていた。そんな脆弱な国がこれまでなんとか国体を保ってこられたのは、蘇我氏の強大な力と渡来民庇護の政策のおかげだと思っていた。蘇我氏と新羅の親密な関係が、唐の侵略の矛先を鈍らせていたのは間違いない事実である。
しかし、今後は違う。蘇我氏亡き後、新羅は唐との連携を強め、わが国を狙ってくるに違いない。
極はそう考え、一刻も早くわが国を『強き国』にしなければならないと考えていた。そのためには、制度よりもまず民衆の生きる力を強くしなければならない、自分たちの国を守ろうという意識を強くしなければならない。民衆が自分の国を愛し、子孫のために命がけで国を守ろうと立ち上がったときにはじめて、どこにも負けない『強き国』は生まれるのだ。極はそう信じていた。
とにもかくにも、この歴史の表舞台における大事件の裏に隠れるようにして、東国の反乱は静かに、しかし確実に準備されていった。極と久米一族の突然の失踪事件でさえ、朝廷の議題に上ったのは半月余りも後のことだった。
「これで久米極の、いや久米一族の大王に対する叛意は明らかになった。すみやかに討伐の兵を差し向くるべきである」
今や政治の実権を握った中大兄皇子は、居並ぶ豪族たちを前に強く主張した。まだ、蘇我本家滅亡の余震が都全体を覆っている時である。どの豪族たちも苦渋の表情を浮かべるだけで、賛同の声は上がらなかった。
彼らの胸にある思いは同じだった。つまり、現時点での急務は、新しい国作りの方向を示すことであり、そのための体制作りであるということだ。それをしなければ、国内の混乱は収まらず、中央の指示に従わない者たちは次々に出てくるだろう。久米一族の謀叛は、その一端にすぎないのだ。
「大伴大輔…」
「ははっ」
指名された兵部大輔大伴麻呂は、苦虫を噛みつぶしたような表情で平伏した。
「恐れ多くも、勅命をもってそなたを征東将軍に任ずる。速やかに兵を集め、一月後には大軍をもって東国の反乱を平らげよ、との御心である。
なお、これより後は、各豪族の私兵はこれを認めぬこととし、兵士、馬、武器はすべて国軍のものとする。これも勅命である。各豪族は速やかにこの旨を部民に下知し、すべての家人、下人の名およびそのつながりを記して民部所に差し出すこと…」
中大兄皇子らが最初に断行した改革は、この公民の制であった。当初、豪族たちの驚きととまどいは大変なものだった。それでも畿内では、目立った反抗もなく改革は進んでいった。そして、国軍という名の巨大な私兵を手に入れた大和政権に対して、あえて反抗しようという豪族は三河より西にはいなくなったのである。
蘇我入鹿暗殺以来、皇極女帝は鬱とした日々を過ごしていた。蘇我父子に対しては見切りをつけていたので、暗殺事件は嫌な出来事ですませることができた。
しかし、心の内で最も信頼し愛していた極と久米一族の失踪事件は、彼女に大きな衝撃を与えた。
女帝は、極に対する自責の念に心が潰れる思いだった。極を失脚させようという息子と鎌足の策謀に、何の抵抗もできず、極を守ってやれなかったことが、彼を去らせた原因だと思い込んでいたのだ。我が身の力の無さを今ほど恨めしく思ったことはなかった。
彼女は極の失踪がわかった翌日、息子に譲位の思いを告げた。中大兄皇子は建前上母帝を慰留したが、内心は喜んでそれを受け入れた。そして、自らは皇太子にとどまって政治の実権を握り、意のままに動かせる叔父の軽皇子に帝位を継がせたのである。
さて、東国平定の勅命は下ったものの、遠征軍の編成は遅々として進まなかった。総大将を任された大伴麻呂は最初から意欲がなく、他の豪族たちも自分たちのことで精一杯の状態だったからだ。
それでも期限の一月後には、なんとか三万余の兵が集まり、折から雷鳴の轟く七月の二十四日、第一陣として出発したのであった。
「なんとか頭数だけはそろうたな。」
阿騎野を出発する遠征軍を眺めながら、中大兄皇子と中臣鎌足はささやき合った。
「いくばくかの時は稼いでくれましょう。されば、我らの方も急がねばなりませぬ」
彼らは最初から、三万の遠征軍には大きな期待はしていなかった。敵が、この軍勢を主力と思って注意を注いでくれれば幸いである。東国平定が簡単にはいかないことを彼らは十分認識していた。
今回の戦いは、従来の大和対蝦夷という単純な図式ではない。これまでは、たとえ遠征が失敗しても朝廷が危うくなるということはなかった。しかし、今回は国全体の命運が懸かった戦いになる。東国から命からがら帰ってきた密偵が、そのことを如実に教えてくれていた。
鎌足は、極が征東夷大使として東国に赴任したときから、何人もの密偵を密かに東国の各地へ潜入させていた。彼には自分の手足のように動いてくれる隠密集団がいる。それは、もともと中臣の祖である忌部氏とゆかりの深い三輪山の神道集団だった。
蘇我氏と朝廷に恨みを持つ彼らは、鎌足がまだ少年の頃から影のように寄り添って、彼を守り、敵対する者を密かに排除してきた。つまり、後の世で言うところの忍者集団である。これほど組織化され、訓練された忍びの集団を抱えているのは自分だけだ、と鎌足は思っていた。
ところが、今回の敵は、この諜報のプロたちの目さえ欺いたのだ。この三年の間、何人もの密偵たちが東国に潜入し、彼の地の様子を知らせてきた。そのほとんどは、「村も民も日々豊かになりぬ。されど、他には格別のことはあらず」というものだった。
しかし、三ヶ月前、鎌足が最後に遣わした三人の密偵の内、一人の男が深手を負った状態で帰ってきた。これまでの密偵たちと違って、彼らには、より極の身近なところを探るように命じてあった。そして二人は殺された。どちらも女だった。命からがら帰ってきた男の口から語られる東国の意外な真実に、鎌足は愕然となり、そして心底恐怖を覚えた。
特に、彼が心に刻んだのは、彼の地には恐ろしく「鍛錬なしたる同胞」がいる、ということだった。同胞とは、自分たちと同じ種類の人間という意味である。つまり、東国には恐ろしく鍛錬をした忍びの集団がいる、というのである。その者たちによって、二人の女忍者が正体を見破られて殺され、自分も危うく命を落としかけたのだ、と男は語った。
容易ならざる事態だ、と鎌足は思った。この事実が語ることは、今までの密偵の報告は、恐らく周到に用意された偽りの姿を真実と思い込んだ結果に違いない、ということである。命拾いをした男が語った断片的な事象も、そのことを証明していた。
(このたびの戦、わしと久米皇子との知恵比べになる。そして、勝つのはわしじゃ…)
鎌足は広い木の板に描かれた地図を見つめながら口元に笑みを浮かべた。その地図には集まった情報によって、出城や防塁、谷や川の位置が描き込まれていた。そして、鎌足の目は越前の上方の海に注がれていた。
東征軍出立の報せは、都に潜入していた耳目番の者たちによって、二日目の朝には極のもとへ届いていた。そして、それは数日の内には国内の隅々にまで伝わり、静かな緊張が東国全体を包んだ。
報せが届いた日の午後、軍議が招集され、主だった指導者たちが国府の庁に集まった。
「ふむ……三万とは確かに大軍には違いないが……」
黒丸が言いたいことは、極にもよくわかった。
「鬼衛門殿、伊勢の水軍の動きはいかがじゃ」
「いや、今のところ何もござらぬ。たとえ動いたとしても、我が水軍の敵ではござらぬわい」
逞しい男たちが居並ぶ中に、ひときわ目立つ壮年の大男が野太い声で答えた。
この男、名を末浦鬼衛門、またの名をイ・ハンイルと言い、百済人の血が流れていた。
西海を本拠地に、遠くは南鮮から中国沿岸まで暴れ回っている海賊の首領である。もともと彼らは、大和政権の母胎となった北部九州の豪族集団を祖としていた。本来ならば、朝廷内で重きをなす存在のはずだったが、大和政権の東遷の途中で、いつしか本体からはぐれ、忘れ去られていったのである。彼らが内地の生活に慣れず、海から離れられなかったというのが真相かも知れない。ともかく、そのような背景があって、彼らは現朝廷には服せず、海という自由の世界で思うままに暮らしてきた。
約一年前、鬼衛門は、同胞である瀬戸内の海賊の首領武丸から、東国の噂を聞いた。武丸はそれを備前の秦氏から聞いていたのである。武丸の語る東国の国造りにも興味を覚えたが、その改革を指揮している若き皇子に非常な関心を持った。「民の国を造る」という構想も面白いし、何より現朝廷に反旗を翻そうという心意気が面白いではないか。
鬼衛門は半年後、武丸を誘って駿河を訪れ、極と会見した。そして、その日の内に、極の忠実な家臣になってしまった。極と話をするうちに、自分の息子ほども年の離れた相手にすっかり心酔し、魂を預けてしまったのである。
「何か動きがあれば、武丸からすぐに報せが参りましょうぞ」
極と話をするときの鬼の顔は、少年のように無邪気で楽しげだった。
「ふむ…何か妙じゃのう……」
極は首をひねって考え込んだ。
指導者の面々はその様子に、真剣な顔で互いの顔を見合った。今までの経験から国主がこんな姿を見せる時は、よほど事態が深刻な時だったからである。
「殿、何をお考えか、お聞かせ下さりませ」
皆を代表して、長老の竹部氏郷が尋ねた。
「うむ…いや、わしも黒丸殿同様、都の兵が三万というのは少ないように思うた。されば、他に何か策があるに違いない。恐らく、三万の軍は我等の注意を引きつけておくための捨て石じゃ。されど、水軍には動きがない。じゃとすれば、他にはどんな策を用いようというのか、それが分からぬ……」
一同はそれを聞いて、再び顔を見合わせ、首をひねった。
「三万の軍勢が本隊であるとは考えられませぬか。つまり、都の連中はそれだけの軍勢で我等を倒せると思うておるのでは?」
上総の領主佐伯尾人の言葉に、多くの者たちもうなづいた。
「うむ、そうかもしれぬ。じゃが、中大兄皇子を動かしておるのは中臣鎌足じゃ。彼ほど用心深き男もおらぬ。さればこそ考えておるのじゃ。すぐさま新手の大軍を送り出すつもりかもしれぬが……」
「はて、それは難しゅうござろう。蘇我亡き今、各地方の豪族たちは朝廷の動きを見守っておりまする。無理難題を命じられれば、反乱を起こすは明白。集まってもせいぜい一万ほどが限度かと……」
地方の実情に精通している秦万礼の言葉に、極も何度もうなづいて、ますます難しそうな表情になった。
「皇子、もしや……」
それまで極の横で黙って話を聞いていた祖父の穂足が、ただならぬ表情で口を開いた。
「爺様、いかがなされた?」
「うむ、いや、まさかとは思いまするが、海の向こうの軍勢を頼もうというのではありますまいか?」
それを聞いて、極も他の者たちも、思わずあっと小さな声を上げた。それは誰もが考えもしなかったことであり、もし真実ならば容易ならざる事態だったからだ。静かなどよめきが部屋の中を包み込んだ。
「確かに、あり得ることじゃ。今や新羅と唐が結んでおるは周知の事実。百済、高句麗は王族内の争いが続き、今は新羅を抑ゆる力はござらぬ。朝廷が百済を見捨て、新羅と結ぶことはむしろ当然のことやもしれませぬ」
万礼の話を誰もが食い入るように聞いていた。東国の者たちにとって、朝鮮半島の事情はこれまで遠い世界の出来事だったからだ。
「し、新羅の軍は強えのかのう……?」
馬津目の問いに答えられる者は誰もいなかった。
重苦しい沈黙が、しばらくの間その場を支配していたが、ふいに雲井兵助がおずおずといつものおどけたような都なまりの残る口調で発言した。
「ええっと、その、まあここであれこれ思案しても、しょうがないのと違いますかな。殿、ここはわしにお任せ下さりませ。都に行って詳しく探って参りましょう」
「うむ、そうじゃな。先ずは事の真偽を確かむることじゃ。じゃが、今は鎌足も用心しておろう。先日のような手練れの者たちが見張っておるに相違ない。くれぐれも心して行くのじゃぞ」
「はっ。それでこそ、やりがいもあるというものでござる」
極はなおも心配気に兵助に何か言おうとしたが、その前に大胡仁来の低い声が聞こえてきた。
「殿、わだすも雲井様とともに参りましょう」
その言葉に驚いたのは極ばかりではなかった。仁来の異相は、密偵をするにはあまりにも目立ちすぎる。それは彼自身もよく分かっているはずである。
極がすぐに返事をしないのを見て、仁来はかすかに微笑みながら続けた。
「わだすは敵の目を引きつくる役目をいたしまずる」
「おお、それは良き案じゃ。なれど、許すわけにはまいらぬ」
「な、なぜにでござりまするや?」
極は厳しい表情で仁来を見つめながら答えた。
「これは命がけの仕事じゃ。兵助もそなたも、今失うわけにはいかぬ。ただ、兵助はいざとなれば、民の中に紛れ込むこともできよう。かの地の地理にも詳しい。なれど、そなたはいったん怪しまれたれば、逃ぐることは難しい……」
「さ、さりど、こたびの戦、誰もが命がけでござりまずる」
「ならぬというたら、ならぬっ」
極は声を荒げて仁来を一喝した。これほど感情を露わにして取り乱した極を、誰もが初めて見るのだった。
「仁来、殿のお心を無にしてはならぬ……」
静まり返った広間に、竹部氏郷の声がしみ通っていった。
「殿はそなたを、我が身のごとくにいつくしんでおられるのじゃ。これほどありがたきことが他にあろうか」
その言葉に、仁来は悔しさとも喜びとも分からないうめき声を上げて下を向いた。恐らく、その両方だっただろう。
「殿、大胡様の策、わしとしては助かりまする。一人でも多く都から、厄介な者たちがいなくなってくれれば、仕事をやりやすうなりまする」
兵助がにこにこしながら言った。
「それはわかっておる。なれど……」
「はい、わかっておりまする。されば、瀬戸内あたりでひと騒動起こして下されば、いかがなものかと。さすれば、逃ぐることは造作もござらぬ。武丸、いかがじゃ?」
「おう、そいつはええ考えじゃ。我等が手助けいたそうぞ。殿、御心配めさるな」
兵助をはじめ、日頃仁来と親しい者たちは、仁来がいつも口癖のように語る思いを知っていた。
『たとえ、皆があきらめようと、わすは決して国造りをあきらめぬ。この国で成し遂げられぬなら、海の向ごうまでも皇子とそのお子たちを守って行ぎ、いつの日か必ずや民の国を造り上げてみせる』
この思いは、そこにいるすべての者たちの思いでもあった。ただ、長い年月迫害され、苦難を味わってきた仁来とその一族にとって、それは悲願、いやそれ以上のものだった。
その熱い思いが、ついに極を動かした。彼はまだ不安を拭いきれなかったが、仁来に兵助の手助けをすることを許したのである。
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